カエサルにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「自分を捕らえた海賊を後日撃退した?」

当時のエーゲ海では海賊活動が盛んでした。アナトリア半島沿岸部にあるロドス島に向かう道中、海賊に捕まり、身代金として20タレントを要求されました。それに対してカエサルは「20は安すぎる、50を要求しろ」と命令し、「戻ったらお前たちを磔にしてやる」と尊大な態度で接していました。
身代金が支払われて解放された後、カエサルは海軍を招集してすぐさま海賊を捕らえました。アシア属州の総督は処刑を拒否しましたが、カエサルは海賊を磔にして処刑し、有言実行を果たしたといいます。
都市伝説・武勇伝2「借金で成功を手にしたカエサル」
カエサルは借金で大成功した人物だと語られています。彼の大きな借金の始まりは、海賊に身代金を支払うときにしたものでした。彼は身の安全を保障するため海賊たちに支払う身代金を50タラント(現在価値で数十億円)に釣り上げ、あちこちから借金して支払いました。

35歳で按察官に就任した時、自腹で公共施設の建設や街道補修を請け負うことで名声を高めます。この時の借金は1300タラント(現在価値で数百億円)でした。あまりに借金しすぎて、借金取りに囲まれたこともあったくらいです。

そんな彼に多額の貸し付けをしてくれたのがローマ一の富豪であるクラッススでした。彼はカエサルに金を貸しただけではなく借金の保証人となります。カエサルが巨額の借金をしても破滅しなかったのは、ローマ一の金持ちを味方にできたからでした。
カエサルの大きすぎる借金は、金貸したちに「カエサルに破産されたら困る」と考えさせる原因となりました。金貸したちは、カエサルを破産させないために巨額の融資を繰り返したのです。その結果、彼はローマ政界で成功し執政官にまでのぼりつめたのです。
都市伝説・武勇伝3「女たらしだった?」

カエサルのあだ名は「ハゲの女たらし」でした。元老院議員の約3分の1が妻を寝取られていたと言われていますが、実際の人数についての記録はなく、誇張が含まれているとされています。しかし、それほどまでにカエサルは女性にだらしなかったそうです。
カエサルの凱旋式の際は、軍団兵たちが「夫たちよ、妻を隠せ。ハゲの女たらしがお通りだ!」と叫んだと言われています。ただし、古代ローマでは、凱旋の際には兵たちが将軍に対して野次を飛ばすという習慣があったため、これはあくまで仲間内のノリということでもあります。
カエサルは背は高く筋肉質な身体ではありましたが、当時の美男子の条件である「細身、女も見紛うほどの優男」には当てはまっていないとも言われています。見た目ではなく、他の部分で多くの女性を虜にしていたのでしょう。
カエサルの略歴年表
カエサルの名前は現代まで残っています。カエサルの生まれた月である7月を表す英単語 July や、皇帝という意味を表す単語カイザー(ドイツ語)、ツァーリ(ロシア語)に形を変えて残りました。
その弁論の上手さは、当時有名だった哲学者キケロにも賞賛されるほど。感情的なジェスチャーや息継ぎの暇もないマシンガンのような話しぶりで、カエサルは権力をふりかざすだけの属州総督を次々と告発していきます。
ガリア地方の多くの部族を相手にしながら、侵入しようとしてくるゲルマニア人を防いだり、ブリタンニア(現在のイギリス南部)にも遠征したり、戦争に明け暮れた時期でした。紀元前51年にはガリア全土を平定し、ローマでの名声を大いに高めました。
攻防を続けながらも、エジプトに逃げたポンペイウスを追いかけていると、到着した先でカエサルは世界三大美女として有名なクレオパトラと出会います。
元老院会議に出席しようとしてポンペイウス劇場に向かう途中、待ち伏せていた人たちや同伴していた腹心の部下ブルータスに囲まれ、カエサルは刺殺されました。カエサルはブルータスのことを遺書に書くほど、信頼している部下でした。
カエサルの具体年表
紀元前100年 – 0歳「誕生」
政治家一家のカエサル家に誕生
プラエトル(法務官)やアシア属州総督を務めた同名の父ガイウス・ユリウス・カエサルと、何人も執政官を輩出した名家出身の母アウレリア・コッタのもとに、カエサルは生まれました。彼の叔母の夫、つまりカエサルにとっての義理の叔父は、大規模な軍制改革を行った政治家ガイウス・マリウスです。
カエサルが誕生した時期のローマは、民衆による市民集会で政治を行うべきとする「民衆派(ポプラレス)」と、元老院が主導して政治を行うべきとする「元老院派(オプティマテス)」で分かれており、義叔父のガイウス・マリウスは「民衆派」の英雄でした。必然的に、血縁関係のあるカエサル家も民衆派だったとされています。
紀元前81年 – 19歳「亡命」
政敵スッラの粛清から逃れてローマから亡命

