「脱獄」というと、ドラマや漫画ではおなじみですが、現実では簡単にできるものではありません。しかし、日本でも実際に刑務所から脱獄したという事件が起きているのも事実です。一体彼らはなぜ、どのように脱獄をしたのでしょうか?
この記事では日本における脱獄の現状を解説した上で、実際に起きた刑務所からの脱獄事件を10選紹介します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
日本における脱獄事件の現状
日本は世界から見ると脱獄事件が少ない国といわれています。近年は監視カメラを多く設置して監視システムを強化している刑務所も多いですが、それでも脱獄が起きているのが現状です。では脱獄の現状を解説します。
脱獄人数やペース
実は脱獄が起こるのは珍しいことではなく、平成元年から平成30年の30年間で36人が脱獄しています。平均にすると1年に1人は脱獄しているペースです。中には1年2か月逃げ続けた脱獄者もいました。
脱獄人数は近年1人で逃走する犯人が多い傾向ですが、昭和の戦後の混乱期は50名近くが同時に脱獄した事件もあります。ただし最近のセキュリティーの強化により、昭和時代に比べると格段に脱獄人数は減ってきているようです。
脱獄するとどのような刑罰を受ける?
脱獄をすると「単純逃走罪」が成立し、法定刑は1年以下の懲役となります。また逃走中に施設や拘束器具を破損させた場合や、暴行・恐喝した場合も加重逃走罪が適用されるのです。その場合3か月以上5年未満の懲役が加重されます。
日本で実際に起きた刑務所からの脱獄事件10選
日本で起きた有名な脱獄事件を10件紹介します。
西川寅吉脱獄事件:西川寅吉
西川寅吉は日本で最も脱獄をした人物で、6回の脱獄に成功しており、ドラマ「破獄」のモデルの1人ともいわれています。20年以上の間に、横浜監獄所・三重監獄所・空知集治監(北海道)・樺戸集置監(北海道)の4か所で脱獄しています。
脱獄の手口として初期の横浜監獄所や三重監獄所は、監獄内で仲間を作り看守の目を盗んで逃走し脱獄に成功しました。そして再逮捕後、北海道送りとなり鉄球をつけて収監されていましたが、看守が鉄球をつけるためにかがみこんだ時に蹴りを入れ、牢に閉じ込めてしまい脱獄に成功しています。しかし再度捕まると年齢が高くなったために脱獄しなくなり、最後は模範囚となっていたようです。
広島護送死刑囚脱走事件:貝原喜勢冶・福永友三郎・湊蔵貞・明石章吉
福岡に死刑執行のため死刑囚4名を護送中に、広島県廿日市市にて4名が脱獄した事件です。4名は廿日市警察署の留置所に宿泊しています。その時に隙をついて看守を殴って気絶させて脱走。帯剣を奪い、囚人服のまま逃げ出しました。
そして囚人が近隣の住人を襲っていたところを、違う駐在所の警察官が応戦。重傷を負うものの、貝原と福永の2名を殺害。湊は後に別の警察官が逮捕しますが、明石は消息不明となっています。日本では珍しく死刑囚が脱獄に成功しており、その後時効が成立したと思われます。
白鳥由栄脱獄事件:白鳥由栄
白鳥由栄は4回の脱獄に成功し「昭和の脱獄王」と呼ばれ、ドラマ「破獄」のモデルとなった人物です。白鳥は青森刑務所・秋田刑務所・網走刑務所・札幌刑務所を脱獄しています。服役は26年間で、累計逃亡年数は3年間でした。
脱獄方法も様々で、青森刑務所では針金で作った合鍵を使用し脱獄、秋田刑務所では手製ののこぎりで鉄格子を切断し脱獄します。そして網走刑務所では味噌汁を鍵と手錠と視察孔に何十日と吹きかけ続け、腐食させたうえで関節を脱臼させて脱獄。最後に札幌刑務所では食器で床下にトンネルを掘り脱獄しています。
名古屋少年ヒ首殺人事件:氏名不明
在日韓国人の男性が、ヒ首(つばのない短い刀)で少年を殺害したために名古屋拘置所に収監されますが脱獄。その後消息不明となっていました。しかし事件から数十年たった後に、韓国に密出国していたことが判明。
そのために名古屋地方検察庁は2001年に、事件から56年経ち日本に再入国する可能性も低いとし裁判を打ち切っています。