オウム真理教の幹部を一覧で紹介【組織図や学歴、序列も併せて解説】

「オウム真理教の幹部にはどんな人物がいたのか?」
「オウム真理教の幹部の学歴が知りたい!」

地下鉄サリン事件を始めとする凶悪事件をいくつも引き起こした「オウム真理教」の幹部たちとはどんな人物だったのでしょうか?

この記事ではオウム真理教の幹部たちにスポットを当て、一覧にして紹介します。また、幹部の序列や学歴なども併せて紹介致します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

オウム真理教の幹部の一覧

オウム真理教の主な幹部の組織図
出典:朝日新聞デジタル

飯田エリ子

飯田エリ子
出典:アメブロ

教団最古残のメンバーの一人で、オウム真理教の前身であるヨーガサークル「オウム神仙の会」の頃から関わりがありました。教団内でのステージは正悟師で、東日本の信者を統括する東信徒庁長官を務めていました。

元信者からの聞き取りによると一般の信者からの人望も厚く、人間味あふれる人物だったようです。1ヶ月に2億円を集めるほどお布施を集める才能に長けていて、新たな信者を勧誘して入信させる数も教団一だったといいます。

1995年の目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件において逮捕監禁致死罪で逮捕され、1998年9月10日に懲役6年6ヶ月の判決が下されました。

石井久子

石井久子
出典:アメブロ

勤めていた保険会社で同僚だった飯田エリ子の誘いで麻原彰晃のヨーガ教室「鳳凰慶林館」に訪れ、「オウム神仙の会」発足後に会社を退職し出家しました。麻原の愛人の一人であり、麻原との間に3人の子供を授かっています。

飯田と同じく最古残のメンバーの一人で、教団内ではかなり早くから登用され最終のステージは正大師でした。教団で省庁制が導入されると大蔵省大臣に任命され、教団の資金の管理を任されています。

事件後、教団の様々な悪事が明るみに出ると、石井も国土法事件、逆さ吊り死亡事件、犯人隠避容疑で起訴され懲役4年の実刑判決を受けています。

井上嘉浩

井上嘉浩
出典:NEWSポストセブン

教団での最終のステージは正悟師で、教団内での祝福名であるホーリーネームは「アーナンダ」でした。16歳の時に参加したオウム神仙の会のセミナーで麻原彰晃に出会い、その姿に感銘を受け入信を決意します。

教団では諜報省長官として盗聴や住居侵入の技術を用いて、教団が起こした数々の凶悪事件に関わりました。逮捕後、保身のため教団を裏切って供述しますが、自身の責任を矮小化して供述したため証言は疑わしいものでした。

結局、証言のほとんどは認められず教団や世間からは裏切者扱いされ、ジャーナリストや評論家からは批判されることになります。他の幹部らの証言によって地下鉄サリン事件では、全体の総合調整役として無差別大量殺人に至る重要な役割を担ったとされ死刑判決が言い渡されました。

遠藤誠一

遠藤誠一
出典:産経ニュース

松本サリン事件、地下鉄サリン事件においてサリン生成の責任者を務めた人物です。

遺伝子工学やウイルスの研究に没頭していた遠藤は、知識を生かして教団の修行法・イニシエーションで使用する麻原彰晃のDNAの培養や生物兵器の開発に携わりました。しかし遠藤が開発した生物兵器は不発に終わり、このことがサリンなどの化学兵器の開発へと向かうきっかけとなりました。

遠藤は松本サリン事件では犯行に使用するためにレンタカーを借り、現場にも同行しています。また地下鉄サリン事件では遠藤が生成したサリンが犯行に使用されました。その罪により2011年11月21日に死刑判決が確定し、2018年7月6日に死刑が執行されました。

土谷正実

土谷正実
出典:iza(イザ!)

化学兵器や薬品を生成する化学者を務めた教団幹部で、サリンの生成を成功させた人物です。

ヨーガに興味を持っていた土屋は1989年に友人の勧めで麻原彰晃説法会に参加すると「ここなら本格的なヨーガの修行ができる」と感じ、宗教団体との認識を持たずにオウム真理教に入信しました。その後、麻原の教えに感銘を受け日本の崩壊や政府の陰謀などを信じるようになっていきます。

1992年に土谷は麻原にサリンの製造を進言し麻原の了承を得ると、サリンの生成法を確立させました。そのサリンを使い多くの犠牲者が出るテロが行われたため、土谷は事件に直接関わっていませんが死刑判決が下されました。

中川智正

中川智正
出典:ニッポンドットコム

医師免許を持ちオウム真理教附属医院の医師を務めながら、麻原の主治医として健康管理を任されていた教団の幹部です。

1988年2月にオウム真理教に入信し、翌年に恋人の看護師とともに出家しました。そして出家後すぐの1989年11月4日に麻原の指示を受けて坂本堤弁護士一家殺害事件に実行犯として関わり、当時1歳だった坂本弁護士の息子を窒息死させました。

逮捕後はオウム真理教事件において計11件25人の殺人の罪を問われました。裁判では中川の入信・出家時の精神状態が争点となり犯行時の責任能力の有無について意見が割れましたが、裁判所は彼が精神疾患にかかっていた可能性を認めつつも責任能力はあったとして死刑判決を下しました。

