ミッドウェー海戦の真の敗因は?
従来考えられていた敗因は主に上記の3つですが、敗因は他にもあったという説もあります。そういった説を紹介します。
上官の責任逃れ体質
当時レーダーではなく索敵機が敵を見つける主力方法でしたが、索敵機が「敵らしきものを発見」というと、敵らしきものの表現がはっきりしないから対応が遅れたといっているのです。索敵機の交信方法が悪いから、対応が遅れたと暗に証言しています。
しかし索敵機の「らしきもの」という表現は暗号書に正式に記載されている信号文であり、索敵機に全くの不備はないと当時索敵機だったパイロットが証言しています。索敵機が敵を見つけることは命がけであり、敵を見つけたら何でも打電せよと教えられたといいこのように述べています。
「『らしきもの』の報告で判断が遅れたなんて、そりゃあ、命じておいて信号文も知らない司令部がボンクラなんです」
またベテラン水上偵察機搭乗員だった戸澤力(大尉)は手記「ミッドウェー海戦惨敗の真相と海軍史湾曲」で、
「甘利(発見者)をスケープゴートに仕立てて、作戦失敗の責任をかぶせるために狙い撃ちにした、悪質な欺瞞(ぎまん)」
と断言しています。つまり判断するのが遅かった指揮官たちの責任を示唆しているのです。索敵機の行動に落ち度はなく、敗因の原因にされるのは違うという話があるのも私たちは留意しておく必要があるでしょう。
軍部内でのコミュニケーション不足
前述した“全体に雑な作戦内容”の裏側に、軍内でのコミュニケーション不足が指摘されています。要因の一つに山本司令官は作戦をなっとくさせるまで話すタイプではなかったために、いまいち南雲中将以下作戦目的の共有がちゃんと出来ていなかった節があります。
連合艦隊は「米機動部隊殲滅」を重視する発言をし、軍令部と大本営は「ミッドウェー島攻略」が目的と指示していました。結果どちらの命令を優先していいかわからず、軍内でも混乱が起きています。
山本司令官は「米機動部隊の殲滅」が目的だと他の軍部や南雲中将にはっきり伝えておけば、敗因となった「爆装取り換え問題」は起こらなかったかもしれません。結局作戦の主目的が一致しないまま前のめり発進したM1作戦は、手痛い失敗となってしまったのです。
ミッドウェー海戦から学べる教訓
ミッドウェー海戦の敗因は、色々な要因が重なって起きた結果であることがわかります。ではそこから何を反省し活かせるかを考えていきます。
組織間の“報・連・相”はしっかりすること
ミッドウェー海戦の敗因で目立つのが、“情報の伝達不足”です。作戦内容が複雑でわかりづらく、軍部内で徹底されていなかったことが要因にあげられます。戦後の証言によると各部隊や組織によって気を遣ったり、意見が衝突していたりといつの時代でもある“人間関係”も大きく影響しているようです。
どうしても仕事を含めて何かと人間関係はついてきますが、一つの事を成し遂げる目標は同じはずなので、組織内の事情や個人の感情は抑えて分別のある行動をしていきたいものです。
失敗を反省して慢心せずに行動すること
ミッドウェー海戦時の日本軍は連戦連勝していたために、“奢り”による自信過剰が起きていたといいます。敗因の一つと指摘されている暗号の解読も、絶対の自信を持つ連合艦隊にとっては米軍をおびき寄せるためにさほど重要視されていなかった節があります。
戦後黒島大佐が部隊が索敵を軽視していたことを反省していますが、それに関して、
「わが機動部隊は無敵で、敵を圧倒できると信じていたので、このため特別な処置は考えなかった」
といっています。こういった全体的な“日本が負けるわけがない”という自負が、後々まで影響しているように感じます。己の力に過信するのではなく、失敗から反省し対策する心構えを持つことは大事なのではないでしょうか。
ミッドウェー海戦の敗因に関するまとめ
いかがでしたでしょうか?今回ミッドウェー海戦の敗因理由に焦点をおいて執筆しましたが、筆者の感想は、軍の間での気を遣うということがあったりと現在の組織と共通するところがあると感じています。
また目的の徹底が如何に大事なのかということも再認識できました。しっかりと末端にまで行動の目的を知ってもらい取り組むことが大事なのだなと感じている次第です。この記事を読んで少しでも、ミッドウェー海戦を知ったという方がいてくれたら非常に嬉しく思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。
ふぁ?!