ポントス王国との戦争での権限を巡って、元老院派のスッラと民衆派のマリウス(カエサルの義理の叔父)は真っ向から対立。スッラはマリウスを排除しようとしてローマを制圧し、終身独裁官となった後に民衆派を徹底的に粛清しようとしていました。
カエサルも粛清リストに名前があがっていましたが、若く、まだ政治活動をしていなかったことから、スッラの支持者や巫女が助命を嘆願し、カエサルは助かります。カエサルはその当時、パトリキ(貴族)の家系であるキンナの娘コルネリアと結婚しており、スッラから命を助ける代わりに離婚しろと命令されますが拒否します。スッラの追手から逃げるために、カエサルは小アジア・アカエアに亡命します。
紀元前78年 – 22歳「ローマに帰還し、政治家としてキャリアをスタート」
政敵スッラが死んだことでローマに帰還、弁舌を駆使して有名に
カエサルの命を狙っていたスッラが死んだことで、カエサルはローマに戻れることに。下層階級が住むスブッラという地区の一角にある質素な家に暮らし始めました。
当時ローマでは、属州統治の際に現地民に脅迫したり、搾取や収賄を行ったりする人が多くいました。カエサルはそのような属州総督を次々と告発し、歯に衣着せぬ物言いで有名になります。同時期にすでに有名だった哲学者キケロも、カエサルの弁舌っぷりを賞賛しました。
軍団司令官になってクルスス・ホノルム(名誉のキャリア)を歩み始める

カエサルはトリブヌス・ミリトゥム(軍団司令官)に選出されます。しかし、ヒスパニアでのローマ戦争やスパルタクスらが首謀した紀元前73年の第三次奴隷戦争があったにも関わらず、カエサルが活躍したという記録はありません。後にカエサルと三頭政治を行うことになるポンペイウスやクラッススは、奴隷戦争での活躍の功績がありました。
紀元前69年 – 31歳「財務官に就任」
クァエストル(財務官)に就任
カエサルはクァエストル(財務官)に就任します。この時、スッラの粛清以来すっかり見なくなった、義理の叔父マリウスの像を掲げ、自らを民衆派であることを公然と示すようになります。また、この時期に妻のコルネリアも亡くなりました。

財務官の任務でカエサルはヒスパニアへ赴任しました。ここでアレクサンドロス大王の像を目にして、「自分はアレクサンドロスの年齢に達しているのに、何も成し遂げていない」と自らの心境を漏らしたそうです。いつか偉業を達成してみせると、決意を新たにしました。
紀元前63年 – 37歳「カティリナ事件」
国家転覆の陰謀に加担したとして疑われる
カエサルはこの年、大量の借金をして買収工作を図り、最高神祇官に就任しました。同時期、ルキウス・セルギウス・カティリナ一味による国家転覆の陰謀が発覚し、執政官であったキケロは熱弁でカティリナ一味を断罪しました。元老院議員たちの間で陰謀の対処に追われる中、カエサルは陰謀に加担した者の死刑に反対。これに対してマルクス・ポルキウス・カトは処刑を主張し、結局陰謀者たちは処刑されることに。

処罰を反対したことから、カエサルも一味に加担していたのではないかと疑いがかかりました。その審議の最中、部下から手紙を受け取ったカエサルは「中身を見せろ!」とカトに詰められます。陰謀に加担した証拠が示されてあるに違いないと踏んでいたカトが手紙を開くと、それは女(しかもカトの異父姉)からのラブレターでした。会議は笑いに包まれ、カエサルの疑いは晴れました。
紀元前60年 – 40歳「第一回三頭政治」
元老院に対抗するためにポンペイウスとクラッススと組む
ポンペイウスはオリエントを平定して凱旋しましたが、元老院議員の対応に不満を抱いていました。そこにつけ込んでカエサルはポンペイウスと結託し、コンスル(執政官)に就任します。しかし、すでに功績を残しているポンペイウスと何もない自分とではバランスが悪いと感じ、騎士階級のクラッススを入れて元老院に対抗するための三頭政治を組みました。

まずカエサルは、執政官在任中に元老院での議事録を即日で市民に公開する事を決めます。それまでは議員から話を聞く以外には内容を市民が知ることはなかったため、議員たちはうかつな言動は出来なくなりました。また、グラックス兄弟以来、元老院におけるタブーであった農地法を成立させます。当初、元老院はこの法案に激しく反対。カエサルは職権で平民集会を招集、巧妙な議事運営で法案を成立させるとともに、すべての元老院議員に農地法の尊重を誓わせることに成功しました。
紀元前58~51年 – 42~49歳「ガリア戦記」
ガリア戦争で功績を残す
コンスルの任期を終えたカエサルはガリア地方の属州総督に就任します。ヘルウェティイ族がローマ属州を通過したいという要求を拒否したことをきっかけに、ガリア戦争がスタートしました。ヘルウェティイ族を抑えた後は、ガリア人の依頼を受けてゲルマニア人のスエビ族の長アリオウィストゥスとの戦いに勝ち、翌年にはガリア北東部に住んでいたベルガエ人の諸部族を制圧します。

