江戸時代の花魁(遊女)の避妊方法は?妊娠した場合の処遇も解説

「江戸時代の花魁はどうやって避妊してたの?」
「妊娠したらどうしていたんだろう…」

花魁について、このような疑問を抱いている方も多いかと思います。花魁は遊郭の遊女の中でも位が高い女性のことを指し、現在でいう「高級娼婦」「高級愛人」という職業の女性でした。花魁は美貌と教養を兼ね備えており、その上煌びやかな衣装や髪型は当時の流行を作るファッションリーダー的な存在でもあったといいます。

華やかな衣装に身を包んだ花魁は庶民の憧れの的だった
出典:京都の花魁体験studioあられ

そんな華やかに見える花魁ですが性を売る職業である限り、やはり避妊の問題が出てきます。この記事では、花魁を含めた遊女がどのような避妊をしていたのか、もし妊娠したら?など「遊郭の闇の部分」に焦点を置いて解説していきます。

花魁とは何をする人?仕事内容や避妊方法、実在した人物を簡単に紹介

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

花魁(遊女)の避妊方法は?

花魁ももちろん避妊をしていた
出典:Wikipedia

花魁を含めた遊女は、お客を取る際に避妊していました。しかし江戸時代は現在のように妊娠のメカニズムが分かっていないために、今では考えられない避妊方法を取っていました。望まない妊娠を避けるために、遊女はどのように避妊していたのかを解説します。

詰め紙

吉野和紙は吉野(奈良)で作られた非常に高級な和紙だ
出典:中川政七商店の読み物

一番普及していた避妊方法が、和紙を膣に詰めて精液の侵入を防ぐという方法です。吉野和紙という高級和紙を唾で丸めて、現在のペッサリーのように使っていました。この方法は「上げ底」と呼ばれ、事後底を取り出して洗浄するのが一連の流れだったといいます。

洗滌(せんでき)

溜めておいた湯で洗浄するのが遊女の避妊の一つだった

遊女たちに最も行われた方法は「洗滌(せんでき)」でした。洗滌とは膣を洗浄することで、花魁のような高級遊女は他の避妊と並行して行っていました。避妊具を使うには道具代がかかるために、どの遊女でも利用できる方法でもあったのです。

遊女用の浴室や便所には、必ず洗滌が出来る場所がありました。予め洗滌にお湯を桶に汲んでおき事後に洗滌して膣の中にある精液を洗い流したのです。しかしこの方法は避妊の効果はあまり期待できないのが実情ですが、洗滌することにより性病への感染予防する意図もあったといわれています。

避妊薬「朔日丸」を宣伝した行灯
出典:江戸ガイド

江戸時代末期頃に、「避妊薬」が登場しました。種類は「朔日丸」や「天女丸」などがありました。

朔日丸は毎月一日に飲むと避妊効果があるといわれましたが、現在の価格で7千円という高価なものだったそうです。

また「天女丸」という薬は、避妊効果と生理不順に効果があり、服用をやめればすぐ妊娠できるという現在だと詐欺まがいな商品でした。この薬も3000円くらいしたということです。どちらの薬も花魁を含めた遊女はもちろんのこと、庶民の間でも非常に売れていたといいます。

お灸

江戸時代2月2日に臍の下にお灸をすると妊娠しにくくなるといわれていた
出典:Wikipedia

江戸時代は2月2日に臍の下にお灸をすえると妊娠しにくいというジンクスがあったそうです。そのため、遊郭では毎年2月2日に花魁から下級遊女までみんなお灸をすえたといいます。医学が発達していない江戸時代は、こういった験担ぎも立派な避妊の一つだったのです。

妊娠しにくい体にする

水銀は摂取すると非常に危険だが当時は避妊のために服用されていた
出典:Wikipedia

驚くべき方法ですが、毒を飲んで中絶し妊娠しにくい体にするという方法もありました。水銀や麦角菌(ばっかくきん)という麦に含まれている菌を服用し、流産を促すようにしていたといいます。しかし水銀も麦角菌も毒素が強く、命を落とす遊女も少なくなかったといいます。

もし遊女が妊娠したら?

