玄倉川水難事故のリーダーの現在は?経緯や犠牲者も紹介

「玄倉川水難事故のリーダーは今どうしているの?」
「どうして「DQNの川流れ」って呼ばれてるの?」

玄倉川水難事故は、1999年8月に神奈川県で起きた水難事故です。最終的に13人が亡くなっていますが、リーダー格の加藤直樹の言動や行動は、今でも大きな批判を浴びています。

そこで、今回は玄倉川水難事故のリーダー・加藤直樹の現在を、彼にまつわる噂や逸話も交えて紹介します。この記事を読めば、加藤直樹の人柄はもちろん、今もなお玄倉川水難事故が話題にあがる理由を知ることができますよ。

この記事を書いた人

Webライター

吉本 大輝

Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。

玄倉川水難事故(くろくらがわすいなんじこ)とは?

事故発生現場付近の河原
出典:Wikipedia

倉川川水難事故は、1999年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で起きた水難事故です。8月13日から玄倉川の中州でキャンプをしていた18名が、熱帯低気圧に伴う大雨で流されてしまい、最終的に13人が溺れ死にました。

被害者一行は25人のグループでした。8月13日16時50分に大雨洪水注意報が発表され、19時に日帰りの4人が帰宅。更に警察とダムの職員が避難勧告を出し、21時10分に3人が中洲を離れています。避難に応じなかった18人が、中洲に取り残される事になるのです。

翌日に雨は更に激しくなり、翌日朝に中洲は膝上まで増水。レスキュー隊が救助に踏み切るものの、11時38分に水かさは彼らの胸の辺りまで到達します。土壇場で岸に放り投げられた1歳の子供を除いた17人が、濁流に飲み込まれました。

大人3名と、子供1人は対岸に流れ着いて生き延びるものの、残りの13人はそのまま川に流され溺死します。彼らが流されていく様子は、生放送で報道される事となり、さまざまな反響を呼んだのでした。

玄倉川水難事故が起きた理由

事件を報道する新聞
出典:MATOMED

玄倉川水難事故が起きた最大の原因は、被害者一行が警察やダム職員の度重なる避難勧告に応じなかった事にありました。

水難事故の現場一帯には、彼ら以外にも多くのキャンプ客がいましたが、8月13日に避難勧告が出た時点で被害者一行以外は退却しています。更に、25人の被害者一行の中には途中で帰宅した者もおり、彼らは難を逃れています。

また玄倉川は、大雨が降れば急激に水位が上昇する特性を持っています。加藤直樹達が遭難した現場は豪雨の際は水没しやすく、そもそもキャンプ指定地外の場所でした、更に1999年の夏は東高西低の気象が続いており、各地で水害も起きていました。

この事故は間違いなく人災ですが、天候や地理的な要因もあったのです。

別名「DQNの川流れ」とも呼ばれている

取り残された人たち
出典:MATOMEDIA

玄倉川水難事故は、別名「DQNの川流れ」とも呼ばれています。「DQN(非常識で知識や知能が乏しい者)が川に流されたという意味で、河童の川流れということわざをもじったものです。言葉は2ちゃんねるが発祥であり、DQNを嘲笑する意味合いがあります。

水辺でのキャンプは必ず天気予報を確認して行う事。そして地域住民や行政職員の言う事を聞き、時には勇気ある撤退も必要です。いくらDQN達がいきがろうと、大自然に私達は勝つ事ができません。

DQNの川流れは水難事故の恐ろしさと、自然を甘く見た者達がどうなるかを教えてくれる事件なのです。

被害グループのリーダー・加藤直樹の現在

右端の男性が加藤直樹
出典:New See

玄倉川水難事故の被害者一行は、横浜市内の廃棄物処理会社に勤めていた社員達で、リーダーは加藤直樹という男でした。彼はこの事件で数々の非常識な行動をとっており、悪い意味で有名になっています。

この項目では、そんな加藤直樹の現在について解説します。

現在、加藤直樹は行方不明

救助された加藤直樹
出典:MATOMEDIA

結論から言えば、2022年時点の加藤尚樹の消息は分かっていません。生存している事が示唆される動画はありますが、断定できる証拠に乏しいのが現状です。

当時はSNSもそれほど発達していない時代である事、彼の名前が同姓同名が多い事などから、その後の消息を掴む事が出来ませんでした。

事故が起きた1999年時点で、加藤直樹は31歳。事件当日の様子を撮影した画像や動画は残っていますが、画質も荒く、正確な人相は不明です。事件から20年が経過し、人相なども変わっている事が予想され、正確な事は今後もわからないのではないでしょうか。

加藤直樹は確実に生きている?

