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松原みきの死因は?死後「真夜中のドア」がリバイバルヒットした理由も解説

「松原みきってどんな人?」
「松原みきっていつ亡くなったの?」
「松原みきの死因って?」

松原みきさんは「真夜中のドア」のヒットなどで知られる、日本のシティポップを代表するアーティストです。1970年代後半から1980年代にかけて活躍し、洗練されたサウンドと魅力的なハスキーボイスで多くのファンを魅了しました。

松原みきさん
出典:Hanatane Music

そんな松原さんは2004年10月7日に44歳という若さでこの世を去っています。あまりにも早すぎる突然の死に、多くのファンが悲しんだと言います。

この記事では松原みきさんの死因や、死後の影響や出来事を紹介します。

松原みきの死因

死因は子宮頸がん

松原みきさんが亡くなった原因は子宮頸がんでした。

子宮頸がんは子宮の入り口付近にできる「がん」のことで、ヒトパピローマウイルスによる感染が主な原因です。発見しやすいがんの一つとしても知られていて、検診や検査によって早期発見できれば比較的治療しやすく生存率の高いがんです。

予防法としてはHPVワクチンの摂取があげられます。HPVワクチンはヒトパピローマウイルスによる感染を防ぐことができ、12歳ごろからの接種が推奨されています。もともと12歳から16歳の女子が接種対象でしたが、2020年より男子への接種も対象とする方針に変わりつつあります。

松原みきさんの子宮頸がんが発見された時には、もうだいぶ病状が進んでいたのでしょう。治療しやすく生存率の高いがんとは言われていますが、発見の遅れは致命傷です。検診や検査による早期発見が望まれます。

3年間の闘病生活

闘病生活を送る病院のベッド
出典:LIFULL介護

松原みきさんは2001年にがんを告知されてから2004年10月7日に亡くなるまで、約3年間にわたって闘病生活を送りました。

子宮頸がんの治療はその他のがんと同様に、初期の場合がんに対する縮小手術や切除手術、進行したがんには放射線治療と抗がん剤治療が基本です。再発を防ぐため治療後も数年間は定期的な診察・検査の実施が推奨されています。

松原さんはがんが発覚してすぐ、音楽活動をすべて休止して治療に専念します。がんの進行度はステージ4でいわゆる末期がんでした。闘病生活の中で一度は良性の腫瘍に変化するなど良好な経過をたどったこともありしたが、最終的には病魔に勝てず亡くなってしまいます。

治療のため気功に通っていた

松原みきさんは治療の一環で気功にも通っていたと言います。

がんの治療には放射線治療と抗がん剤治療以外にも、ヨガや気功、食事療法のような民間療法もあります。これらの治療法は科学的根拠がないため結果を保証できるものではありませんが、効果を期待して試す人も少なくありません。

松原さんはステージ4の診断を受けたあと、気功治療院にも通っていました。1年間ほど通っていたらしく、治療院の方が当時の様子をブログに書いておられます。ステージ4のがんにもかかわらず、小柄で元気の良いきれいな人だったとブログにはつづられていました。

1年ほどで気功治療院には顔を見せなくなったようで、その後は霊媒師の基に通っていたとされています。

松原みきが亡くなった影響

ファンの反応は?

驚きの反応
出典:FAIR Work in Japan

松原さんの死去を伝える報道があったのは2004年12月14日でした。しかし実際に亡くなったのは2004年10月7日で、2カ月も前に松原さんが亡くなっていたことにファンは驚いたと言います。

ジャズシンガーだった母親の影響で幼少期からジャズに親しんでいた松原さんは、魅力的なハスキーボイスと恵まれた容姿で多くのファンをとりこにしました。松原さんは亡くなったとき44歳という若さだったため、あまりにも早い訃報に多くのファンが悲しんだと言います。

トリビュートイベントが開催されている

クラブイベント
出典:Wikipedia

松原さんが歌う楽曲の音楽性はシティポップと呼ばれ、洗練されたサウンドとダンサブルなリズムが特徴です。そのため一般のリスナーだけでなく、耳のこえたミュージシャンやDJにも好まれて人気がありました。

現在でもそんな松原さんの楽曲をライブハウスなどで演奏するトリビュートライブや、DJによるクラブイベントが全国各地で行われています。

松原みきの死後に「真夜中のドア」がリバイバルヒット

松原みきのデビュー曲「真夜中のドア」

「真夜中のドア」のジャケット
出典:SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !

