1712年 – 27歳「ハノーファーからロンドンへ」
宮廷楽長に任命されるも、出張先に住み着いてしまう
イタリア・オペラの本場で「アグリッピナ」を成功させたヘンデルは一躍有名になり、帰国後は25歳の若さでハノーファー選帝侯の宮廷楽長に任命されます。しかしヘンデルは出張を命じられたロンドンに住み着いてしまいました。当時イギリスでは海外のオペラなどは人気が高く、音楽の「輸入国」「消費国」でした。ヘンデルもそのことを感じたのかハノーファーよりもロンドンで仕事をすることを望んでいたようです。
ジョージ一世との関係
ヘンデルが勝手に出張先のイギリスに住み着いてしまった後、ハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ一世として渡英し、ヘンデルを追う形で雇い主がイギリスに来てしまいました。しかしジョージ一世は何も思うことが無かったのか(音楽に興味がなかったという説もあります)ヘンデルを咎める事もなく、その後も良好な関係を保ったとのことです。
1720年 – 35歳「ヘンデルのライバルは貴族たち?華やかでドロドロしたバロック音楽の世界」
貴族たちによる「王室音楽アカデミー」の設立
バロック音楽は王侯貴族による社会の全盛期であり、王や貴族たちはオペラを楽しむだけではなく、自ら作曲したりステージに立つこともありました。彼らの音楽への造詣は深く、移り気でミーハーながらも相当に耳が肥えた注文の多い聴衆だったのです。1720年になると貴族たちがオペラの制作会社・王室音楽アカデミーを設立し、ヘンデルはその中心人物となりますが、貴族たちの熱意に反してアカデミーの経営はいい加減なものでした。
いつの時代も同じ?ポジション争いで衰退する音楽業界
アカデミーの作曲家たちは貴族でもあったため、オペラの成功を競うだけではなく政治的に対立するなど厄介な問題も起きていました。ヘンデルもボノンチーニというイタリア出身の作曲家とライバル関係にあり、互いに陰湿で熾烈なポジション争いを繰り広げていたようです。
更に人気歌手をめぐる契約のトラブルなどが絶えず、アカデミーの杜撰な経営も相まってロンドンのイタリア・オペラブームは衰退していきました。1727年にロンドンで「乞食オペラ」という作品が大ヒットするとオペラ・セリア全盛時代の終焉は決定的なものとなり、ヘンデルは早々に見切りをつけてオラトリオ作曲家へと転向します。この点ヘンデルは時代の流れを読み取る力に長けていたと言えるでしょう。
1724年 -39 歳「風刺画に描かれてしまったヘンデル」
「音楽の消費国」を表したカリカチュア
この絵はイギリスの国民的画家でカリカチュアの大家・ウィリアム・ホガースが描いた絵です。この絵では外国人であったヘンデルのオペラと、人気のあった国内の道化師の劇に行列が出来ており、ドライデンやシェイクスピアの作品が紙くずとして捨てられています。
この絵を現代の日本で例えれば、話題の洋画や国内のお笑い芸人のライブに行列が出来ていて、夏目漱石や紫式部の作品がごみのように捨てられているというような意味の絵になります。当時のイギリスは世界的に著名な作曲家や画家はいませんでしたが、最先端の外国のオペラや仮面劇は庶民にも人気でした。
イギリス国内にはドライデンやシェイクスピアなどの優れた文化人は存在しているのにも関わらず、自らを後進国と勝手に位置付けして外国の最先端のカルチャーに飛びついているのを一人の画家が冷ややかな目でとらえていました。このような図は、現在の日本人である私たちにも何か思う当たるところがありませんか。
ともあれこのような社会現象になるほど、1720年代においてヘンデルのオペラは一世を風靡したのでした。
1729年 -44 歳「運命のいたずら?出会うことがなかった2人の巨匠」
ヘンデルに会いたかったバッハ
1729年にヘンデルが故郷のハレ滞在中にJ.S.バッハが面会を申し出ましたが互いに行き違いがあり、会うことはできませんでした。その後もバッハは何度かヘンデルに会えないかと手を尽くしましたが、結局生涯この2人が顔を合わせることはありませんでした。当時ヨーロッパにおいてはヘンデルの方が圧倒的に有名であり、彼にとってJ.S.バッハは特に気にかかる存在ではなかったようです。
お互いに「友達の友達」だった?
