尼崎連続変死事件の被害者
次に、尼崎連続変死事件の被害者を紹介します。
- 仲島茉莉子
- 橋本次郎
- 角田久芳
- 皆吉ノリ
- 皆吉初代
- 谷本隆
- 大江和子
仲島茉莉子
仲島茉莉子さんは、角田瑠衣の姉です。ウェブデザイナーとしてIT企業に勤務していました。しかし、角田に家を乗っ取られたことで、暴力を振るわれます。2004年には角田の元から脱走。2006年まで居酒屋でバイトしつつ、大阪府のアパートに住んでいました。
その後、沖縄県にいましたが、連れ戻されてしまいます。仲島茉莉子さんは監禁小屋で日に日に衰弱していき、2008年12月に低体温症で死亡しました。
角田久芳
角田久芳さんは、角田三枝子の夫です。角田とは10代の頃に知り合い、成人後に角田と共同生活が始まりました。その後は、尼崎市内の会社で20年勤務しました。ただ、働いた金銭は、全て角田に渡っています。
2001年に、形式的に角田三枝子と結婚。2005年には、沖縄県で転落死しました。この死は、最初は事故として捜査が始まります。ところが、捜査によって保険金目当てで自殺を強要された可能性があることが判明しました。
橋本次郎
橋本次郎さんは、角田久芳さんの弟です。角田久芳さんと共に角田と共同生活を強いられました。さらに、1997年、2004年、2007年と角田の元から逃走を図りますが、全て阻止されています。
角田が可愛がっていた同居していた少女へのわいせつ行為をきっかけに、監禁と暴行の被害を受けます。そして、2011年7月に衰弱死。遺体はドラム缶にコンクリート詰めにされて、岡山県の港に遺棄されました。
皆吉ノリ
皆吉ノリさんは、1924年生まれの女性です。2003年から暴力を振るわれ、同年3月に死亡しました。遺体は民家で発見されました。この事件に関して、関係者は傷害致死罪の罪を問われます。しかし、時効成立により不起訴処分となっています。
皆吉初代
皆吉初代さんは、皆吉ノリさんの長女です。家を乗っ取られたことで、夫と離婚せざるを得ない状況になります。2003年には、元夫の助けで逃走。その後は和歌山県のホテルに住み込みで仕事をしていました。
しかし、2007年に居場所が見つかってしまい、連れ戻されました。2008年に尼崎市内の路上で発見されましたが、2009年6月に死亡しました。
谷本隆
谷本隆さんは、皆吉初代さんの夫の兄です。皆吉初代さん一家を助けるために動いていましたが、軟禁状態となってしまいます。その後は、勤務先の工場を退職し、妻と離婚するといった異変が見られました。
そして、2004年1月に角田のマンションで死亡しました。この犯行で8人が傷害致死罪となりますが、嫌疑不十分で不起訴となっています。
大江和子
大江和子さんは、大江香愛と大江祐美の母親です。家を乗っ取られた際による食事制限により、体重は22キロまで減量していました。2011年9月に死亡し、その後はドラム缶でコンクリート詰めにされました。
尼崎連続変死事件の経緯
尼崎連続変死事件の加害者や被害者をおさえたところで、ここからは尼崎連続変死事件の経緯を解説します。
- 1982年~:橋本家の乗っ取り
- 1998年~2000年:猪俣家の乗っ取り
- 2002年~2008年:皆吉家と谷本家の乗っ取り
- 2009年~2012年:大江家乗っ取りと逮捕
なお、尼崎連続変死事件の経緯は複雑なため、主犯の角田美代子が各家を乗っ取ったことで区切りをつけています。
1982年~:橋本家の乗っ取り
1982年ごろから、角田久芳さんや橋本次郎さんを始めとした橋本一家が、角田と共同生活を始めます。日常的に角田久芳さんの姉や母親が角田たちに暴行されていましたが、自身は止めることができませんでした。
そして1987年には、角田久芳さんの母親が死亡します。その後は1997年に、角田久芳さんの姉が逃亡したものの、角田久芳さんと橋本次郎さんは角田に連れ戻されてしまいます。最終的に2人は逃げる機会をうかがいつつ、角田と共同生活を強いられました。
1998年~2000年:猪俣家の乗っ取り