加藤朝香(右)のプリクラ
出典:New See

そんな加藤直樹の様子が断片的にわかる出来事がありました。それは加藤直樹の娘、加藤朝香が2010年に以下のブログを投稿した事です。

たまにね私、ふとあの時の事を思い出すんだ。幼稚園の頃の事故あれは一体なんだったの?どうして私の家族なの? 小さい頃私がママを殺したんだ。私さえ居なければママは生きていたんだ。 パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。 手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。 そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。ママに逢いたいです。小さい頃もずっとママが欲しかった。皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。 今でもママが戻ってきてほしいと思っている。あと優香にも戻ってきてほしいんだ。私には妹がいたんだよ。 ママがいなくなっても明るい朝香でいてねって色んな人に言われた。 そう簡単に言うなと思ったよ。けど私なりに頑張ってきた。毎日明るく生きてる… ーーー

New See

このブログは匿名で書かれていたものの、内容から加藤直樹の娘である事が特定されました。ポエムのような文章からは、書き手が加藤直樹の娘である事、加藤直樹(父)との関係がうまくいっていない事がわかります。

加藤直樹が生き残った娘や息子と生活していた事が特定されましたが、このブログは後に閉鎖され、今では読む事ができません。病気や事故でもない限り、加藤直樹は今ものうのうと生きていると思われますが、ブログから情報を探る事はできないのです。

富士繁という会社で働いている噂も

加藤直樹が勤務しているとされる富士繁
出典:NewSee

加藤直樹達は「株式会社 富士繁(ふじしげ)」で働いていた事が判明しています。金属加工や産業廃棄物処理などを事業内容としており、当時より事業も拡大している様子です。ただ、近隣住民とトラブルも起こしているとの事で、評判自体はよくありません。

そして加藤直樹は、現在も富士繁で働いているという噂もあります。根拠となるのは、2021年に投稿されたこちらの動画です。

投稿主は富士繁に行き、加藤直樹と思われる人にインタビューをしています。この時に投稿主は加藤直樹とされる人に、「今世紀最大の最低な人間」としてトロフィーを渡そうとしており、断られています。

顔ははっきりとわからない為、ヤラセの可能性はあります。ただ玄倉川の話になると、周囲の人達が離れる様子から、事件の関係者である可能性は高そうです。本当に彼が加藤直樹なら、最新の状況を移した貴重な動画と言えるでしょう。

他の生存者の現在は?

遭難者達が流されていく様子
出典:MATOMEDIA

ちなみに、玄倉川水難事故では加藤直樹とその娘・朝香以外にも生存者はいました。生存したのは加藤直樹の息子・加藤一樹(1歳)、富士繁でドライバーを務めていた平野嗣富(29歳)、その兄の平野幸男(31歳)の計5人です。

彼らは流された後で対岸に流れ着き、奇跡的に生き残る事ができました。断片的に情報がわかる加藤直樹と加藤朝香と比べ、残りの3名の情報は一切出てきていません。平野嗣富については、加藤直樹と共に今も富士繁で働いている可能性はあります。

玄倉川水難事故で最も暴言を吐いていたのは、リーダーの加藤直樹でした。加藤直樹に世間の関心は向いており、平野兄弟についてはあまり追及する声がなかったのかもしれません。

加藤直樹の人柄を示唆する3つの逸話

今なおDQNの代名詞として取り上げられる加藤直樹。この項目では、事故の経過の中から加藤直樹の人格を示唆する以下の逸話について解説していきます。

  • 警告を再三無視して現場に居座る
  • 救助隊やボランティアに暴言を吐く
  • 事故後は会見も開かずに逃亡した

警告を再三無視して現場に居座る

事故現場の航空写真
出典:MATOMEDIA

玄倉川水難事故が起きたのは8月14日ですが、前日には関東に大雨洪水注意報が発令されており、玄倉川が増水する可能性は予知できました。地元のダム職員や警察官達は加藤達に避難を呼びかけるものの、「大丈夫だよ、俺らは慣れているから」と無視しています。

そして地域の住人も避難を呼びかけますが、「放っておいてくれ、楽しんでんだよ!」と加藤直樹は立腹。周囲の者達も「地元の人は臆病だね」、「田舎の人は他人のプライバシーを侵すのが趣味ね」と述べ、加藤直樹に同調したのでした。

8月14日5時35分に神奈川県に大雨洪水警報が発令され、6時には前日に避難したメンバーが川を渡って避難を呼びかけますが、反応はなし。7時30分頃にも警察官がテントの2m程近くまで近づいて避難を呼びかけますが、これも反応がありませんでした。

この時点で水流は膝下の深さであり、避難する事は可能でした。しかし加藤直樹達は避難に応じる事はなかったのです。やがて玄倉川が増水し、一行が自力で退避出来ずにパニックになるのは、警察が退却してから1時間後の事でした。

救助隊やボランティアに暴言を吐く

加藤直樹はボランティアのおにぎりを投げ捨てた
出典:Wikipedia

警告を再三無視して、自力での退避が不可能になった加藤直樹達でしたが、しばらくは流されないように踏ん張っていたのです。そんな加藤直樹は対岸にいる救助隊達に対して、「もたもたすんな」「ヘリを呼べ」「早く助けろ」と暴言を連発しています。

