コンクリート事件でされたことを時系列で紹介
ここでは被害者女性が、加害者にされたことを改めて時系列で紹介していきます。なお、事件の主犯4名の名前は以下になります。
- 少年A:宮野裕史(当時18歳・主犯格)
- 少年B:小倉譲(当時17歳)
- 少年C:湊伸司(当時16歳)
- 少年D:渡邊恭史(当時17歳)
仕事帰りの被害者を監禁
1998年の11月25日の夕方、宮野裕史と湊伸司は強姦する相手を物色するため、埼玉県三郷市を徘徊していました。そして自転車で走行していた古田順子さんを見つけ、湊は自転車を蹴とばし転倒させています。
そこに宮野が出てきて「危ないから送ってやる」といって騙して安心させ、途中で「自分たちは仲間でやくざだ」と古田さんを脅し、ホテルに連れ込んで強姦しました。
その後、小倉譲と渡邊恭史も合流し、古田さんを猥褻目的で監禁することを共謀。「お前はやくざに狙われているから」と嘘をつき、湊の実家の2階へ拉致し、以降約40日に渡って監禁しました。
被害者への強姦・暴行
少女を監禁後、犯人たちは他の不良グループを呼び、輪姦していました。12月上旬に古田さんは犯人たちの目を盗んで脱出し、警察に通報しようとしますが失敗しています。このことで腹を立てた宮野・小倉・湊が顔面を殴打、宮野がオイルをたらしライターで火をつけています。
その後、前述したような暴行を繰り返していました。そして12月下旬に、失禁した尿を宮野が踏んだことに腹を立て、宮野・小倉・湊の3人が少女を殴打。顔が腫れている姿を見て、「でけえ顔になった」と笑っていたそうです。
さらに再度ライターで火傷を負わせています。この頃には、古田さんは度重なる暴行に「もう殺して」と懇願していたといい、身体は栄養失調と火傷で衰弱し、下のトイレに行くのも困難な状態でした。
被害者への暴行がエスカレートする
1989年に入った頃には、加害者たちはストレス発散として古田さんへ暴行するようになっていました。ギャンブルに負けた腹いせや、言いがかりをつけ殴る蹴るの暴行を繰り返し、古田さんは鼻血を出し、部屋中に血や膿が飛び散っていたといいます。この頃、犯人たちはこのまま続けると死亡するかもしれないと認識していたそうです。
しかし暴行を止めず、渡邊恭史は手が汚れるからと手をビニール袋で覆い、ガムテープで手を止めて殴っています。そして宮野も同じように手を覆い殴り、鉄球で古田さんを殴りつけました。それに習い小倉も鉄球で殴打し、渡邊が肩の高さからお腹に鉄球を2,3回落下させています。
この時宮野はオイルをたらしライターで火をつけたといいますが、古田さんはほどんど反応を見せなくなりぐったり横たわったままだったといいます。加害者たちは1月4日の午前8時から10時まで2時間リンチを繰り返していましたが、古田さんはその日の午後10時頃までに死亡しました。
遺体をコンクリ詰めして遺棄
翌日の1月5日に、宮野・小倉・湊が一緒にいたところに、湊の兄から「少女の様子がおかしい」と電話があり、部屋に戻ると古田さんは死亡していました。そして犯行がばれないようにと、他の不良仲間も含めて古田さんの遺体を遺棄することを共謀します。
加害者たちはドラム缶を準備し、遺体を入れた後にコンクリートを流し込みました。さらに瓦礫やブロックを入れて固定し、ドラム缶に黒ごみ袋をかぶせて密閉しています。宮野・小倉・湊はトラックでドラム缶を運び、江東区の工事現場に遺棄しました。ここは有刺鉄線に囲まれた場所であり、雑草もあり発見しにくい場所にありました。
1989年の3月に、別の強姦事件とひったくり20件の容疑で宮野と小倉が逮捕されています。そこで余罪を調べていたところ、2人が古田さんの殺害を供述し、警察が捜索すると供述通りにドラム缶が発見されたのです。
これを読んで、どんな悪書でもこれ程ひどくは書けない。
うまく言えないが、人の姿した悪魔?!
之に尽きる。
遊びだからいいじゃないってことは
万引きとか人殺しても
遊びだったらいいってことだよね
理不尽すぎないか?
まだ小学生だけど普通にやばいってことがわかる…
普通に怖いです。
弁護士に対して「遊びだからいいじゃない」
その文章が書いてある所を見てぞっとしました。
子宮壊れているのはやっぱり自分も性別は女性なので、怖いです。
お母様の精神状態が狂うのもわかります。