1998年3月に角田は、伯母の葬式の段取りが悪かったことを理由に、角田の遠縁の猪俣光江さんに文句を言いました。それをきっかけに、猪俣さんの親族を角田のマンションに頻繁に招集しました。角田は、猪俣一家に飴と鞭を使い分け、懐柔していきます。
猪俣一家で支配力を強めた角田は、親族同士で不満を言い合う機会を設けます。これが猪俣一家の崩壊のきっかけとなりました。最初の矛先になった猪俣光江さんは、親族による食事制限や暴行によって1999年に死亡しました。
猪俣一家を崩壊させたことで完全に支配した角田は、一家を兵庫県西宮市の団地に住まわせます。しかし、2000年に猪俣一家が角田と窃盗事件を起こしたことで、角田たちの逮捕後に猪俣一家は解放されました。この事件で角田は窃盗の罪で懲役3年執行猶予5年を言い渡されました。
2002年~2008年:皆吉家と谷本家の乗っ取り
2002年ごろになると、角田は内縁の夫鄭頼太郎(ていよりたろう)の友人である皆吉ノリさんの長男が、多額の借金を抱えていることを知ります。そして、角田は長男とその息子角田正則と共同生活を始めます。
2003年には、角田正則を皆吉初代さん夫婦に預けます。しかし、角田正則が暴れたために皆吉初代さん夫婦は角田正則を引き取るよう角田に懇願。それをきっかけに皆吉初代さんが嫁ぎ先である谷本家に、吉ノリさんら親族を連れて居座りました。
角田は角田正則の面倒を見られなかったこと、皆吉ノリさんの長男の借金を口実に皆吉一家と谷本一家に暴力や食事制限をしました。同年4月に借金を返済しましたが、再び金銭を要求されます。
それを口実に、皆吉初代さんは自身の娘たちから暴力を振るわれます。しかし、谷本隆さんの助けによって、皆吉初代さんは逃走しました。しかし、2008年に見つかってしまい、2009年に死亡しました。
また、皆吉初代さんの長女である仲島茉莉子さんは、2回ほど逃亡します。しかし、角田たちに見つかってしまい、2008年12月に死亡。仲島茉莉子さんの妹である角田瑠衣は、角田に心酔していたこともあり、角田のお気に入りでした。角田への忠誠心は、凄まじく自身の母親や姉を見捨てるほどでした。
2009年~2012年:大江家乗っ取りと逮捕
2009年に角田は孫の乗ったベビーカーが電車のドアに挟まれたことをきっかけに鉄道会社にクレームを入れます。これに対応したのが大江祐美の夫で鉄道会社の社員川村博之でした。角田は、川村博之が見せた態度に関心を示し、徐々に距離を詰めていきました。
やがて、角田は川村博之の家庭に口を出し始め、2010年に会社の退職と大江祐美との離婚を実行させました。その後も干渉を繰り返し、2011年には大江家を乗っ取ります。食事や睡眠、トイレが角田の許可制になり、それを守らなければ大江家の親族がその人物に暴力を振るいました。
度重なる暴力により、2009年9月に大江和子さんが死亡しました。その後に集中的に暴力を振るわれるようになった大江香愛は、隙を見て脱走。同年11月に大阪市内の交番に駆け込みました。
大江香愛が逃走したことで、角田は全ての罪を川村博之に擦り付けるため、遺書を書かせます。そして、大江祐美と自身の次女と自殺をしようとしていたところに警察が駆け付け、保護されました。また、その場に居合わせた角田は逮捕となりました。
尼崎連続変死事件わかりやすくに関するまとめ
今回は尼崎連続変死事件の概要と主要関係者を紹介しました。
主犯の角田を中心とした5つの家庭を巻き込んだ事件は、戦後の日本犯罪史における最悪の事件になったかと思います。理由として手の込んだマインドコントロールが挙げられます。
角田の飴と鞭の使い方と「暴力装置」と恐れられた角田正則と被害者家族の子どもたちの懐柔が、角田の武器となってしまったことが考えられます。多くの人と被害者を犯罪者にしたこのような事件を、今後とも忘れないように心に刻んでおかないといけませんね。
この記事を通して尼崎連続変死事件について興味や関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。