「オウム真理教ってなに?」
「現在オウム真理教はどうなってるの?」
「オウム真理教事件について知りたい!」
オウム真理教とは日本に存在した新興宗教団体で、松本サリン事件や地下鉄サリン事件などの事件を起こしたテロ組織としても知られています。オウム真理教が引き起こした一連の事件によって403人の逮捕者を出し、うち起訴されたのは192人にも上りました。
ヨーガ教室として始まった宗教団体は、どのような経緯で世界中を震撼させたテロ組織へと変貌していったのでしょうか。
この記事では「オウム真理教」の歴史や重要人物、オウムが引き起こした事件を紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
オウム真理教とは
オウム真理教の概要
オウム真理教(以下、教団)は1988年から1995年に活動した日本の新興宗教団体及びテロ組織です。もともとは教祖であった麻原彰晃こと本名・松本智津夫がヨーガ教室として発足させ、1995年には信者15,000人を超える宗教団体へと成長していました。
しかし麻原彰晃の教えや考えを盲目的に信仰する信者が多数現れると、信者の家族と教団とが激しく対立するなどの問題が起こり始めました。揉め事や訴訟などを繰り返すうち、麻原は教団の障害となるものを排除しようと考えるようになります。
その結果、麻原と教団は坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などを引き起こした凶悪なテロ組織へと変貌していったのです。
オウム真理教の考えや教え
オウム真理教は「宗教は1つの道」として、世界の宗教の起源は古代エジプトにあると言う概念を持っていました。そのため麻原は、儒教、キリスト教、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教などあらゆる宗教の思想を含む「真理」を追求するという教えを説いています。
オウム真理教では修行によって欲望や煩悩などの苦悩から解放されることを「解脱」、精神的に超越した状態を「悟り」と呼んでいました。麻原は自身を「ヒマラヤで最終解脱した日本で唯一の存在で、空中浮遊などが可能になった超能力者」と宣伝し信者を集めました。
またダライ・ラマ14世などのチベットやインドの高僧や修行者との会談で教団の権威性を高めることにも成功し、より多くの信者を獲得しています。
「オウム」の名の由来
「オウム真理教」の名前の由来はサンスクリット語にあります。
オウムはアルファベットでは「A・U・M」と表記され、「A」は創造、「U」は維持、「M」は破壊を意味しています。そして3文字を合わせると「すべては無常である」という意味になり、すなわち「変化するものである」という意味を表しています。
また麻原は釈迦やイエス・キリストが人間に説いた教えの根本を「真理」と呼び、その追及を目指していました。その真理を実践する宗教団体ということで、麻原は「オウム真理教」と名付けたとされています。
宗教施設の「サティアン」
「サティアン」とはオウム真理教の宗教施設の名称で、山梨県の上九一色村や鳴沢村、静岡県富士宮市などにあった教団拠点に建造されていました。施設内では信者が共同で生活したり、パソコンの組み立てなどの作業や化学兵器の実験などが行われていました。
特に有名なのは上九一色村にあった麻原が逮捕された「第6サティアン」や、サリン製造プラントのあった「第7サティアン」でしょう。
建物の特徴としては無機質で質素な建築様式が挙げられます。宗教団体の施設というものは必要以上に装飾されていることが多いのですが、サティアンは一見工場や倉庫のように見えるほどシンプルな作りでした。
オウム真理教の重要人物
教祖・麻原彰晃
麻原彰晃はオウム真理教の創始者で、本名を松本智津夫といいました。教団内部では教祖として絶対的な権力を持っていて、信者たちを過激な修行や暴力によって服従させていました。また不思議なカリスマ性も持ち合わせており、医者や科学者などの信者も数多く従えています。
麻原は幼少の頃から先天性緑内障を患っていて、左目がほとんど見えませんでした。そのため盲学校に通っていましたが、そのころから同級生や下級生を従え権力者として君臨していたといいます。
22歳の時に予備校で知り合った松本知子と結婚すると、6人の子どもを授かります。また麻原には愛人が100人以上いたとされていて、妻・知子との子ども以外にも婚外子が多数いるといいます。