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海外・世界で起きた未解決事件15選!有名な事件を時系列で紹介

世界には未だ解決されていない数多くの未解決事件が存在し、それらはどれも恐ろしい事件ばかりです。

この記事では世界で起きた未解決事件15選を時系列で紹介します。おぞましい事件が多く紹介されていますので、夜閲覧するときは自己責任でお願い致します。

1872年:メアリー・セレクト号事件ーアメリカ

メアリー・セレクト号
出典:Wikipedia

アメリカ船の乗組員が全員失踪した事件です。ニューヨークを出航した船がポルトガル付近で1か月後に発見されましたが、11名いたはずの乗組員が誰もおらず死体もなかったそうです。そして不可解なのは、船内には作りたての朝食があり、コーヒーも湯気が出ていたといいます。また髭をそったと思われる痕も残っていました。

船長べンジャミン・ブリッグズ
出典:Wikipedia

そして航海日誌には最期「妻のマリーが」と走り書きで残されていたそうです。食料はあったものの羅針盤は意図的に壊されており、救命ボートも意図的に降ろされていたといいます。そのため海賊説や事故説などがありますが、今も「最大の謎事件」と語り継がれています。

1892年:リジ―ボーデン事件ーアメリカ

リジー・ボーデン
出典:Wikipedia

1892年に米マサチューセッツ州フォールリバーの名士アンドリュー・ボーデン夫婦が何者かに斧で惨殺された事件です。その容疑者で逮捕されたのが次女のリジーでした。リジーは前妻の間の娘で、継母と財産相続問題で揉めていたそうです。

ボーデン家は現在観光地になっているらしい
出典:Wikipedia

しかし凶器が見つかっていないことと、返り血を浴びた布が見つかっていないために無罪となりました。しかしこの事件は大衆文化の題材となり、子供の間で縄跳びの歌になったりもしました。ハロウィンの時にはコスプレされたりするのが定番となっています。

1922年:ヒンターカイフェック事件ードイツ

殺害された家族
出典:NeeSee

1922年にドイツのバイエルン州の農場で家族5名とメイド1名が殺害された事件です。事件があった「カイフェック牧場」は孤立していた為に、発見されたのが事件が起こったと思われる日から数日後でした。6名は鈍器で殴打されており、屋根裏から凶器と思われるツルハシが発見されています。

農場跡に建てられた犠牲者の慰霊碑
出典:Wikipedia

しかし犯人と思われる足跡が見つかったものの、牧場から出る足跡が見つからなかったために犯人が犯行後どうなったのかわかっていません。一つの説では、犯人は少なくとも6か月前から屋根裏に潜んでいた可能性も指摘されています。

1947年:SSオーラング・メダン号事件ーオランダ

意味不明なモールス信号をアメリカ船が受診したのが発端だった

1947年に起きたオランダの貨物船の乗員が怪死した事件です。「船長を含む全ての士官が海図室と船橋で死んでいる。乗組員全員が死んでいる」という内容のモールス信号をアメリカ船が受信。その後理解不能な信号が続いた後「自分も死ぬ」という不吉な信号が送られてきたといいます。

アメリカ船はマラッカ海峡でオーラング・メダン号を発見。乗り込んでみると全員が死んでいて、恐怖の表情で何かを掴もうとしたような遺体もありました。しかし争った形跡はなかったそうです。その後この船は出火し沈没、結局何もわからず捏造の噂もありました。しかし事件を発表したのが米国湾岸警備隊で嘘をつくメリットがないのも事実です。

1947年:ブラック・ダリア事件ーアメリカ

エリザベス・ショートを発見した人は「マネキンと勘違いした」と証言している
出典:Wikipedia

ブラックダリア事件は、1947年のアメリカ・カルフォルニア州でエリザベス・ショートという女性が殺害された事件です。ショートの遺体は腰の部分から切断され、血を完全に抜かれています。その上口角から耳まで切り裂かれていました。検死の結果、死因は「頭や顔への殴打のショック」であり、死後に切り刻まれていることがわかりました。

カリフォルニア州にあるショートの墓
出典:Wikipedia

あまりにも残虐な殺人だったために、警察は150名もの容疑者を捜査しながらも、逮捕に至っていません。この事件は被害者が好んで黒の服を着用し、髪に「ダリア」をつけていたから「ブラック・ダリア」と呼ばれるようになったそうです。創作作品にも多くの題材となり、小説や映画にもなっています。

1957年:ボーイ・イン・ザ・ボックス事件ーアメリカ

事件直後被害者の身元を探すためのポスター
出典:Wikipedia

1957年にアメリカのペンシルベニア州で起きた事件で、被害者は4~6歳の男子でした。男子は百貨店で販売されているゆりかごの段ボールに毛布に包まれて遺棄されていました。現在も犯人どころか、子供の身元もわかっていません。

少年は非情にも段ボールに入れられて遺棄されていた

有力な説として「未婚の母による死体遺棄説」「虐待説」です。しかし未婚の母説は少年との関連性が発見できずに捜査を打ち切り、虐待説も被疑者とされた女性のアリバイと被疑者の子供を近隣住人が目撃していたために否定され現在も未解決です。

1959年:ディアトロフ峠事件ーソビエト連邦

ディアトロフ峠の被害者慰霊碑
出典:Wikipedia

1959年にロシアのエカテリンブルクにあるウラル工科大学の学生8名、スポーツ指導員1名の合計9名がウラル山脈で遭難した事件です。数週間後捜索隊が入ると切り裂かれたテントを発見。そして9名の遺体を発見しますが、不可解にも衣服は脱いでいたり高い放射線が検出されたりしています。

被害者の発見されたテント
出典:Wikipedia

当時のソ連捜査局員は「抗いがたい自然の力」によって9名は死に至ったと判断しています。しかし近年ドキュメンタリー番組などでこの事件が広く知られるようになり、2018年にロシアが再調査を開始。改めて雪崩説を公表するも、論争は現在も続いています。

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