「真夜中のドア」は1979年11月5日にリリースされた、松原さんのデビューシングルでした。作詞を 三浦徳子さん、作曲を林哲司さんが担当しています。オリコンチャートで最高28位に入り、レコード会社の発表によると累計30万枚のセールスを記録しました。

この楽曲のレコーディングに参加したミュージシャンも凄腕ぞろいです。キーボードに渋井博、ベースに後藤次利、ドラムに林立夫、ギターに松原正樹、パーカッションに穴井忠臣、サックスにジェイク・H・コンセプションという、知る人ぞ知るスタジオ・ミュージシャンたちによる演奏でした。

海外で人気を集める日本のシティポップ

シティポップを代表するアーティストの山下達郎さん&竹内まりやさん夫妻
出典:BARKS

インターネットの普及とストリーミングやYouTubeなどの進化により、音楽の楽しみ方に大きな変化が現れます。それまで耳にすることのなかった音楽も、聴くことができるようになったのです。

2000年代になると海外で日本のシティポップへの関心が高まり始めます。その多くは1970年〜80年にかけて発表された作品で、ストリーミングやYouTubeで軒並み凄まじい再生回数を記録しました。また当時のアナログ盤が次々と再発され、人気の作品などは入手困難となっています。

また2010年ごろからブームとなった「Future Funk」や「Vaporwave」に、日本のシティポップがサンプリングの元ネタとして使用されたこともシティポップの評価につながりました。

2017年にはYouTubeに非公式に公開されていた竹内まりやさんの「プラスティック・ラヴ」の再生回数が、2400万回以上を記録し話題となっています。

2019年には韓国の音楽プロデューサー兼DJで「Future Funk」の代表的なアーティストであるNight Tempoが、「昭和グルーヴ」シリーズと銘打って日本の昭和歌謡やシティポップの楽曲を公式にリエディットし反響を呼びました。

レイニッチのカバーで大ヒット

レイニッチ
出典:BARKS

「真夜中のドア」のリバイバルヒットのきっかけとなったのが、YouTubeに投稿されたレイニッチによるカバー動画でした。

レイニッチは主に洋楽や邦楽のカバー動画を公開するインドネシア出身の女性YouTuberです。世界的アーティストであるドージャ・キャットやザ・ウィークエンドなどのアーティストに絶賛されたことで注目を集め、チャンネル登録者数が150万人を超える人気YouTuberとなりました。

そんなレイニッチが「真夜中のドア」のカバー動画をYouTubeに投稿したのが2020年10月で、瞬く間に再生回数が伸び世界中の人々に「真夜中のドア」が知られていきました。

その結果、原曲である松原みきさんの「真夜中のドア」にも注目が集まり、世界のApple Music J-Popランキングにおいて12カ国で第1位を獲得しました。またSpotifyグローバルバイラルチャートで15日間連続して世界1位を記録しています。

これほどまでに日本の音楽が世界に浸透したのはおそらく初めてではないでしょうか。「真夜中のドア」のリバイバルヒットは、発売から40年の時を経ての快挙と言えるでしょう。

松原みき死因に関するまとめ

いかがでしたか?

松原みきさんは44歳という若さで子宮頸がんにより亡くなりました。3年間にわたる闘病生活は、決して楽なものではなかったはずです。音楽業界からも離れなければならず、さぞつらかったことでしょう。

子宮頸がんはがんの中でも発見しやすく、生存率の高いがんだと言われています。しかしそれも早期発見あってこそです。

みなさんにもいざという時のためにぜひ健康診断、がん検診の受診をおすすめします。

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