しかしテレマンやヨハン・マッテゾンなどの作曲家はバッハ・ヘンデルともに交流を持っており、お互いに全く接点が無かったわけではありませんでした。顔を合わせることがなかったのはまさに運命のいたずらだったのかもしれません。
2019年 -没後260 歳「ジミ・ヘンドリックスとご近所さんだった?ヘンデル・ヘンドリックス博物館について」
偶然同じ場所に住んでいた音楽家たち
ヘンデルはロンドンのメイフェア・ブルックストリートの23番地に住んでいました。偶然その隣の24番地で20世紀のミュージシャン・ジミ・ヘンドリックスが1年間暮らしていたようです。現在その地はヘンデル・ヘンドリックス博物館として2人の部屋を再現したユニークな博物館となっています。
その偶然を知ってからジミ・ヘンドリックスがヘンデルに興味を持ったという逸話がありますが、本当なのでしょうか。私営のため有料の博物館ですが、ロンドンに旅行の際は是非足を運んでみてください。
ヘンデルの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
バロックの光と闇 高階 秀爾著
ヘンデルが活躍したバロック時代の特色がよくわかる本です。美術史的な内容が多いですが、社会的な背景も理解できるためまずは押さえておきたい内容が書かれています。
ヘンデル《メサイア》研究──楽曲分析と解釈 中内幸雄著
ON BOOKS(138)近現代英国音楽入門 山尾 敦史 著
「クラシック音楽」といえばドイツ・イタリア・フランスなどの音楽家の名前が思い浮かびますが、現代の音楽界をけん引しているのはイギリスやアメリカの音楽家たちです。まだあまり知られていないながらも、現代へと繋がるイギリスの音楽史について知ることができる一冊です。
おすすめ動画
Handel: Da tempeste (Julia Lezhneva, Helsinki Baroque Orchestra)
ヘンデルのオペラ「エジプトのジュリアス・シーザー」よりクレオパトラのアリア「嵐で木の船は砕け」(Da tempeste)を歌うロシアの可憐なソプラノ歌手、ユリア・レージネヴァの動画です。安定したテクニックと美しい声を堪能できます。
(FULL ALBUM) Handel – Water Music – Consort Of London – Robert Haydon Clark
有名な「水上の音楽」全曲です。宮廷で水遊びをする際に作曲された華やかな器楽曲となります。約一時間という再生時間ですので、少し優雅な気分になれる作業用BGMとしていかがでしょうか。
オラトリオ「メサイア」
言わずと知れたヘンデルの代表作です。音楽にかかわる人にとっても、ヘンデルの音楽が好きな人にとっても、聖書を学ぶ人にとっても研究や勉強が必要な大作ですが、そうはいってもやはりシンプルに「良い曲だな」と思ってしまう魅力がありますね。この機会にハレルヤ・コーラスだけではなく全編聴いてみるのもいかがでしょうか。
Lascia Chio pianga (私を泣かせてください)
オペラ「リナルド」の中でヒロイン・アルミレーナが囚われの身を嘆いて歌う有名なアリアです。オペラが上演されることはそう多くないのですが、この曲単体での人気がとても高く、演奏会などで歌われる頻度は多いです。ソプラノのアリアですが、男性歌手が歌うことも珍しくありません。
おすすめ映画
「カストラート」(字幕版)
実在したカストラート歌手で、稀代の大スターであった「ファリネッリ」の伝記映画です。作中ではヘンデルも登場し、オランダの俳優ジェローン・クラッベがヘンデル役を演じました。もちろんヘンデルの楽曲やオペラも存分に堪能することができます。
オペラ上演シーンでは当時の「オペラ・セリア」の様式を再現しており、豪華すぎてどこか大仰な、独特の雰囲気を味わえます。ファリネッリの歌唱シーンはソプラノ歌手とカウンターテナー歌手の声を合成したとのことで、とても美しく神秘的な歌唱シーンでした。「カストラート」は、実は隠れた名作映画として、ファンの多い作品のようです。
関連外部リンク
ヘンデルについてのまとめ
いかがでしょうか?筆者個人的にヘンデルはとても馴染み深い作曲家なのですが、「ヘンデル」というと「メサイア」や「ハレルヤコーラス」のイメージばかりあることにもどかしい気持ちでいます。
明るく、華やかで、聴きやすい曲が多く、意外に破天荒なオペラの作風も面白いと思います。この機会に興味を持っていただけると嬉しいです。
多くの情報が載ってあり良かったです