逮捕後は兄弟の関係を絶縁
弟のデイビットは兄のジェフリーと関係を絶ち、会っていたのかもわからない状態です。12歳の時に離婚に伴い父や兄と別居してからは、デイビットは1991年の裁判前にオハイオ州のシンシナティ大学を卒業。その頃には兄弟の関係を絶っています。そのためにジェフリーの裁判には、父のライオネルと継母は出席していましたが、デイビットは出席していませんでした。
名前を変え家庭を持ちひっそりと暮らしている
ジェフリーが刑務所で死亡した10年後に、父のライオネルと継母がテレビ番組に出演し、弟の動向を話しています。彼らの情報によるとデイビットは名前を変えて生活しており、家族とはかかわりを持たずに生活しているそうです。
2人はデイビットが結婚し、2人目の孫を楽しみにしているといった内容を話しています。なお、ジェフリーとデイビットの仲が良かったのかという質問にライオネルは、「一般的な兄弟といえるのではないか」と特に仲が悪くも無かったといいます。
余談ですが父のライオネルは事件後、化学企業の研究員を退職し、時々創造論や進化論のコンサルティング業務をしているのだそう。そして実母のジョイスは、ジェフリーの裁判の数年後に死去しています。ライオネルと継母はジェフリーの犯罪にもかかわらず、今もジェフリーを愛していると話しているそうです。
食人鬼「ジェフリー・ダーマー」が生まれた理由は?
猟奇的な殺人を繰り返したジェフリー・ダーマーは、当時のアメリカの社会問題に一石を投じることになりました。ジェフリーのような人物はどうして生まれたのか?ここでは食人鬼ジェフリー・ダーマーが生まれた理由を解説していきます。
寂しさや苦悩からアルコール依存症に
ジェフリー・ダーマーは離婚裁判中家に取り残されていましたが、この頃から自分が同性愛者と気づいた苦悩も相まって、アルコールに依存していくようになったといいます。高校在学中には登校前に飲酒していたことで教員から叱られたり、ロッカーからジンの瓶が見つかったために停学処分となりました。
そして父の勧めで入学したオハイオ州立大学も授業をまともに受けず、半年ほどで退学勧告を受けて退学。その後アメリカ陸軍に入隊し順調に昇進していましたが、ドイツ勤務になり免税店で安くお酒が買えるため再びアルコール漬けの日々となり、兵役満了を待たずに除隊させられています。
アルコール依存により社会生活を上手くできなくなったことは、ジェフリーが犯罪に走った要因の1つではないでしょうか。
社会の偏見の目も
ジェフリー・ダーマーの事件が長らく発覚せずに拡大した理由に、「同性愛者・有色人種に対する差別」が根強く残っていたことが挙げられます。ジェフリーが同性愛者と自覚した1970年代は、アメリカではソドミー法と呼ばれる法律があり、同意の上でも同性間の性交は禁止されていたのです。もし違反した場合は、罰金刑や自由刑が課せられる状況でした。
ジェフリーが同性愛を自覚し犯罪に手を染めていた13年間は、根強く同性愛に対する差別があったといえそうです。またアメリカにおける有色人種に対する差別も根強く残っており、警察に助けを求めた被害者よりも、白人であるジェフリーの言い分の方を信じたという話も残っています。
警察の体制も問題に
ジェフリー・ダーマーの事件が13年の間に17名の犠牲者が出たのは、やはりミルウォーキー警察の怠慢が原因といえそうです。ジェフリーが逮捕された時に犯罪が明るみに出ると、ミルウォーキー警察の杜撰な捜査や「ゲイ同士の痴話喧嘩」として笑い話にしていたテープが世間に露見してしまいました。そのためミルウォーキー警察は、米国中から非難されることとなったのです。
結果的に、ジェフリーの被害者を多く増やすこととなったのです。そのためミルウォーキーの警察本部長は不信任案が議決され、ミルウォーキーに住む黒人やアジア系の住民の人種間緊張が高まってしまったといいます。そういった時代背景も、ジェフリーのような犯罪者が生まれる社会であったといえるのではないでしょうか。
ジェフリー・ダーマーの弟に関するまとめ
ジェフリー・ダーマーの弟「デイビット・ダーマー」についてを中心に執筆しましたが、現在は名前を変えひっそりと暮らしていることが分かりました。家庭環境を読む限りかなり大変な家庭で育ったようですが、兄のような人物とならずに現在は子供たちと暮らしているといいます。事件の加害者にも家族がいる、そういった一面も知って頂けたら幸いです。最後までお読みいただき有り難うございました。