アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900~1944)は、フランスの作家です。『星の王子さま』『夜間飛行』などの大ベストセラー作を世に送り出し、日本でも「星の王子さまミュージアム」が建てられるなど、現在でも読者を魅了し続けています。
そんなサン=テグジュペリは「飛行文学」という新たな文学のジャンルを切り開いた作家としても知られています。というのも、彼の作品は大半が自身の「操縦士体験」からきているのです。
兵役で志願したサン=テグジュペリは、1921年に航空隊へ入隊。民間飛行資格を取得するも、わずか2年後に飛行場での墜落事故に遭い、頭蓋骨を骨折。操縦士として退くことを余儀なくされてしまいます。
その後は自動車会社などで働きながら、1926年から本格的に執筆活動を始めます。1929年にデビュー作『南方郵便機』を出版。さらにその2年後『夜間飛行』を出版し、フェミナ賞という文学賞を受賞します。こうして文学者としての道を歩み、1934年に『星の王子さま』を出版。世界に名を知られる人物となったのです。
今回はそんなサン=テグジュペリに関して、星の王子さまは20回以上、更に伝記などを何冊も読み倒すほど大ファンである筆者が、その生涯と作品について徹底解説していきたいと思います。
サン=テグジュペリとはどんな人物?
名前 | アントワーヌ・マリー・ジャン =バティスト・ロジェ・ド・サン =テグジュペリ |
---|---|
誕生日 | 1900年6月29日 |
生地 | フランス・リヨン |
没日 | 1944年7月31日 |
没地 | フランス内陸部の偵察中に行方不明 |
配偶者 | コンスエロ・スンシン |
埋葬場所 | パリ アンヴァリッド前に記念碑 |
代表作『星の王子さま』の凄さ
サン=テグジュペリと言えば『星の王子さま』というイメージが浸透しているほど、日本でも有名な文学作品。売り上げは世界累計1億5千万冊を超え、世界200の国と地域で翻訳が成されている超ベストセラー作品です。映画化やアニメ化なども世界中で行われており、未だに多くのファンがいます。
そんな『星の王子さま』が凄い理由は、児童文学という体裁で出版されたのにも関わらず、実際は大人に読まれているというところ。生命・愛・人生といった人間の最も考えるべき普遍的テーマに焦点を当てたストーリーが、今もなお読者の心を引き付けて離さないのです。
サン=テグジュペリは最近まで死因が不明だった
操縦士として、作家として人生を全うしたサン=テグジュペリは、1944年に亡くなりました。しかし、亡くなった当初は戦争の影響で偵察に行ったまま、行方がわからなくなった…という事態が発生しており、1945年に裁判所が認めるまで、亡くなったかどうかもわからない状態が続いていたのです。
しかし、その後サン=テグジュペリが最後に乗っていたされる飛行機の目撃情報がいくつか寄せられた(写真もあった)ため、大規模な捜索を実施。粘り強く調査をつづけた結果、2000年にある1枚の飛行機残骸写真がサン=テグジュペリの搭乗機であると認められ、死亡が事実であると再確認されたのです。
あの「宮崎駿」監督は、サン=テグジュペリの愛読者
『となりのトトロ』など、スタジオジブリで知られる日本のアニメーション作家『宮崎駿』が、実はサン=テグジュペリの愛読者であったことは有名な話です。サン=テグジュペリの代表作『人間の土地』のカバー絵に装画を描くなど、日本での拡散にも一手担っています。
宮崎駿監督とサン=テグジュペリ作品において、その価値観が類似していると感じる箇所はいくつもあります。例えば『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』では、「人間の欲深さによる自然破壊と、それに対する怒り」が裏テーマとして見受けられます。
これはサン=テグジュペリも「星の王子さま」「人間の土地」などで綴っているテーマであり、宮崎駿監督のリスペクトが見て取れます。人間と世界の本質を表したい!という感情は、似通ったものがあるのでしょう。
『紅の豚』はサン=テグジュペリ作品を元に作られた?
