人豚はどのように作られたのか
実際に呂雉は戚夫人をどのようにして人豚にしたのでしょうか。戚夫人の息子・劉如意のことはただ殺害したとだけ伝えられているのに、戚夫人に対しては、とても残酷な仕打ちをしている呂雉。そこには刑罰を超えた気持が垣間見えます。
人を豚にしてしまうすごい過程
戚夫人は人豚にされる前に、呂雉によって捕らえられました。罪を犯した女官が収容される牢獄で、1日中豆を石臼で引く刑罰を科せられたと言います。そのとき、自分の境遇を悲しんで詠んだ戚夫人の詩が漢書(前漢の時代に関する歴史書)に収められています。
その後、呂雉は戚夫人の息子・劉如意を殺害した上で、戚夫人の両手両足を切断します。さらに耳と目を潰し、声も出せなくして、便所の中に落としたそうです。呂雉はその姿を人豚と呼んで笑いながら見て、恵帝にも見せたと言います。
便所の中に落としたことが、人豚という名前の由来に関係しています。
当時の養豚事情からわかる人豚の由来
呂雉が生きていた漢の時代、便所の多くは豚便所と呼ばれていました。当時の中国で便所は広く穴を掘った上に作られていました。広い穴の中では豚が飼われており、上から落ちてくる人の排泄物を餌としていたのです。
豚便所は中国から日本や韓国にも伝わったそうです。戚夫人は便所の中に落とされたことから、人豚と呼ばれたというわけです。食糧が限られていた時代、人の排泄物も無駄にせず、食糧の確保につなげたのは当然のことですが、この仕打ちは当時の人にとっても残酷なものだったはずです。
その証拠として、人豚となった戚夫人を見せられた恵帝は、酒と女に逃げ、公務を放棄してしまいました。彼の精神には大きな傷が残ってしまったようで、わずか23歳で亡くなってしまうのです。
人豚事件が与えた影響
人豚事件は漢の時代と唐の時代に起こった、過去のものです。しかし、ショッキングであるが故に大きな影響を残してしまいました。現代に生きている私たちにも、それは無関係ではありません。
映画にも採用された西太后の逸話
人豚事件と聞いて、まっさきに思い出すのは西太后のことかもしれません。中国が清という名前の国だった頃に登場したのが西太后でした。彼女も数々の残酷な振る舞いをしたことで知られており、その中に麗妃という側室の手足を生きたまま切断して瓶に入れたという逸話があります。
しかし、これは西太后への悪意に満ちたフェイクニュースでした。確かに彼女は女性を生きたまま井戸に投げ入れて殺しましたが、それは麗妃ではなく、手足を切断したわけでもありません。
それにもかかわらず、現代まで伝わってしまったのは、この逸話が映画のワンシーンとして登場したからです。日本でも西太后というタイトルで公開された映画「火燃円明園」で取り上げられたことで、人々の間に定着してしまったようです。
つい最近まで囁かれた都市伝説
1980年代に日本のあちこちで囁かれ、週刊誌でも紹介された都市伝説があります。
海外旅行で試着室に入った女性が忽然と姿を消して、後に見世物小屋に出演しているのを発見されたという話です。女性の手足は切断されており、だるま女と言われていたため、どうしても人豚を連想させます。そのせいか、旅行先は中国と言われることが多かったようです。
先程登場した映画「火燃円明園」の公開も1980年代ですから、これが影響したのかもしれません。それにしても呂雉や武則天もまさか、自分たちのしたことがこんなに後々まで影響するとは夢にも思わなかったことでしょう。
人豚に関するまとめ
時代をさかのぼり、人豚が誕生した理由や時代、背景、かかわった人物について学んできました。人豚が誕生した理由が少しは理解できたような気がします。
そして人豚はあまりにショッキングだったために、現代の私たちにまで影響を与えていることもわかりました。
多くの人間が生活していると、ときには厳しい罰も必要かもしれません。しかし、そのために人間性まで無視してしまうと、人間は罪から立ち直れなくなってしまうのではないでしょうか。
現に人豚は都市伝説として、未だに私たちを惑わし続けるだけで、役に立っていないように感じます。人豚から、私たちは多くのことを学べるはずです。