「西郷隆盛の子孫っているの?」
「子孫はどんなことをしているのだろう?」
西郷隆盛は薩摩藩の志士で、「幕末の三傑」と呼ばれる人物です。薩長同盟を結び王政復古を復活させたりと明治という時代を切り開くのに多大な貢献を残しました。
そんな西郷隆盛ですが、子孫はいるのか?気になりますよね。結論から言うと西郷には子孫がいて、中には誰もが知っている著名人もいらっしゃいます。
この記事では西郷隆盛の家族や子供、そして子孫について家系図付きで紹介します。子孫の現在の活躍も紹介するのでぜひ参考にしてください。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
西郷隆盛に子孫・子供はいるのか?
冒頭でお伝えした通り、西郷隆盛には現在も子孫がいます。西郷隆盛は生涯で3度結婚し、妻との間に5人の子供を儲けています。現在活躍している子孫は、西郷の子供の子孫はもちろんのこと、西郷の弟や妹の子孫も健在であり、親族の集まりは非常ににぎわっているそうです。
西郷の3人の妻とは?
西郷隆盛は生涯で3人の妻を迎えています。西郷の妻たちはどんな女性だったのかを簡単に解説します。
伊集院須賀
1852年に結婚した西郷吉之助(隆盛)の最初の妻です。鹿児島の有力豪族・伊集院の分家と考えられており、実弟に貴族院議員となった伊集院兼寛がいます。しかし西郷家の家計が苦しく、実家の伊集院家から相談があり離縁したといわれています。
その後西郷が元妻の弟・兼寛と不仲になっていないために円満離婚だったと考えられていますが、吉之助は生涯離婚を悔いていたそうです。須賀との間に子供はありませんでした。その後の須賀の詳しい経歴はわかっていません。
愛加那(島での妻)
西郷隆盛が安政の大獄を免れるために奄美大島に身を隠していた時の妻です。実家は琉球王国の血を引く家系で、奄美大島で唯一名字を名乗ることを許されている家でした。西郷が奄美大島に渡った10か月後の1859年に結婚。結婚から3年、愛加那の実家の本拠地である「龍郷」で暮らしています。
1861年に長男・菊次郎を出産。1862年に西郷は許され鹿児島に帰ってしまいますが、藩の決まりで愛加那は連れていけませんでした。その後長女の菊草を出産。子供は西郷が引き取っています。明治になると藩法が無くなったために、西郷から鹿児島に訪れるようにいわれるものの、結局実現する前に西南戦争が起きてしまい会えないまま生涯を終えています。
糸子
薩摩藩家老座書役だった岩山八郎太直温の娘で、西郷の3番目の妻です。西郷との間に寅太郎・午次郎・酉三の3子を儲けています。そして島妻である愛加那が産んだ菊次郎と菊草を引き取り育てました。後に上野公園の西郷隆盛像除幕式で、像を見た糸子が「夫に似ていない」と呟いたことは有名であり、同席していた義弟の従道を困惑させたといわれています。