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金子みすゞの死因は自殺?理由や遺書、死後の影響も簡単に紹介

優しい文章で読者の心に寄り添う作風が特徴の金子みすゞの詩。誰もが一度は読んだ経験があるのではないでしょうか。

しかし、親しみやすい作風とは裏腹に、弱冠26歳の若さで金子みすゞは自ら命を絶っています。あまりにも短いその生涯に

「どうして自ら命を絶ってしまったの?」
「自殺の背景に何があったの?」

と疑問のある方もいるはず。

そこでこの記事では、金子みすゞの死因を理由から遺書、死後の影響や代表作品も交えて詳しく解説します。

金子みすゞの詩をこよなく愛する著者とともに彼女の最期に迫っていきましょう。

金子みすゞの死因は「服毒自殺」

金子みすゞ
出典:wikipedia

金子みすゞの死因は服毒自殺です。1930年3月10日、睡眠薬を飲みその生涯を自ら閉じました。26歳という若さでした。

写真は自ら亡くなる前日に一人で撮影しに行った時のものだと言われています。撮影した後に、母と4歳の娘・ふさえと3人で神社に行き、桜餅を食べてあたたかい時間を過ごします。その後、娘をお風呂に入れ、ぐっすり眠った娘の寝顔を見て「かわいい顔して寝とるね」とつぶやきました。これが最期の言葉だったようです。

枕元に自身が写った写真の預り証と、3通の遺書を置き残し大量の睡眠薬を服薬。そのまま亡くなりました。

金子みすゞが自殺した理由

亡くなる直前に撮られた写真の一枚
出典:長門市

秀逸な詩人であり、母親でもあった金子みすゞですが、なぜ自ら命を絶ったのでしょうか。詳しく理由を解説します。

結婚生活の崩壊

みすゞの父が経営した上山文英堂
出典:pinterest

みすゞは1926年に、父の経営する山口県下関にある上山文英堂の店員・宮本啓喜(みやもとけいき)と結婚します。しかしこの夫は、みすゞの実弟・正祐と不仲であり、次第にみすゞの父から冷遇されるようになりました。

さらに、夫・啓喜は浮気癖の激しい性分の持ち主でした。自身が持っていた淋病(性病の一種)をみすゞへ感染させるなどの問題が数々目立ちます。その上、みすゞの創作活動や詩人との交流を断絶するように要求。普段はおとなしかったみすゞでしたが、とうとう離婚を申し出る決意をしたのです。

この時からみすゞの苦労は絶えず、心身の不調に蝕まれていたことが予想されます。

娘の親権争い

金子みすゞの娘・上村ふさえさん
出典:山口県・長門市・今が旬

みすゞが自殺する直接的な原因は、夫に娘の親権を奪われてしまうことでした。

みすゞと啓喜の間には一人娘・ふさえがいました。正式な離婚が決定したときに、みすゞは「娘を手元で育てたい」と要求します。一度はその願いを受け入れてもらえたものの、夫・啓喜はその考えを翻して再び娘の親権を要求してきました。

当時は離婚した後の子供の親権は父親が持つのが一般的な考え。子供を連れに来られた暁には、必ず父親に引き渡さなければならないという厳しいルールが根強くある時代でした。そのような時代背景も大きく影響し、娘を手元で育てられないことを悟ったみすゞは深く絶望し、自殺することを決意します。そして娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を残して亡くなりました。

金子みすゞが残した遺書

金子みすゞが書いた遺書は3通
出典:アントレ

みすゞは自殺する間際に3通の遺書を残しました。

1通は夫・啓喜に宛てたもの。「あなたがふうちゃんにしてあげられるの はお金であって、心の糧ではない。どうか私を育ててくれたように、母にふうちゃんを預けてほしい」という内容でした。穏やかなみすゞからは想像のつかないような辛辣な言葉が、みすゞの心を物語っています。

2通目は母へ宛てたもの。「くれぐれもふうちゃんのことをよろしく、今夜の月のように、私の心も静かです」という文章でした。自分が愛情深く育ててもらったように、母親にふさえのことを託したかったことが強く理解できます。