新実智光

新実智光
出典:時事ドットコム

教団の前身であるオウム神仙の会が最初に開いたセミナーから参加していた古残信徒の一人で、宗教法人オウム真理教の設立時責任役員でもあった教団幹部です。

幼少の頃から超能力に興味があり、高校生になると精神世界や宗教に興味を持ち始めます。大学に入ってからはオカルト雑誌の「ムー」や「トワイライトゾーン」を読むようになり、そこに掲載されていた麻原の空中浮揚の記事を読んでオウムのセミナーに参加します。

1989年に教団が起こした最初の殺人事件である男性信者殺害事件に関わると、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件に実行犯として関わり、地下鉄サリン事件では運転手を務めました。最終的に計11件の事件、26人の殺人に関与したとして殺人罪などに問われ死刑が言い渡されました。

林郁夫

林郁夫
出典:産経ニュース

地下鉄サリン事件の実行犯の一人で、営団地下鉄の千代田線にサリンを散布し職員2人を死亡させ231人に重軽傷を負わせました。

オウム真理教に入信したのは1989年2月で、書店で麻原の著書と出会ったことがきっかけでした。もともと心臓血管外科の医師として大学病院などに勤務していましたが、出家した後は教団付属医院の院長に就任しています。

殺人にはためらいを見せていた林郁夫でしたが、信仰心の方が勝り地下鉄サリン事件の実行犯に加わります。逮捕後の取り調べで林郁夫が真っ先に自供したことで、警察は教団施設に潜んでいた麻原を逮捕出来ました。

林郁夫の証言により事件の全貌が明らかになったことから、実行犯の中で唯一死刑判決を免れ無期懲役が言い渡されています。

林泰男

林泰男
出典:ニッポンドットコム

麻原の運転手などを務めていた人物で、教団内部の最終ステージは正悟師でした。電気工学に詳しくオウムに入信後は教団施設の電気工事や、敵対する組織の盗聴などを担当していました。

地下鉄サリン事件においてサリン入りのパックを3つも拡散し、最も多くの犠牲者を出しました。このことからマスコミからは「殺人マシーン」という異名で呼ばれています。

しかし、林泰男は実行犯を断りたかったが自分と家族の安全のため断れなかったと供述しており、マスコミの報道とは異なった人物像だったようです。パックを3パックも持っていたのも、全部で11個あったパックを分ける際に、押し付けるような形で1つ余分に持たされていたようです。

村井秀夫

村井秀夫
出典:femiru(フェミル)

麻原に次ぐ教団のナンバー2と呼ばれていた幹部であり、ステージは正大師で科学技術省大臣を務めていました。

子供の時から超能力や精神世界、仙道、ヨガなどに興味を持っていて、社会人になった頃に麻原彰晃の著書を読んで感銘を受けます。1987年4月に会社を辞めオウム神仙の会に入信すると、同年6月には妻の森脇佳子とともに出家しました。

その後科学技術省大臣としてオウムの信者の象徴ともいわれた有名なヘッドギアを開発し、教団の最高幹部の地位まで上り詰めました。教団ナンバー2として数々の事件に関わり、地下鉄サリン事件では総指揮をとりました。

地下鉄サリン事件後には教団の広報担当としてマスコミの取材に答える役割を担います。そんな中の1995年4月23日に200人を超えるマスコミ関係者が集まった教団東京総本部前で、突然現れた暴力団関係者に刺され命を落としました。

幹部たちの序列と学歴

オウム真理教内の階級

ヨーガによる階級
出典:ウィキペディア

オウム真理教内ではヨーガの修行の達成度に合わせて階級があり、教団内部ではステージと呼ばれていました。麻原彰晃の「尊師」を頂点に村井秀夫や石井久子らの「正大師」、遠藤誠一や井上嘉浩らの「正悟師」と続き、一番下の「準サマナ」までいくつもの階級に別れていたといいます。

修行の達成度に応じてとは言うものの麻原の一存で決められていたので、結局は麻原のさじ加減でどうにでもなるものでした。そのため教団内部では麻原に気に入られるために、犯罪に手を染める信者が増えていったとされています。

灘高校や東大卒の高学歴

東京大学安田講堂
出典:ウィキペディア

オウム真理教の信者には医者や科学者、弁護士などの職業についている人物や、東大や早稲田、高い東大合格率を誇る灘高校などの有名校の卒業生など、高学歴で頭の良い人物が数多くいました。なぜ高学歴でエリートと呼ばれる職業についている人々がオウム事件に関わることになったのか?

もちろん麻原に類まれなるカリスマ性があったことは事実でしょう。しかし挫折を知らない優秀なエリートたちをうまく操りひき込んだマインドコントロールこそ、オウム真理教の最も恐ろしいところではないでしょうか。

オウム真理教幹部に関するまとめ

いかがでしたか?

多くのオウム真理教の幹部たちは教団に入るまではごく普通の人々でした。オウム真理教と麻原彰晃に関わったことで、凶悪な犯罪に手を染めていったとも言えます。

彼らがしたことは決して許される事ではありません。しかし彼らがたどった道は我々も知る必要があるのではないでしょうか。二度と悲惨なテロが起きないように、誰にでもマインドコントロールされてしまう危険があることを知ることが大事だと思います。

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