マイケルジャクソンの子供達の現在は?自身の子供時代や幼児虐待疑惑も解説

マイケルと子供たちは血縁関係がない?

マーク・レスター
出典:llivedoor NEWS

マイケルと生前交流があったジェイソン・ファイファーによると、長男プリンスと長女パリスは実の子供ではないとマイケルから告白されたそうです。

マイケルの告白によるとプリンスとパリスは、イギリスの俳優マーク・レスターから精子提供を受け人工授精によって授かった子供だというのです。マイケルの死後、すぐにマークも二人の父親が自分だと名乗り出ています。

しかし真意のほどは定かではなく、世間やマイケルの関係者たちはマークの告白を受けて「金や名声欲しさの行動だ」と怒りをあらわにしています。

これ以外にもマイケルの主治医だったアーノルド・クレインがプリンスとパリスの父親という説や、マイケルの元ボディーガードだったマット・ファイデスが次男ビギの父親という説もあります。しかし、どれも確たる証拠はなく真相は分からないままです。

マイケルと子供たちとのエピソード

次男ビギはマイケルにバルコニーから落とされかけた

バルコニーからビギを落とすところだったマイケル
出典:マイケル・ジャクソンの愛と真実を綴る

次男ビギは生後9ヶ月の時、危うくマイケルにバルコニーから落とされるところでした。

2002年11月19日、ドイツ・ベルリンに滞在していたマイケルは宿泊していたホテルの前で待つファンたちに、生後9ヶ月になったビギを見せるため5階にあった部屋のバルコニーからビギを抱いていた腕を外へ伸ばしました。

ちょうどその時嫌がったビギが暴れ、危なく腕から滑り落としそうになったのです。ヒヤリとしたものの、危機一髪のところでビギを落とすことなく部屋に戻ることができました。この時の様子はビデオ撮影されていて、世界中で映像が流されました。

後日マイケルは声明文を出し、「二度と子供を危険にさらすことはしない」と謝罪しました。

マイケルは料理上手な父親だった

マイケルの大好物だったケンタッキー・フライドチキン
出典:食品産業新聞社

マイケルの長女パリスはインタビューで、マイケルの料理は最高だったと語っています。得意料理はフライドチキンで、マイケル自身もケンタッキーのフライドチキンが大のお気に入りでした。パリスにスイートポテトパイの作り方を教えたこともあり、パリスは良き父親だったとマイケルを評しています。

子供たちは外出時に仮面を付けさせられていた

仮面をつける子供たち
出典:ガールズちゃんねる

マイケルは子供たちと一緒に外出するときやカメラに写るときは、子供たちにハロウィンのような仮面を付けさせていました。これはマイケルが世間の目やテレビカメラから、子供たちのプライバシーを守るために着させていたものでした。

そのおかげもあって子供たちは学校に入っても普通の生活を送ることができたとインタビューで答えています。初めこそ「なぜこんな仮面を付けなくてはならないのか」と不満もあったようですが、成長するにつれてマイケルに感謝できるようになったと子供たちは語りました。

2007年にマイケルが遊園地で素顔の子供たちと遊んでいるところを、パパラッチに激写されたのをきっかけに徐々に仮面を外すようになっていきました。

マイケルジャクソンの子供時代

マイケルは幼少期から音楽に囲まれて育った

マイケルの両親は音楽がとても好きだったので、マイケルも幼いころから音楽を聴いて育ちました。

工場でクレーン技師として働いていた父ジョセフはギタリストでもあり、音楽で生計を立てるのを夢見て「ファルコンズ」というバンドでロックンロールやリズム&ブルースなどを演奏していました。バンドが自宅でリハーサルしていたこともあって、マイケルの兄たちは楽器を演奏し始めます。

母キャサリンはカントリー&ウエスタンが好きで、ピアノとクラリネットの演奏ができました。また歌声もとても美しく上手だったようで、その才能はマイケルに受け継がれています。

そんな音楽好きの両親のおかげでマイケルたち兄弟は日常的に音楽に触れて育ち、のちにジャクソン5を結成することになります。

11歳の時にはスーパースターだった

ジャクソン5
出典:GQ JAPAN

マイケルが初めて世間に認識されたのはジャクソン5のボーカルとしてで、マイケルが11歳の時でした。

マイケルは1963年に兄たちが結成していたグループに参加し、「ジャクソンズ」と名乗って活動を始めます。地元のショーなどに出演して徐々に人気を集めていき、このころから名前を「ジャクソンズ」から「ジャクソン5」へと改めました。

1968年にジャクソン5はボビー・テイラーの前座で演奏します。その時の演奏に感動したボビーがジャクソン5をモータウン・レコードへと紹介しました。見事モータウンとの契約をモノにしたジャクソン5は、1969年にシングル「帰ってほしいの」でメジャーデビューを果たし一躍有名になりました。

マイケルジャクソンの幼児虐待疑惑

一貫して無実を主張し、裁判で全面無罪となった

無罪判決を勝ち取ったマイケルジャクソン
出典:NME Japan

マイケルは少年に対する児童虐待疑惑で、1993年と2005年の2度に渡って訴訟を起こされ裁判になっています。

1993年の裁判でマイケルは一貫して無罪を主張していましたが示談金による解決となったため、疑いが完全に晴れたとは言えない結果となりました。当時マイケルは鎮痛剤に依存していまいした。その治療に専念するために早く裁判を終わらせる必要があり、示談は仕方ない判断だったようです。

2005年に再びマイケルは虐待容疑で起訴されました。この時の裁判は「マイケル・ジャクソン裁判」とも呼ばれています。この時は起訴内容のすべてにマイケルは無罪を勝ち取りました。FBIが10年に渡って捜査した結果、児童虐待の証拠は得られなかったのも無罪判決の決め手になっています。

波紋を呼んだ2つのドキュメンタリー番組

「ネバーランドにさよならを」

2019年に公開されたドキュメンタリー映画で、各業界で話題となり波紋を呼びました。

マイケルジャクソンに虐待を受けたと主張するウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャック、およびその家族にスポットをあてた作品です。合計4時間に及ぶ長編だったため前編と後編に分けてイギリスとアメリカで放映されました。

内容に関しての疑惑や証拠不足も相まって真偽のほどが定かではないため、評価はさまざまで観た人によって賛否両論でした。

「チェイス・ザ・トゥルース」

2019年に公開されたドキュメンタリーで、同年に発表された「ネバーランドにさよならを」に異議を唱えるため制作されました。

「チェイス・ザ・トゥルース」はマイケルの関係者のインタビューで構成されていて、元ボディガードのマット・フィデスや俳優のマーク・レスターらがインタビューに答えました。

マイケルジャクソン子供に関するまとめ

いかがでしたか?

マイケルジャクソンの子供たちは周囲の大人たちから父親であるマイケルについていろんなことを言われ、大変な人生を送って来たことでしょう。マイケルとの血縁を疑われたり、いやな思いもたくさんしてきたはずです。

しかし、3人とも立派に育ちそれぞれの分野で活躍しているところを見ると、マイケルの育て方は間違ってはいなかったんだなと感じます。

これからも3人の活躍が楽しみですね!

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