伊藤博文の死因となった暗殺事件とは?黒幕や真犯人についても解説

伊藤博文を暗殺した真犯人は別にいる?

伊藤博文の暗殺には実は不明な点が多々あり、真犯人は別にいる、もしくは安重根の一派は実行犯に過ぎないとも言われています。いくつかの説を解説していきましょう

韓国併合強硬派による暗殺説

伊藤暗殺には別の誰かが関与している?
出典:mynavi ニュース

伊藤の暗殺を命じたのは韓国併合強硬派によるものという説があります。元々伊藤は国際協調派で、彼の死により韓国併合は加速的に進行したからです。安重根はむしろ韓国併合のアシストをした形となり、黒幕が安重根を体良く利用した可能性もあります。

ただ「その韓国併合強硬派が誰か」という点には答えられない為、この説は推測の域を出ません。

複数犯説

伊藤博文暗殺の真相を語った室田義文(むろたよしあや)
出典:Wikipedia

暗殺事件が起きた時、安重根の他に3人が共犯として捕まっています。ただ今回述べる複数犯とは彼らとは別の者達を指します。伊藤に随行していた室田義文首席随行員は伊藤暗殺から30年後に「当時の事」を話しましたが、それは様々な謎をはらんだものでした。

  • 伊藤の身体から摘出された弾丸は安重根が用いたものではない。
  • 弾丸があけた穴の向きは上向きではなく下向きだった。

安重根は「群衆に紛れて伊藤に発砲した」と供述していますが、それなら銃弾の向きは上向きになる筈です。弾丸の向きが下向きという事は、伊藤のいた位置より高い位置から狙撃した事になります。

室田は真実の究明を求めましたが、日露関係の悪化を恐れた政府により、その声はかき消されました。

アメリカやロシアによる陰謀説

ロシア帝国の国旗
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暗殺にはロシアが関与しているという説もあります。安重根は6発の銃弾を放ったものの、周辺にいたロシア人は誰も負傷していません。伊藤はロシアの要人と会談する予定でハルピン駅に降り立ちますが、この場所を設定したのはロシア側でした。

伊藤は電車から下車したところを狙撃されていますが、この時にロシア兵は整列します。伊藤ら一行は群衆から非常に見やすい位置に配置された事になりますが、ロシア兵の整列を指示したのがロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフだったのです。

日露戦争が勃発する前、伊藤はもともとロシアと協定を結ぼうと考えていました。しかしロシアを警戒するイギリスが日本に同盟を持ちかけた結果、日本は日英同盟を結び、ロシアとの対立は激化したのです。

ロシア側は伊藤の裏切りを恨んでいた可能性があり、暗殺に向けたお膳立てをした可能性もあります。状況的にはおかしくない話ですが、今となっては事件の真相を知る事は難しいでしょう。

伊藤博文が暗殺された時の状況と経緯

続いて伊藤博文暗殺事件の状況について解説します。今回掘り下げるのはあくまで「事件の状況」なので、安重根の人物像や暗殺を考えた経緯、事件後の状況は掘り下げません。いつか安重根の生涯についても解説したいところです。

安重根がハルピンに到着

現在のハルピン駅
出典:Wikipedia

かねてから伊藤博文の暗殺を考えていた安重根と禹徳淳・曹道先の3人は、10月10日〜15日に大東共報社を訪問します。大東共報社はロシアのウラジオストクにある新聞社であり、安重根らは伊藤博文暗殺の必要性を議論して金を無心しました。

彼らはロシア人社長・ミハイルロップと編集長・李剛から軍資金を得ます。その後安重根と禹徳淳は10月21日朝にウラジオストクを出発し、翌日にハルピンに到着しました。彼らがハルピンに向かったのは伊藤博文らがこの地に来るという情報を得たからです。

この時に安重根と禹徳淳はブローニング社製のピストルを携行しています。安重根は仲間と別行動をとっている時に「伊藤博文が10月26日にハルピン駅に降り立つ事」と知り、単独で暗殺する事を決断するのです。