1920年代のイタリアで、戦争で英雄になることを拒み、自ら魔法の力で豚になった飛行士「ポルコ」を描いた作品が『紅の豚』です。知らない人のほうが珍しい、宮崎駿監督の代表作の1つでもあります。
人間の欲深さによって発生した戦争に反対しつつも、そんな人間が作った飛行機に兵器として乗らなくてはならなかったサン=テグジュペリ。その葛藤する想いを文学に載せたのか、「星の王子さま」などでは平和を謳う箇所が多く見受けられます。
そして、その戦争と飛行機への想いはそのまま宮崎駿監督の『紅の豚』ストーリーへと反映されています。あの名作アニメはサン=テグジュペリがいなければ生まれていなかったと考えられるのです。
サン=テグジュペリの名言
大切なものは、目には見えない
努めなければならないのは、自分を完成させることだ
本当の愛はもはや何一つ、見返りを望まないところに始まるのだ
あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう
おとなは、誰も始めはこどもだった
サン=テグジュペリの作品一覧
- 南方郵便局 – 1926年
- 夜間飛行 – 1931年
- 人間の土地 – 1939年
- 戦う操縦士 – 1942年
- ある人質への手紙 – 1943年
- 星の王子さま – 1943年
サン=テグジュペリにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「サン=テグジュペリは一度“奇跡的な生還体験”をしている」
サン=テグジュペリにまつわる有名な逸話として、「フランス-ベトナム間の最短時間飛行記録に挑戦した際、機体トラブルで砂漠に不時着した」というエピソードがあります。
リビア砂漠(サハラ砂漠)に不時着後は生存が絶望視されていたのですが、なんとそこからベドウィンという遊牧民に助けられ、歩いてエジプトに到着。奇跡的な生還を果たしています。この体験が後の『星の王子さま』にも繋がりました。
都市伝説・武勇伝2「星の王子さまは宇宙人である」
『星の王子さま』の主人公「ぼく」は、飛行機が墜落してサハラ砂漠に不時着。その時に1人の少年=王子様と出会います。この王子さまは「とある惑星からやってきた」と語っていることからわかるように、実は星の王子さまは宇宙人なのです。
この事実は『星の王子さま』を読んだことのある人にとっては当たり前の事実なのですが、まだ読んだことのない人には驚きの話だったりします。そして、不時着したのはサン=テグジュペリの実話が元であることから、一部の都市伝説ファンの間では「サン=テグジュペリは宇宙人に遭ったのでは?」と噂されています。
都市伝説・武勇伝3「星の王子さまは“肉体と精神の分離説”を提唱している?」
物語では、星の王子様が最後毒蛇に噛まれることで、身体をおいて自分の星へ帰ることができる…という風に終結します。この行為がいわゆる「肉体と精神の分離」を表現しているとして、一部のファンの間で噂になりました。
すなわち都市伝説で良く言われる「次元上昇」(=魂を分離して移動できる)に近い話だと言われており、人間よりも遥かに優れた金星人が、次元を超えて地球にやってきたのだ!…という、何ともSFチックな発言をする方もいます。
サン=テグジュペリの早見年表
サン=テグジュペリの具体年表
1900年 – 0歳「フランス・リヨンにて生を受ける」
フランスのリヨンに生まれたサン=テグジュペリ
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(以後,アントワーヌ)は、フランスの南東部に位置するリヨン市で生まれました。お父さんのジャンが保険会社の調査員としてリヨンに赴任し、そこで母親のマリーと出会ったため、そのままリヨンで結婚となったそうです。
ただ、父親のジャンがアントワーヌ4歳のときに病気で亡くなったため、幼少期は母方の大叔父にあたるトリコー伯爵夫人に連れられ、サン=モーリス城というお城で過ごすことになりました。この館はどこか哀愁のある雰囲気があったそうで、アントワーヌの文学観に影響を与えたとも言われています。
サン=テグジュペリの家族は?
父のジャン、母のマリー共に貴族の家系です。そのため、幼少期から金銭的に不自由したことはなかったようで、先述した通りお城で過ごすという生活を送っています。また、兄弟はアントワーヌ含めて5人おり、アントワーヌはそのちょうど真ん中っ子です。
幸せな家庭で過ごすアントワーヌに最初に訪れた悲劇が、先ほどお話しした父の死でした。その後もアントワーヌの弟に当たるフランソワが亡くなるなど、家族の「死」に若いうちから触れた経験が、独特な詩想の源泉となっていることは言うまでもありません。
1919年 – 19歳「海軍の試験に不合格」
学校教育に馴染めなかったサン=テグジュペリ
アントワーヌは9歳の時にノートルダム聖十字学院に入学します。しかし、枠に収めようとする学校教育は彼の自由な発想力・創造力には合わず、成績は低迷。その後スイスにある聖ヨハネ学院でも文学にいそしみ、勉強とはそりの合わない学生生活を続けます。
そして19歳の時、その性格が災いしてか海軍兵学校の筆記試験で落ちてしまうのです。こうして出世コースを完全に外れたアントワーヌは、パリの美術学校建築科にギリギリで入学。アントワーヌ史上最大の人生に悩む青年時代を送ったのです。
不合格の前の災難…。弟・フランソワの死
先ほども少し触れましたが、アントワーヌは17歳の時に弟のフランソワを亡くしています。元々心臓が弱かったそうで、フランソワはアントワーヌと同じ聖ヨハネ学院に通っていましたが、病が原因で退学しています。
