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巌流島の戦いをわかりやすく解説!あらすじや勝敗、決闘の真実も紹介

巌流島の戦いは、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島にちなんで名づけられた言葉です。某有名漫画にて巌流島の戦いが取り上げられたため、宮本武蔵と佐々木小次郎の名前を聞くだけで、巌流島の戦いを連想させるほど人気の戦いとなりました。

巌流島の戦い
出典:Wikipedia

とはいえ、読者の皆さんの中には、

「巌流島の戦いが起こった経緯がわからない…」
「宮本武蔵と佐々木小次郎、結局どっちが勝ったの?」
「宮本武蔵が遅刻したって本当?」

といった疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか。戦いのあらすじはもちろん、噂の真実を確かめたい方もいるはず。

そこで今回は、江戸時代の剣豪たちを調べていくうちに巌流島の戦いについて詳しくなった筆者が、巌流島の戦いをあらすじから登場人物、噂の真実までわかりやすく紹介します。

この記事を読めば、巌流島の戦いを裏側まで理解できるだけでなく、歴史を紐解く楽しさも味わえるでしょう。

巌流島の戦いとは?

年月慶長17年(1612) 4月 13日
場所巌流島(山口県下関市)
対戦宮本武蔵 対 佐々木小次郎
勝敗宮本武蔵の勝利

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘

巌流島にある宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像
出典:関門時間旅行

巌流島の戦いは慶長17年(1612)4月13日に船島(後に巌流島に改名)で行われた宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘です。1935年に発行された吉川英治氏の小説『宮本武蔵』で一躍武蔵が有名になったことで、自然に巌流島の戦いも注目を浴び、佐々木小次郎も人気となりました。

巌流島の戦いが起きた原因

弟子たちの譲れない誇りが戦いを招いた

宮本武蔵と佐々木小次郎はどうして巌流島で戦ったのでしょうか?戦いの原因は宮本武蔵と佐々木小次郎の弟子たちの口論により、どちらが強いか勝敗を決めることになったからでした。

佐々木小次郎は剣術の流派・巌流を創設し、小倉藩の剣術指南役を務めていました。そんな彼のもとに、二天一流を創設した宮本武蔵が新たな剣術指南役として雇われます。

互いに剣術指南役で、かつ剣の腕が立つということもあり、弟子たちの間で2人の優劣を決める口論が勃発。これを止めるために武蔵と小次郎は巌流島で戦うことになりました。

巌流島の戦いの背景には政治的陰謀も

佐々木小次郎を雇用した小倉藩主・細川忠興
出典:Wikipedia

また、巌流島の戦いの原因には小倉藩の政治的陰謀も隠れていました。関ヶ原の戦いの後、小倉藩を治めることになった細川忠興は、剣術指南役で佐々木小次郎を登用します。

これは天正15年(1587)に起きた豊前国人一揆で豊臣軍に対抗した豪族・佐々木家を懐柔する思惑がありました。細川家のもとで重宝されましたが、弟子を増やしていく小次郎に細川家重臣たちは、いつか反乱を起こされるのではないかと危機感を覚えていきました。

そこで重臣たちは吉岡一門を壊滅させた宮本武蔵を召喚。2人の弟子たちをけしかけたことで決闘の藩命が下り、戦いをしなければならない状況を作り出しました。

さらに戦いの地に巌流島を選んだ理由は、小十郎が武蔵に敗れた際、逃げられる環境を作らせないためでした。

巌流島の戦いの勝敗は?

宮本伊織が残した小倉碑文
出典:Wikipedia

巌流島の戦いは宮本武蔵の勝利で幕を閉じます。戦いの様子は武蔵の養子・宮本伊織が記した『小倉碑文』によると、

「電光猶ほ遅きが如し」

とあり、目にも止まらぬ速さで佐々木小次郎を倒したことがわかります。

巌流島の戦いにおける主要人物

宮本武蔵

二天一流創始者・宮本武蔵
出典:Wikipedia

宮本武蔵は江戸時代の剣術家で、2振りの刀を使用する二天一流の創設者でもあります。武蔵が生前著した『五輪書』は海外でも読まれている名著です。

天正12年(1584)に生まれた武蔵は13歳で初めての決闘に勝利したことを契機に、29歳までには約60回に及ぶ戦いに、すべて勝利しました。特に21歳の時に戦った天下の兵法者とされる吉岡一門との戦いは、吉川英治氏の『宮本武蔵』をはじめ、多くの作品に影響を与えています。

また、武蔵は宝蔵院流槍術の使い手・奥蔵院日栄、鎖鎌の使い手・宍戸某、柳生新陰流の使い手・大瀬戸隼人、辻風左馬助とも戦いました。しかし、事実に乏しく、創作ではないかと疑問視もされています。

決闘での戦いもさることながら、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは黒田官兵衛に従い東軍として戦い、慶長19年(1614)にかけて行われた大坂の陣では、水野勝成の客将として戦ったこともあり、大人数の戦いでも活躍を見せました。