3通目が弟の正祐に宛てたもの。「さらば 我らの選手 勇ましく往け」という言葉でした。弟・正祐は、みすゞの結婚を終始反対しており、みすゞにとっては味方のような存在だったのではないでしょうか。

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金子みすゞの死後

今でも多くの人から愛される金子みすゞの詩
出典:金の星社

金子みすゞの詩は、その死後50年ほど日の目を浴びることなく忘れられていました。しかし、詩人の矢崎節夫たちの努力により遺稿集が発掘され、書籍化されます。そこから金子みすゞの詩は瞬く間に有名になり、多くの読者を持つようになりました。

さらに出版化に伴い、多くの音楽家によって童謡、歌曲、合唱曲として広く作曲されるようになりました。平易な文章で書かれた詩は子供が歌うのにふさわしいものと評価され、主に小学生を対象にした楽曲として広がりを見せています。また、NHK「みんなのうた」でも放送されるなど、大きな人気を博しているのも特徴です。

金子みすゞの代表作品

今もなお金子みすゞの詩は多くの人に愛されている

金子みすゞが残した詩にはどのような作品があるのでしょうか。不条理な現実に抗いつつも若い年齢で亡くなった金子みすゞですが、彼女は日常に潜む様々な感情を鮮やかに言語化させる美しい世界観と才能を持っていました。その魅力的な有名作品を紹介します。

「わたしと小鳥と鈴と」

鳥をモチーフに一人ひとりの良さを尊んだ

「私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。」

この詩は国語の教科書に最も多く掲載される詩。読んだことのある方は多いのではないでしょうか。

小鳥、鈴、そして私という全く異なる存在を比較しながら、それぞれの良い部分を尊ぶ文章は幼い読者の道徳観を育てる可能性を高く孕んでいます。「みんな違う」観点だけではなく「みんないい」としているところに、自分の存在を認められるような優しさを感じますね。

「大漁」

生と死を包含する海を詩にした

「朝焼け小焼けだ、大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ。

浜は祭りのようだけど、
海の中では何万の、
鰮のとむらいするだろう」

子供の時、大漁の魚が揚がったのを見るとどこかワクワクとした感情が湧き上がってきた経験はないでしょうか。一見、この詩はそんな感情を歌っているように思いますが、後半は海の中でまだ生きている魚の心情へ視点が移行します。

「とむらい」という死を表す言葉を使って命の大切さを読者に訴えかけているこの詩。そのシリアスな内容を説教くさく記さず柔らかな表現で綴っており、金子みすゞの表現力の高さが窺われる詩です。教育現場では、食べ物の命について考える時に読む教材として多く詠まれています。

「こだまでしょうか」

震災後にたくさんの傷を癒した詩

「『遊ぼう』っていうと 『遊ぼう』っていう。

『馬鹿』っていうと『馬鹿』っていう。

『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう

そうして、あとでさみしくなって

『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。

こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。」

「こだまでしょうか」は東日本大震災の後にCMで使用された詩。当時の日本人に大きな影響を与えた詩とも言えるでしょう。

「こだま」を用いて言葉のやり取りが繰り返されている様子が描かれています。子供同士の中でこんなシーンはよくありますが、大人同士でもこのような機械的なコミュニケーションが取られることも多いのではないでしょうか。

しかし人間はそんな表面的なコミュニケーションを求めていません。本当は誰でも心と心のキャッチボールを求めているし、行うことができる。そんなメッセージが見え隠れしている詩です。「いいえ、誰でも」の後に続く言葉があえて分からないようにされているのも金子みすゞの表現技巧の高さと言えるでしょう。読者に理解を委ねるような余韻が感じられる詩です。

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まとめ

今回は金子みすゞの死因を理由から遺書、死後の影響や代表作品も交えて詳しく解説しました。

26歳という若さで自ら命を経った金子みすゞの心境や背景を知り、彼女の詩が新たな趣を持って迫ってくるような気分でした。

深く愛する娘を手放さざるを得なかった強い悲しみや夫への複雑な気持ち。そんな不条理な悲しみに裏打ちされた優しい作品の数々は、これからも多くの人の心を打つでしょう。

この記事をきっかけにして、金子みすゞの作品に興味を持っていただけたら嬉しいです。

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