そして、1917年に全財産をアントワーヌに託す形で心臓リューマチで死去。わずか15歳という若さで亡くなりました。このときの死の様子をアントワーヌは写真に撮っており、その写真は非常に美しかったと言われています。ちなみにフランソワは幼少期に過ごしたサン=モーリス城の敷地内にある墓地にて葬られました。
1923年 – 23歳「飛行場での墜落事故とその後…」
墜落事故により頭蓋骨を骨折…
その後兵役(志願)により、再度操縦士になるチャンスを得たアントワーヌはストランブール第二航空隊に入隊します。そして、1922年には操縦士の免許を次々に取得し、夢に見たパイロットとなるのです。
しかし、1923年の5月。リソーという少尉と共に飛行場を飛び立ちますが、墜落してしまい頭がい骨骨折の重傷を負います。それにより当時の恋人ルイーズ・ヴィルモランの家族の反対に遭い、最終的に操縦を止めて軍を除隊しました。なお、ルイーズとは後に破局しています。
飛行機とは離れたサン=テグジュペリのその後
操縦士を辞めたアントワーヌは、その後民間の自動車販売会社へ就職します。そこではトラックのセールスマンとして働きますが、1年間でたった一台しかトラックは売れなかったそうです。
ただ、この頃より自動車販売会社に勤めながら執筆活動を開始し、『踊り子マロン』という短編小説を書いています。しかし、「踊り子マロン」は残念ながら未完の作品となり、一部が『南方郵便機』に挿入されるだけの結果となりました。
1926年 – 26歳「作家デビュー&親友との出会い」
雑誌の短編小説「飛行士」にて本格的にデビュー
作家として本格的にデビューしたのが、アントワーヌ26歳のときでした。文芸誌である『銀の船 4月号』に彼のデビュー作「飛行士」が掲載されたのです。この物語は世界中で読まれ、その後も操縦士に関する話を多く執筆したことから、その界隈では有名な人物へと成りあがりました。
その3年後に当たる1929年に『南方郵便機』で出版デビューしたことを見ても、作家としてのアントワーヌは早熟だったことが見て取れます。やはり幼少期から自然と育まれてきた感性と、パイロットという当時はまだ珍しい職業が、世の中の関心を集めたのだと考えられます。
親友「メルモーズ」や「ギルモ」との出会い
アントワーヌは同年の10月に、知り合いのツテからラテコエール社という民間の航空会社に就職します。ここで営業部長らから訓練を受け、後にフランス航空業界の開拓者として名を馳せることとなるのです(整備士から飛行訓練を積み、飛行士へと復帰する流れ)。
そして、この会社で出会ったのが生涯の友となる「ジャン・メルモーズ」と「アンリ・ギヨメ」でした。特にギヨメに関しては、後に彼が事故でアンデスに不時着した際アントワーヌが助けに行き、その話を『人間の土地』に綴るなど、執筆活動にも影響するほどの親友となりました。
1931年 – 31歳「サン=テグジュペリ結婚」
美しい容姿を持つ「コンスエロ」と結婚
アントワーヌは31歳の時、フランスで「コンスエロ・スンチン・サンドヴァール」という女性と結婚しています。彼女は見た目から非常に美しい女性で、性格は気まぐれ・奔放であったと言われています。
しかし、彼女との結婚生活は順風満帆とはいかず、結婚後すぐに性格の不一致から関係に破綻をきたしてしまいます。そうしてW不倫を繰り返したものの、結果としてアントワーヌが亡くなるまで妻として婚姻関係を維持し、多少なりともアントワーヌの文学観に影響を与えた人物となりました。
1939年 – 39歳「『人間の大地』を出版」
ベストセラーとなったエッセイ『人間の大地』を出版
作家として大成を迎えたのは1939年。この年に発表したエッセイ集『人間の土地』がアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞したのです。この他にも同作品は1940年に全米図書賞ノンフィクション部門最優秀作品に選出され、フランスを飛び出して有名作家の仲間入りを果たしました。
そんな『人間の土地』は、飛行士として駆け抜けた15年間の経験を元に、人生や友人との関係などを考えるエッセイ集となっています。親友への想いや墜落経験などを赤裸々に語っていることから、彼の人生経験そのものが文学として輝き、評価されたのだとわかる…そんな内容に仕上がっています。
同年に第二次世界大戦の偵察隊へ徴兵される
そんな大ベストセラーを発表した同年9月。第二次世界大戦が勃発し、アントワーヌは予備空軍大尉として徴兵を受けます。トゥールーズのモントードラン基地配属となり、後方基地の教官などの任務を遂行しました。
ちなみにその後は前線での飛行を希望し、爆撃機などではなく偵察飛行隊に配属されています。ドイツとの戦争では7回出撃しましたが、フランスがドイツに降伏した後はニューヨークへ亡命。亡命後も自由フランス空軍へ志願するなど、アントワーヌの空への意欲が失くなることはありませんでした。
1943年 – 43歳「代表作『星の王子さま』を出版する」
戦争に荒れる最中出版された『星の王子さま』
1943年、北アフリカ戦線での偵察隊として着任する2か月前に『星の王子さま』を出版します。出版は当時亡命中だった北米で行われ、初版以来アントワーヌ自ら挿絵を描き、そのキャラクターは今も世界中で愛されています。
そんな『星の王子さま』は現時点で総販売部数が1億5千万冊を超えており、世界200の地域で翻訳がされている超ベストセラーとなりました。ちなみに本作は子供向けという体裁を取っていますが、実際は友人を含めた大人に向けて書いたとも言われており、その旨は本書冒頭にも記載があります。
改めて知っておきたい…。「星の王子さま」のストーリーは?
