松原みきが亡くなった影響
ファンの反応は?
松原さんの死去を伝える報道があったのは2004年12月14日でした。しかし実際に亡くなったのは2004年10月7日で、2カ月も前に松原さんが亡くなっていたことにファンは驚いたと言います。
ジャズシンガーだった母親の影響で幼少期からジャズに親しんでいた松原さんは、魅力的なハスキーボイスと恵まれた容姿で多くのファンをとりこにしました。松原さんは亡くなったとき44歳という若さだったため、あまりにも早い訃報に多くのファンが悲しんだと言います。
トリビュートイベントが開催されている
松原さんが歌う楽曲の音楽性はシティポップと呼ばれ、洗練されたサウンドとダンサブルなリズムが特徴です。そのため一般のリスナーだけでなく、耳のこえたミュージシャンやDJにも好まれて人気がありました。
現在でもそんな松原さんの楽曲をライブハウスなどで演奏するトリビュートライブや、DJによるクラブイベントが全国各地で行われています。
松原みきの死後に「真夜中のドア」がリバイバルヒット
松原みきのデビュー曲「真夜中のドア」
「真夜中のドア」は1979年11月5日にリリースされた、松原さんのデビューシングルでした。作詞を 三浦徳子さん、作曲を林哲司さんが担当しています。オリコンチャートで最高28位に入り、レコード会社の発表によると累計30万枚のセールスを記録しました。
この楽曲のレコーディングに参加したミュージシャンも凄腕ぞろいです。キーボードに渋井博、ベースに後藤次利、ドラムに林立夫、ギターに松原正樹、パーカッションに穴井忠臣、サックスにジェイク・H・コンセプションという、知る人ぞ知るスタジオ・ミュージシャンたちによる演奏でした。
海外で人気を集める日本のシティポップ
インターネットの普及とストリーミングやYouTubeなどの進化により、音楽の楽しみ方に大きな変化が現れます。それまで耳にすることのなかった音楽も、聴くことができるようになったのです。
2000年代になると海外で日本のシティポップへの関心が高まり始めます。その多くは1970年〜80年にかけて発表された作品で、ストリーミングやYouTubeで軒並み凄まじい再生回数を記録しました。また当時のアナログ盤が次々と再発され、人気の作品などは入手困難となっています。
また2010年ごろからブームとなった「Future Funk」や「Vaporwave」に、日本のシティポップがサンプリングの元ネタとして使用されたこともシティポップの評価につながりました。
2017年にはYouTubeに非公式に公開されていた竹内まりやさんの「プラスティック・ラヴ」の再生回数が、2400万回以上を記録し話題となっています。
2019年には韓国の音楽プロデューサー兼DJで「Future Funk」の代表的なアーティストであるNight Tempoが、「昭和グルーヴ」シリーズと銘打って日本の昭和歌謡やシティポップの楽曲を公式にリエディットし反響を呼びました。
レイニッチのカバーで大ヒット
「真夜中のドア」のリバイバルヒットのきっかけとなったのが、YouTubeに投稿されたレイニッチによるカバー動画でした。
レイニッチは主に洋楽や邦楽のカバー動画を公開するインドネシア出身の女性YouTuberです。世界的アーティストであるドージャ・キャットやザ・ウィークエンドなどのアーティストに絶賛されたことで注目を集め、チャンネル登録者数が150万人を超える人気YouTuberとなりました。
そんなレイニッチが「真夜中のドア」のカバー動画をYouTubeに投稿したのが2020年10月で、瞬く間に再生回数が伸び世界中の人々に「真夜中のドア」が知られていきました。
その結果、原曲である松原みきさんの「真夜中のドア」にも注目が集まり、世界のApple Music J-Popランキングにおいて12カ国で第1位を獲得しました。またSpotifyグローバルバイラルチャートで15日間連続して世界1位を記録しています。
これほどまでに日本の音楽が世界に浸透したのはおそらく初めてではないでしょうか。「真夜中のドア」のリバイバルヒットは、発売から40年の時を経ての快挙と言えるでしょう。
松原みき死因に関するまとめ
いかがでしたか?
松原みきさんは44歳という若さで子宮頸がんにより亡くなりました。3年間にわたる闘病生活は、決して楽なものではなかったはずです。音楽業界からも離れなければならず、さぞつらかったことでしょう。
子宮頸がんはがんの中でも発見しやすく、生存率の高いがんだと言われています。しかしそれも早期発見あってこそです。
みなさんにもいざという時のためにぜひ健康診断、がん検診の受診をおすすめします。