暴言を吐く様子は生放送として全国に放送され、加藤直樹達は強い批判を受ける事となりました。全ては自業自得ですが、罪のない子供たちも溺死している為、なんともいえない気持ちになります。

これは匿名の掲示板で暴露された内容ですが、加藤直樹は救助された際に地元のボランティアからおにぎりの差し入れをもらっています。ただ加藤はその事に感謝するどころか、「まずい!もっとマシなものを出せ!」とおにぎりを地面に叩きつけたのです。

これは出典元の分からない情報です。仮にこの言動や行動が事実なら、加藤直樹は人格破綻者と言えるのではないでしょうか。

事故後は会見も開かずに逃亡した

山北町(黄色)の場所
出典:Wikipedia

玄倉川水難事故で加藤直樹は避難勧告を再三無視し、13人もの犠牲者を発生させています。ところが加藤直樹や他の生存者たちは謝罪会見も開かずに逃亡しました。この逃亡が、加藤直樹達の批判を更に高めたのは言うまでもありません。

彼らの為に多くの人員と、お金がつぎ込まれたのは事実です。事故の起きた自治体である山北町は、4800万円ものお金を負担しました。ただ、加藤直樹達がお金を払う事はなく、全額が公費負担となったのです。

加藤直樹にまつわる3つの噂

非常識な行動の多い加藤直樹ですが、彼には様々な噂もつきまといます。この項目では、加藤直樹にまつわる以下の3つの噂について解説します。

  • 玄倉川水難事故は保険金詐欺だった
  • 加藤直樹は裁判を起こそうとした
  • 娘や息子は立派なDQNに育った

噂①:玄倉川水難事故は保険金殺人だった?

玄倉ダム
出典:Wikipedia

玄倉川水難事故の犠牲者の多くは、富士繁の社員でした。更に加藤直樹の叔父も犠牲者の中に含まれています。週刊誌の記者の中には、加藤直樹が参加者達を富士繁のグループ保険に加入させて、全員を流させたのではないかと勘繰った人もいました。

保険金殺人説が仮に正しいとするなら、玄倉川水難事故はDQNの川流れではなく、保険金目当ての殺人という事になります。ただ、今回の事故では加藤直樹はたまたま対岸に流れ着いただけで、亡くなっていた可能性も十分にありました。

その為、玄倉川水難事故が保険金殺人という噂は信憑性が低いと言えるでしょう。このような噂が生まれたのも、「加藤直樹ならやりかねない」という風に思った人が多かったからではないでしょうか。

噂②:加藤直樹は裁判を起こそうとした

東京高等・地方・簡易裁判所庁舎
出典:Wikipedia

自然災害で犠牲者が発生した時、遺族が救助隊などの公的機関に裁判を起こす事があります。ただ、加藤直樹達が裁判を起こしたという記録はありません。

玄倉川水難事故では多くの犠牲者が生まれたものの、ダム職員や警察官は彼らに退避の通告をしており、公的機関側に非がない事が明らかだからです。もしかしたら、加藤直樹達も裁判を起こそうとしたものの、勝てる見込みがないと諭されたのかもしれません。

仮に加藤直樹達が裁判を起こし、万が一でも公的機関側が敗訴すれば、凄まじい批判が出た事でしょう。

噂③:娘や息子は立派なDQNに育った

加藤朝香が救出された時の様子
出典:NewSee

前述した加藤朝香ですが、加藤直樹の血を引いている為か、DQNに育ったと言われています。前述したブログは現在は閉鎖されていますが、閉鎖前に発掘作業が行われた際に、「飲酒をしていた事」が発覚しています。

ブログ投稿時の加藤朝香は高校生であり、前述したポエムのような文章も相まって、「DQNの子はDQN」だ、大きな騒ぎとなりました。小さい頃に母親や妹を亡くしている事は同情するべき部分ですが、飲酒はよくありません。

2020年時点で加藤朝香は20代後半。加藤直樹を反面教師に、人間的に成長して欲しいものです。

玄倉川水難事故のリーダー・加藤直樹に関するまとめ

今回は、玄倉川水難事故のリーダー・加藤直樹の現在を、噂や逸話も交えて紹介しました。の状況について、わかる範囲で解説しました。避難勧告を再三無視し、救助隊に暴言を吐く。彼のDQNな行動は、事件から20年が経過しても非難され続けています。

人は「自分は大丈夫」とバイアスをかけるもの。2019年に大分県の大谷渓谷で似た遭難事故が起きています。この事故は偶然にも玄倉川水難事故と同日に起こり、遭難した人数も同じでした。このニュースを見た時、玄倉川水難事故を思い出した人は多いようです。

自然を舐めた行動をしていると、玄倉川水難事故のような悲劇が起こる可能性はあります。加藤直樹という存在を知る事で、同じような事故を防ぐ事に繋がります。今回の記事がそのきっかけになれば幸いです。

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