ここで『星の王子さま』を知らない方のために、ストーリーなどの簡単な概要を紹介していきます。主人公はパイロットの「ぼく」で、サハラ砂漠に墜落したところから物語は始まります。
そして「ぼく」は孤独に過ごす中、サハラ砂漠で「王子さま」と出会うのです。彼はとある小惑星からやってきており、彼の惑星にあるバラと喧嘩をしたため、他の世界の星を見る旅に出たのだと語ります。そうして、「ぼく」と「星の王子さま」の大冒険が始まるのです。
この物語が人気となったのは、何といっても「人間の本質を付く話」が多く含まれているからだといえます。彼らは別の星でたくさんの大人と遭遇するのですが、その大人たちが現代の大人を風刺したキャラクターであり、心に響くのです。
愛・平和・人生について教えてくれるからスゴい!
『星の王子さま』が初版後60年以上にわたり、1億を超える人々に愛された理由は非常に明白です。その理由は「愛や平和など、人間が生きる上で大切なこと全てを教えてくれるから」に他なりません。
主人公の「ぼく」と共に旅に出る「星の王子さま」は、まるで子どものようにピュアな性格であり、それゆえに大人がハッとするようなことを次々突きつけていくのです。この忘れかけていた純真な心を思い出させてくれる「問題提起」のような文章が、この作品の肝となっていて、読者を惹きつけて離さないと言われています。
1944年 – 44歳「偵察中に消息を絶つ。その翌年に死亡が認定される」
フランス内陸での偵察中、行方不明となったサン=テグジュペリ
アントワーヌは1944年の7月31日、コルシカ島からグルノーブル,アヌシー(いずれもフランス内陸部の都市)らを偵察に単機で出撃。しかし地中海付近で行方がわからなくなり、完全に消息を絶ってしまいます。
そしてその翌年に裁判所がアントワーヌの死亡を認定します。しかし行方不明から54年が経った1998年に地中海のマルセイユ沖にある島近くの海域で、妻や連絡先などが書かれたブレスレットが発見されます。
それをキッカケに同海域で既に見つかっていた飛行機の残骸写真との照合がされ、2000年にアントワーヌの搭乗機が発見されました。当時は多くのメディアでこの大発見が報じられ、話題となっています。
日本でのサン=テグジュペリと星の王子さま
日本でも当然翻訳がされ、老若男女に親しまれている『星の王子さま』。初期には岩波書店が翻訳・出版を担いましたが、現在は様々な出版社から新訳が成されています。また、1978年にはアニメ化も果たし、一気に日本国内に定着したとされています。
また1999年には箱根に『星の王子さまミュージアム』が開園し、2019年に20周年を迎えた人気ミュージアムとなっています。このように『星の王子さま』は日本でも多くの人に親しまれ、愛され続けているのです。
関連作品
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夜間飛行
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原作を元に撮影されたミュージカル映画です。主人公を演じたリチャード・カイリーの演技が可愛らしく、日本でも人気の作品となっています。原作の雰囲気をミュージカル付きの実写として楽しめるので、明るい気分になりたい人にオススメです。
関連外部リンク
- 星の王子さま 公式ウェブサイト
- 星の王子さまミュージアム 公式サイト
- 星の王子さま ファンクラブ
- 青空文庫 作家別作品リスト
- 大島めい,村上彩,村山美樹(2011)アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ ~星の王子様~ 43-49 中村学園大学短期大学部幼児保育学科
サン=テグジュペリについてのまとめ
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、『星の王子さま』の作者として有名になり、現在でも人気作家の一人として日本でも知られています。
そんなサン=テグジュペリが『星の王子さま』を書き、多くの読者に人間の本質、人生で大切にすべきこと等を教えられたのは、他でもない彼自身の人生が素晴らしいものだったからだとわかります。
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