「豊田商事会長刺殺事件ってどんな事件だったの?」
「テレビに映っていた犯人は今どうしているんだろう?」
豊田商事会長刺殺事件は、1985年に豊田商事という会社の会長・永野一男が、大阪府大阪市の自宅マンションでマスコミたちがいる中、殺害された事件です。
マスコミが囲む中、会長である永野一男を殺害したのは詐欺被害者の上司の2人であり、報道陣の前で事件は起こり、その場で現行犯逮捕されました。この時豊田商事会長を刺殺した犯人の2人はどのような人物なのか?この記事では犯人2人に焦点を絞って解説します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
豊田商事会長刺殺事件とは?
豊田商事は「戦後最大の詐欺事件」といわれる「豊田商事問題」を起こしている会社でした。金の地金を用いた悪徳商法を行い、全国で数万人が被害に遭い、被害総額は2000億円近いと見積もられています。そんな豊田商事の会長が刺殺された「豊田商事会長刺殺事件」とはどういった事件なのか解説します。
豊田商事会長刺殺事件の概要
豊田商事会長刺殺事件とは、会長である永野一男が刺殺された事件です。豊田商事は金の地金を購入させて、現物は会社で預かり証券を代わりに渡すという「現物まがい商法」という詐欺を働いていました。主に身寄りのない年配の方や障害のある方など弱い立場にいる人をターゲットにしており、詐欺により老後の貯えを無くした人も多かったといいます。
悪徳な手口から次第に豊田商事は世間の注目の的となっていき、1985年6月18日に「今日逮捕」ということで会長の自宅がある大阪市のマンションに報道陣が集まっていました。同日の16時半頃に、被害者の元上司と名乗る「飯田篤郎」と「矢野正計」が永野の部屋の前に現れ、「永野に会わせろ」と要求します。
連絡を取るために階下にガードマンが降りている間、2人は元部下の6名から「金はもうええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと報道陣に語っていました。そして玄関横の窓のアルミサッシを蹴破り、窓を割り室内に侵入。永野の頭部などを旧日本軍の銃剣で13か所刺しています。
二人は現行犯逮捕され、永野は腹部を刺されたのが致命傷となり、事件から45分後の17時15分に出血多量で死亡しています。
マスコミ前で刺殺されたことでも有名
豊田商事会長刺殺事件は、取材に押しかけたマスコミ関係者40名の目の前で、犯人2人に襲撃され刺殺されました。マスコミがいる中現れた二人に、毎日新聞社の記者・西村氏が「何をしに来たのか?」と尋ねています。すると犯人は豊田商事の被害者6人から、「もう金はいいから永野をぶっ殺してくれと頼まれた」と答えたそうです。
そしてマスコミが持ってきていたパイプ椅子を持って、永野宅の玄関ドアを叩き始めます。さらにもう一人の男が隣の窓についていた防犯用のアルミサッシを破壊。窓を破って部屋に侵入していきました。すると部屋の中で激しく争う物音が聞こえたといい、入ってしばらくすると血だらけになった2人が出てきたといいます。
犯人はその場で現行犯逮捕
血だらけで出てきた犯人2人は、「おい警察呼べよ。俺が犯人や」とマスコミ関係者達に話したといいます。その後駆けつけた警察に現行犯逮捕されました。
2人はマスコミからいくつか質問を受けた後に、煙草を要求。その後エレベーターでおりてマンションの外に出たところを逮捕されています。部屋の中には血だらけの永野が倒れていました。すぐに病院に搬送されましたが、出血多量で死亡が確認されています。