なお、大東共報社のロシア人社長・ミハイルロップは伊藤暗殺の計画を知っていた事になります。これは事件にロシアが関与しているとされる根拠の一つです。

伊藤博文を狙撃する

事件直前の伊藤とココツェフ
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10月26日午前9時、伊藤は外交団を連れてハルビン駅に到着。満州・朝鮮問題についてロシア蔵相・ウラジーミル・ココツェフと会談をする為でした。両者は日本側の電車内で20分ほど会談します。

その後で伊藤ら一行はロシア側の電車で行われる宴に参加する為、電車を降りています。電車を降りた伊藤をロシア兵は整列で出迎えました。伊藤らが列になりロシア要人と握手をする中、安重根はロシア兵の整列の脇から手を伸ばし、伊藤達を狙撃します。

安重根は「顔が黄ばんだ白ひげの背の低い老人」を伊藤と思い、彼に向けて4発の銃弾を発砲。ただ人違いだと一大事であり、老人の中で一番威厳のある人物にも3発発砲。安重根が狙撃対象に選んだ人物は別人でしたが、結果的に3発の銃弾が伊藤に命中します。

最初の4発のうち、1発は伊藤を先導していたハルビン総領事の川上俊彦の右腕から腹部に入ります。彼も重傷を負う中、奇跡的に一命を取り留めました。残りの3発は伊藤の腹部と胸に被弾。伊藤は「三発貰った、誰だ」と呟きました。

その他の銃弾は宮内大臣秘書官・森泰二郎の右腕から肩に命中するものの、彼は軽症。他2名の靴にも銃弾が貫通しています。なおこれは調書による記録であり、発砲当初の報告などとは若干の違いもあります。

伊藤博文最期の言葉

伊藤公遭難当時の見取図
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負傷した伊藤はしばらく息はあり、列車内で止血などの処置を施されます。自分を撃ったのが韓国人だと分かると伊藤は「そうか、馬鹿な奴だ」と一言呟きました。伊藤はやがて衰弱し、狙撃から30分後に亡くなります。

安重根はその場でロシア官憲に逮捕されますが、ロシア語で「韓国万歳」と大声で三唱しました。安重根は朝鮮語を使わなかった理由として「世界の人々に最もわかる言葉を選んだ」と述べています。

日本側の一行はすぐにハルピンを離れる事を決め、伊藤が処置されていた列車は長春に向けて出発。10月28日午前11時に伊藤の亡骸は軍艦・秋津洲に安置されて中国大陸を出港しています。

安重根の身柄の引き渡し

安重根が獄中で書いた遺墨
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一方でロシア側も捜査を進め、安重根に加担したとされる8名がすぐに逮捕。その中には安重根と少し前まで行動を共にしていた禹徳淳・曹道先も含まれました。第二次日韓協約に基づき、裁判は日本によって行われる為、彼らは日本に引き渡されます。

安重根は最初は興奮していたものの、徐々に自分の身元や犯行の動機を話し始めます。後の裁判で安重根は伊藤を殺害した理由として15の理由を列挙します。これは国内外で反響を呼ぶものの、見当はずれなものもあり、歴史認識の違いが浮き彫りになりました。

1910年2月14日に裁判の判決が決まり、安重根は死刑。禹徳淳は懲役3年、曹道先及び劉東夏には懲役1年6ヶ月の判決が下ります。3月26日に安重根の死刑は執行され、最後に彼は臨検する者に「東洋平和のために御尽力する事を願う」と述べたそうです。

しかし、伊藤博文の暗殺により韓国併合は結果的に促進されます。1910年8月29日に大韓帝国は日本に併合され、大韓帝国は消滅するのです。

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伊藤博文の功罪についても触れていますが、著者はあくまで韓国人。やや負の面が多いところではあります。ただこういった本を韓国人が執筆した事に大きな意義があるのかもしれません。

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伊藤博文の暗殺に関するまとめ

今回は、伊藤博文の死因となった暗殺事件を歴史的背景や彼の死がもたらした影響、ささやかれる陰謀論も交えて解説しました。伊藤博文の暗殺について解説しました。彼の死を解説する上では当時の日本や大韓帝国の状況、伊藤博文や安重根の立場や思想についても学ぶ必要があります。

伊藤の暗殺事件は現在も尾を引く根深い問題です。この部分を知る事で近現代史のみならず現在の国際問題への理解も深まる事でしょう。この記事が皆さんの助けに繋がれば幸いです。

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