サンテグジュペリとはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品や名言、死因についても紹介】

「サンテグジュペリってどんな人?」
「サンテグジュペリの代表作って何?」
「サンテグジュペリの功績や名言について知りたい!」

サンテグジュペリは、フランス出身の作家であり、パイロットとして第二次世界大戦にも参戦した人物です。彼の代表作「星の王子さま」は、読んでいなくても聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。

サンテグジュペリと星の王子さまの像
出典:Wikipedia

サンテグジュペリはパイロットとしての経験を活かして小説やエッセイを書き、世界的に有名な作家となりました。彼の作品は全世界で翻訳され、死去から70年以上たった現在でも人気は衰えていません。

そこで、今回はサンテグジュペリの生涯について詳しく紹介していきます。また、彼の名言や功績、代表作についても併せて解説していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

サンテグジュペリとはどんな人物?

名前アントワーヌ・マリー・ジャン
=バティスト・ロジェ・ド・サン
=テグジュペリ
誕生日1900年6月29日
生地フランス・リヨン
没日1944年7月31日
没地フランス内陸部の偵察中に行方不明
配偶者コンスエロ・スンシン
埋葬場所パリ アンヴァリッド前に記念碑

サンテグジュペリの生涯をハイライト

1942年頃のサンテグジュペリ
出典:Wikipedia

まずはサンテグジュペリの生涯を簡単に解説しましょう。

1900年、フランスのリヨン市に住む貴族家系に生まれたサンテグジュペリは、学生時代から文学を愛していました。この頃、彼は飛行機との出会いも果たしており、後の作品に大きな影響を与えることになります。

その後、海軍兵学校の受験に失敗してしまった彼は、志願兵として陸軍飛行連隊に入隊し、念願のパイロットとなりました。しかし、1923年に墜落事故で負傷し、最終的に除隊することになります。

1926年、サンテグジュペリは短編小説「飛行士」を執筆し、作家としてデビューしました。彼の作品は世界的に注目され、作家兼パイロットとして有名となっていきます。

サンテグジュペリは作家として成功した

1939年に第二次世界大戦が勃発すると、彼は空軍の教官として徴兵されました。しかし、彼は前線への配属を希望しており、最終的には偵察部隊のパイロットとして参戦します。その後、フランスがドイツに降伏したため、サンテグジュペリは一時的にアメリカへ亡命します。

亡命した後、サンテグジュペリは自由フランス空軍へ志願し、再び偵察飛行隊として戦地へ赴きました。この頃に、彼は代表作である「星の王子さま」を刊行しています。しかし、偵察の任務のために出撃した後、サンテグジュペリの飛行機は地中海付近で行方不明となってしまいました。その後、彼が帰還することはありませんでした。

第二次世界大戦に従軍した

サンテグジュペリが乗っていた飛行機
出典:Wikipedia

パイロットとしての経歴があったサンテグジュペリは、1939年に勃発した第二次世界大戦にも招集されています。当初、彼は後方基地において教官としての任務を与えられていましたが、自ら前線で飛ぶことを志願して偵察部隊へ転属されました。

フランスが降伏した後にはアメリカへ亡命しています。その後、ドイツに抵抗を続けていた自由フランス空軍へ志願し、北アフリカ戦線の偵察飛行部隊へ入隊しました。このようにして、彼は前線で戦い続けていたようです。

しかし、彼は自ら志願した偵察任務の途中で消息を絶ち、死去してしまいました。悲惨な結末となってしまいましたが、彼が最後まで大空と飛行機を心から愛していたことがよくわかります。

代表作『星の王子さま』を執筆した

『星の王子さま』

サンテグジュペリと言えば『星の王子さま』というイメージが浸透しているほど、日本でも有名な文学作品。売り上げは世界累計1億5千万冊を超え、世界200の国と地域で翻訳が成されている超ベストセラー作品です。映画化やアニメ化なども世界中で行われており、未だに多くのファンがいます。

そんな『星の王子さま』が凄い理由は、児童文学という体裁で出版されたのにも関わらず、実際は大人に読まれているというところ。生命・愛・人生といった人間の最も考えるべき普遍的テーマに焦点を当てたストーリーが、今もなお読者の心を引き付けて離さないのです。