佐々木小次郎

佐々木小次郎の秘剣・燕返しは一乗滝で編み出した
出典:Wikipedia

佐々木小次郎は江戸時代に活躍した剣豪です。豊前国田川郡副田庄(現在の福岡県田川郡添田町)の豪族佐々木家のもとで生まれ、山伏の修行によって18歳で巌流を創設しました。ちなみに巌流の名は佐々木家の居城だった岩石城からつけています。

その後は小倉藩の剣術指南役として抜擢されました。小次郎は戦国時代の剣豪・富田勢源の弟子だったこともあるので、慶長17年(1612)に行われた巌流島の戦い時の年齢は、少なくても50歳を過ぎていたと考えられています。

巌流島の戦いが起きた経緯

門弟たちの口論から戦いへ

この口論には小倉藩の陰謀もあった

巌流島の戦い当時、小倉藩には佐々木小次郎と宮本武蔵、2人の剣術指南役がいました。佐々木小次郎は巌流を創設した剣豪、宮本武蔵は数々の戦いで勝利した無双の剣豪。

武蔵、小次郎共に強かったことで、2人の弟子たちはどちらが強いか口論を起こしてしまいます。そして、口論はやがて2人の決闘で決着をつけることになり、巌流島で雌雄を決しました。

刀と櫂の戦い

宮本武蔵が使用した木刀と佐々木小次郎が使用した刀の再現
出典:小倉城ものがたり

巌流島の戦い時、佐々木小次郎は刃渡り約1メートルもある備前長光を使用し、武蔵は船の漕ぎ手からもらった櫂(オール)の手元を削って、約90センチと約50センチの木刀にして使用します。

武蔵が刀を使わず木刀を使用していた理由は、人を殺すことを嫌っていたからでした。数々の決闘でも木刀を使用した武蔵は、巌流島の戦いでも櫂を用いた木刀を使用しました。

勝者は宮本武蔵

宮本武蔵は目にもとまらぬ速さで佐々木小次郎を倒した
出典:関門時間旅行

巌流島の戦いは雷よりも早い一撃を浴びせた宮本武蔵の勝利で終わりました。それ以降、舟島と呼ばれていた戦いの場所は、佐々木小次郎のお墓を作ったことで、小次郎が創設した流派・巌流にあやかり「巌流島」と呼ばれました。

巌流島の戦いにおける3つの真実

巌流島の戦いは創作が入り混じった部分も多くあります。ここでは実際に巌流島の戦いで起こった真実を紹介していきたいと思います。

真実1:宮本武蔵は戦いに遅刻していなかった

宮本武蔵は時間通りに巌流島に着いていた
出典:Wikipedia

巌流島の戦いは宮本武蔵が2時間以上遅刻して佐々木小次郎を怒らせたことが一般的となっています。しかし、実際には遅刻していませんでした。

武蔵の養子・宮本伊織が残した『小倉碑文』には

「両雄同時に相会し」

とあり、武蔵は遅刻していなかったことがわかります。武蔵の遅刻が定着した要因は、吉川英治氏の小説『宮本武蔵』での描写が背景にありました。

真実2:佐々木小次郎は宮本武蔵の弟子たちに撲殺された

佐々木小次郎は律儀に約束を守った
出典:Wikipedia

一対一の戦いであった巌流島の戦いに、宮本武蔵は弟子たちを巌流島に忍ばせていました。そして、武蔵が佐々木小次郎を倒した後、弟子たちは起き上がってきた小次郎を袋叩きにしました。

武蔵の弟子たちによって小次郎が殺害されたので、報復のために小次郎の弟子たちが武蔵を殺そうとします。しかし、武蔵は門司城(巌流島の対岸)にいた城代・沼田延元を頼ったことで、難を逃れます。

その後、延元の護衛のもと、武蔵は父がいる豊後国(現在の大分県)まで無事に戻りました。

真実3:佐々木小次郎は生涯一度も姓を名乗らなかった

狂言『敵討巖流島』で大谷友右衛門演じる佐々木巌流
出典:Wikipedia

巌流島の戦いで宮本武蔵と戦った佐々木小次郎ですが、一度も佐々木姓を名乗ったことはありませんでした。『小倉碑文』には巌流と、沼田延元の子孫が残した『沼田家記』には小次郎と記されているだけで姓に触れていません。

しかし、佐々木小次郎として姓名が定着したのは安永5年(1776)に書かれた『二天記』からです。その頃には狂言や人形浄瑠璃で巌流島の戦いを扱った作品が多く上映され、そこでの小次郎は佐々木巌流の名で登場していることから、佐々木姓を採用したと考えられます。

巌流島の戦いに関するまとめ

今回は、巌流島の戦いについて解説しました。

巌流島の戦いは宮本武蔵と佐々木小次郎の名を有名にした戦いと言っても過言ではありません。また、有名であるがゆえに創作により、史実での様子を歪められている戦いでもあります。

しかし、このような背景があるからこそ、巌流島の戦いは宮本武蔵や佐々木小次郎のイメージを定着させたことも事実。歴史には良い面も悪い面も両方あるので面白いですね。

この記事を通して、巌流島の戦いについて興味や関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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