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【悲劇の王妃】マリー・アントワネットとはどんな人?性格や死因、逸話まとめ

マリー・アントワネットにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「マリー・アントワネットの愛人・フェルゼン」

実は、アントワネットには、スウェーデン貴族のハンス・アクセル・フォン・フェルゼンという愛人がいたことは有名でした。出会いはアントワネットがまだ王太子妃だった1744年、パリの仮面舞踏会です。王妃となってからは一度距離ができるものの2人の関係は続きます。

愛人だったハンス・アクセル・フォン・フェルゼン

フランス革命が起きてから、フェルゼンはヴェルサイユにとどまり献身的にアントワネットを支えます。国王一家の逃亡を計画し、実行したのもこフェルゼンでした。逃亡事件が失敗した後も、自らの身に危険が迫るのも顧みず、なんとかアントワネットはじめ、国王一家を助けられないかと奔走しました。

アントワネットが処刑されてからは、革命を起こした民衆を憎むようになり、最後はフェルゼンを嫌う群衆によって殺されてしまいました。フェルゼンは、アントワネットへの愛ゆえに生涯独身を貫いたといわれています。

都市伝説・武勇伝2「処刑宣告で一夜にして白髪になった?」

マリー・アントワネットは、大変美しいブロンドだったそうです。しかし、「オーストリアへの逃亡が失敗しパリに連れ戻された時には、美しいブロンドが白髪になっていた」「処刑を宣告されたショックで白髪になってしまった」というエピソードがあります。

白髪のメカニズムとして、白髪は色素を持たないまま伸びてくる、つまり、白髪は生えてくる前から白髪なのです。そのため、ブロンドや黒髪として生えてきた髪が、途中から自然に白髪になることは滅多にありません。そう考えるとマリー・アントワネットの髪が一夜にして白髪になったというのは、どうやら嘘のようですね。

白髪のエピソードの真意は・・

では、なぜ「マリー・アントワネットは一夜にして白髪になった」というエピソードが伝えられているのかというと、白髪の原因は、遺伝や加齢の他にストレスも大きな原因だと考えられています。革命以降の身に迫る危険への恐怖、そして豪華な宮廷生活からのタンプル塔での幽閉生活、牢獄暮らしは、アントワネットにとって想像を絶するストレスだったに違いありません。

これらの極限のストレスの中白髪が増え、さらに処刑前に髪を短く切られたことで、突然白髪になったように見えたのかもせいれません。また、宮廷での生活とは違い、牢獄では十分に髪の手入れもできていなかったであろうことを考えると、美しかったブロンドがくすんで白髪に見えたのかもしれませんね。

マリー・アントワネットの略歴年表

1755年
ウィーンで生まれる
神聖ローマ皇帝フランツ1世と女帝マリア・テレジアの11女として名門ハプスブルク家に生まれました。ドイツ語名は、マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンと言います。

1770年
ルイ16世と結婚
母マリア・テレジアによる政略結婚のため、フランス王太子ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)と結婚しました。マリー・アントワネットはわずか14歳でした。
1744年
フランス王妃になる
1774年に、ルイ15世が天然痘で無くなったため夫がルイ16世として即位し、マリー・アントワネットはフランス王妃となりました。
1785年
首飾り事件が起きる
高額な首飾りをマリー・アントワネットに売りつけようとして失敗した宝石商が、王妃の親友だと名乗るジャンヌという伯爵夫人に騙された詐欺事件、「首飾り事件」が起きます。

マリー・アントワネットはこの事件に全く無関係で、むしろ被害者であるにも関わらず、この事件を境に、マリー・アントワネットに対する民衆の怒りはどんどん大きくなっていきました。

1789年
1789年、バスティーユの陥落をかわぎりに、フランス革命が勃発しました。暴徒化した民衆がパリからヴェルサイユに押し寄せ、アントワネット達はヴェルサイユからパリのチュイルリー宮殿へと移り住みます。
1791年
ヴァレンヌ事件が起きる
1791年6月20日、変装した国王一家はチュイルリー宮殿を抜け出し国境を目指して進みましたが、様々な不手際が重なり、国境近くのヴァレンヌの町で捕らえられてしまいました。この逃亡事件で国王夫妻は、国王擁護派達からも見捨てられてしまい、民衆の怒りも頂点に達します。
1793年
革命裁判
1793年、マリー・アントワネットはチュイルリー宮殿からコンシェルジュリー牢獄へと移送され、10月12日~15日まで革命裁判がおこなわれました。アントワネットは数々の罪状に対し無罪を主張しますが、10月15日死刑が宣告されました。
1793年
処刑される
1793年10月16日、パリのコンコルド広場で、ギロチンにより38歳の生涯を終えました。
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