最近まで死因が不明だった

偵察に行ったまま消息不明に

操縦士として、作家として人生を全うしたサンテグジュペリは、1944年に亡くなりました。しかし、亡くなった当初は戦争の影響で偵察に行ったまま、行方がわからなくなった…という事態が発生しており、1945年に裁判所が認めるまで、亡くなったかどうかもわからない状態が続いていたのです。

しかし、その後サンテグジュペリが最後に乗っていたされる飛行機の目撃情報がいくつか寄せられた(写真もあった)ため、大規模な捜索を実施。粘り強く調査をつづけた結果、2000年にある1枚の飛行機残骸写真がサンテグジュペリの搭乗機であると認められ、死亡が事実であると再確認されたのです。

「宮崎駿」監督もサンテグジュペリの愛読者

宮崎駿

『となりのトトロ』など、スタジオジブリで知られる日本のアニメーション作家『宮崎駿』が、実はサンテグジュペリの愛読者であったことは有名な話です。サンテグジュペリの代表作『人間の土地』のカバー絵に装画を描くなど、日本での拡散にも一手担っています。

宮崎駿監督とサンテグジュペリ作品において、その価値観が類似していると感じる箇所はいくつもあります。例えば『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』では、「人間の欲深さによる自然破壊と、それに対する怒り」が裏テーマとして見受けられます。

これはサンテグジュペリも「星の王子さま」「人間の土地」などで綴っているテーマであり、宮崎駿監督のリスペクトが見て取れます。人間と世界の本質を表したい!という感情は、似通ったものがあるのでしょう。

『紅の豚』はサンテグジュペリ作品を元に作られた?

「紅の豚」の1シーン

1920年代のイタリアで、戦争で英雄になることを拒み、自ら魔法の力で豚になった飛行士「ポルコ」を描いた作品が『紅の豚』です。知らない人のほうが珍しい、宮崎駿監督の代表作の1つでもあります。

人間の欲深さによって発生した戦争に反対しつつも、そんな人間が作った飛行機に兵器として乗らなくてはならなかったサンテグジュペリ。その葛藤する想いを文学に載せたのか、「星の王子さま」などでは平和を謳う箇所が多く見受けられます。

そして、その戦争と飛行機への想いはそのまま宮崎駿監督の『紅の豚』ストーリーへと反映されています。あの名作アニメはサンテグジュペリがいなければ生まれていなかったと考えられるのです。

サンテグジュペリの代表作品

サンテグジュペリの作品一覧は以下になります。その中でも特に有名な代表作品3つをここでは紹介していきます。

  • 南方郵便局 – 1926年
  • 夜間飛行 – 1931年
  • 人間の土地 – 1939年
  • 戦う操縦士 – 1942年
  • ある人質への手紙 – 1943年
  • 星の王子さま – 1943年

「星の王子さま」

サンテグジュペリの代表作「星の王子さま」は、彼が死去する前年にアメリカで出版された児童文学です。現在では200以上の国や地域の言語に翻訳されており、世界中の人々に愛されています。

この作品は、彼が経験した墜落事故を元に描かれており、実際に作中においても主人公である操縦士の「ぼく」はサハラ砂漠に不時着しています。人生において重要な物事や命、愛について考えさせられる素晴らしい作品です。

「人間の土地」

「人間の土地」は、サンテグジュペリによるエッセイ集であり、人間としての生き方や友情を題材にした作品となっています。1939年に出版された後にベストセラーとなり、アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞しました。

この作品は、序文から始まる全8章で構成されており、人間の使命や本質についても触れています。また、ここで描かれた内容が他の作品の原型となっているものもあるため、彼の作品を読みたいという方に是非おすすめしたい1冊です。

「夜間飛行」

「夜間飛行」は、1931年に刊行された人間の尊厳と勇気をテーマとした小説です。この作品も出版当時に大ヒットを記録し、フランスの文学賞であるフェミナ賞を受賞しました。

この小説は、彼自身のパイロットとしての経験を存分に活かして書かれた作品であり、リアリティのある描写が魅力の作品となっています。また、フランスの植民地文学としての側面も持ち合わせています。

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