妊娠する遊女も多くいた
出典:Wikipedia

しっかりした避妊方法が確立していないため、当然妊娠する遊女は多くいました。もし遊女が妊娠したらどうしたのかを解説します。

堕胎し命を落とす遊女もいた

中条流とは堕胎専門の医者の事をいった
出典:江戸ガイド

遊女が妊娠した場合、ほとんどが中絶しました。「中条流」と呼ばれる中絶の流派が吉原遊郭などで、江戸末期には確立していたといいます。もし妊娠したら遊女たちは、中条流の医者の所に足を運んでいたそうです。

方法は鬼灯(ほおずき)を煎じた薬や、水銀と米粉を合わせた薬を服用していました。鬼灯は子宮を収縮させる作用があり、中絶に利用されていたのです。

鬼灯の毒を中絶するために飲んでいた

また病院にいかずに、団子などに使われる串で無理やり子宮の中を書き出すという乱暴な方法で中絶していたといいます。このような乱暴な中絶をしたために、出血多量で命を落とす遊女もいました。しかし中絶が成功すると、二度と妊娠できなくなり遊女にとっては究極の避妊というかなり酷い価値観だったのです。

出産した場合はその子供も遊女に

花魁が産んだ子が女の子だったら花魁候補として禿となるのが一般的だった(一番左が禿)
出典:Wikipedia

かなり少数ではありますが、花魁などの高級遊女は出産が許される人もいました。その場合もし生まれた子が女の子であれば遊郭で育てられ、10歳になると将来の花魁候補として禿となったといいます。またもし男の子だったならば、牛太郎など遊郭の下働きになったようです。

遊女がかかりやすかった病気とは?

遊女は睡眠も不規則であり非常に過酷な状況だった
出典:Wikipedia

遊女は多くの人と接す職業であり、あまり運動せず生活も不規則だったために非常に病気に感染しやすい環境でした。そのため病気で命を落とす遊女も多く30歳まで生きれた人は僅かだったといいます。そんな過酷な環境で、どのような病気に感染していたのかを紹介します。

梅毒などの性病

梅毒の症状、当時は治療法のない恐れられた病だった
出典:Wikipedia

遊女の間でもっとも流行っていた病気はやはり性病でした。江戸時代の遊女は避妊具がなかったために、避妊具なしで不特定多数の男性と関係を持たざるえませんでした。性感染症でも特に猛威を振るったのが「梅毒」で、当時は有効な治療法もなかったために死亡する遊女が多くいました。

梅毒は末期になると「ゴム腫」という腫瘍が全身にでき、そこが壊死して崩れていきます。「梅毒になると鼻が落ちる」といいますが、ここまで進行すると当然見世に出ることもできず、死亡してしまうことがほとんどだったといいます。

肺結核などの感染症

特に肺結核は致死率が高く非常に恐れられた病だった

性病以外に遊女がよくかかった病が「肺結核」などの感染症です。肺結核も非常に致死率が高く、治療法もないために非常に恐れられた病で、幕末の志士高杉晋作や新撰組の沖田総司、歌人の正岡子規など有名な人物も肺結核で死去しています。

遊女であるからかかりやすいというわけではありませんが、不特定多数の人と接する仕事のために感染する可能性は高かったのです。当時の肺結核の治療は、栄養があるものを食べて自然治癒力で治すことだったのですが、遊女は満足な食事を取ることもできず休養すると借金も増えるため無理することも多くかかれば悪化してしまうことが多かったといわれています。

「梅毒」が治った遊女は一人前!?

梅毒を経験したら一人前という今では考えられない価値観だった
出典:Wikipedia

当時梅毒は軽快しても完治は難しい病でした。その一方で梅毒を経験した遊女は妊娠・出産がしづらい体質となり、病気で痩せこけて青白い肌になるために「遊女としての格があがった」「一人前の遊女になった」といわれたそうです。

他にも梅毒を克服した女性は縁起が良いとして、お客に人気が出たという話も伝わっています。避妊の験担ぎにもいえますが、確固たる方法が無かった当時そういったジンクスが出てきたのではないでしょうか。

花魁の避妊に関するまとめ

今回「花魁や遊女の避妊問題」という遊郭の闇部分に焦点を当てて執筆しましたが、遊女の体を壊すような乱暴な避妊方法が多かったことに驚いています。自分が「妊娠出来ない体にする」という驚くべき方法で、多くの遊女たちが命を落とした事実も歴史の一部です。

華やかな部分が目立つ花魁ですが、影ではこういった事実があったことをこの記事を読んで知ったという方がいれば嬉しく感じます。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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