最大の戦いは紀元前52年、アルウェルニ族の族長ウェルキンゲトリクスとの戦いです。この時はほとんどのガリア部族が敵対しましたが、アレシアの戦いでこれらを破ります。ガリア遠征により、カエサルはガリア全土をローマ属州とし、ガリア戦争の一連の経緯を『ガリア戦記』として本に残しました。
また、カエサルはこの戦争でガリア人に勝利し、ローマでの名声を高めました。彼は「新兵は新軍団を構成し、既設の軍団には新兵を補充しない」という方針を採ったため、長期間の遠征に従事した軍団は兵数が定員を割っていました。しかし、代わりに統率の取れた精強な部隊になり、軍団兵はローマにではなくカエサル個人に対し、忠誠心を抱く者も多かったとされています。これらのガリア征服を通して、カエサルは軍事力や指導力を蓄えていきます。
紀元前49年 – 51歳「ローマ内戦」
三頭政治が崩れてポンペイウスと対立
紀元前53年に、パルティアに遠征していたクラッススが死亡し、三頭政治のパワーバランスが崩れました。ポンペイウスがカエサルと距離をとって、元老院派に接近したことで2人は対立します。

ルビコン川を越えたカエサルはアドリア海に沿ってイタリア半島の制圧を目指します。ポンペイウスはローマですぐ軍団を編成することができなかったため、ギリシアに逃げて態勢を整えます。カエサルはポンペイウスを追ってギリシアに向かい、デュッラキウムの戦いで敗北を喫しますが、紀元前48年のファルサルスの戦いで兵力に劣りながらも優れた戦術によって勝利を収めました。
ポンペイウスはエジプトのアレクサンドリアに逃げ込みますが、そこでプトレマイオス13世の側近の計略によって船の上で殺害されてしまいました。カエサルが到着したのはその数日後でした。
クレオパトラと親密になる
カエサルが到着した時のエジプト・アレクサンドリアでは、プトレマイオス12世の後継者争いでクレオパトラ7世とプトレマイオス13世の姉弟が対立していました。カエサルは両者の仲介を目指していましたが、プトレマイオス13世派から攻撃を受けたことで、クレオパトラ7世の側に立って政争に介入します。ナイルの戦いで、カエサルのローマ軍はプトレマイオス13世派を打ち破りました。

紀元前46年、ローマへ帰還したカエサルは民衆の熱狂的な歓声に迎えられ、豪華な凱旋式を開きました。その時、カエサルはクレオパトラ7世をローマに招いており、クレオパトラ7世はカエサルとの間の息子とされるカエサリオンを伴っていたとされます。
紀元前45年 – 55歳「終身独裁官に就任」
終身独裁官に就任して権力を自分に集中させる
対立していた政敵をほぼすべて打ち倒してローマ内戦を終わらせたカエサルは共和制の改革を始めます。属州民に議席を与え、定員を600名から900名へと増やしたことで元老院の権力を失わせたり、機能不全に陥っていた民会、護民官を単なる追認機関としたりすることで有名無実化しました。代わって、終身独裁官に就任し、権力を1点に集中することで統治能力の強化を図りました。
祭典の際にカエサルは王の証ともいえる月桂樹を奉じられましたが、ローマ市民からの拍手はまばらで、逆にカエサルが月桂樹を押し戻すと圧倒的に大きな拍手が巻き起こったそうです。 共和主義者はこの行動をカエサルが君主政を志した表れと判断します。この他にも、カエサルの尊大な振る舞いや言動、そして終身独裁官としての絶対的な権力に対し、マルクス・ユニウス・ブルータスら共和主義者は共和政崩壊の危機感を抱くようになりました。
紀元前44年 – 56歳「部下に裏切られて暗殺される」
出勤途中に腹心の部下に刺されて死亡

紀元前44年3月15日、カエサルは元老院議会へ出席しようとしていました。妻・カルプルニアは前日の夜に悪夢を見たため、カエサルに元老院への出席を避けるよう伝え、カエサルも一度は見合わせることを検討していましたが、暗殺を企てている部下の忠告を受け、何も知らないカエサルは出席することにしました。
カエサルは身体の不可侵性を保障される護民官職権を得ていましたが、それに加えて元老院議員から安全に関する誓約を取った上で、独裁官に付属する護衛隊を解散していた。したがって、カエサルを守る者は近くに誰もおらず、待ち伏せていた元老院派や共和制派の人々に滅多刺しにされてしまいます。その激しさは、暗殺者同士で手を切り合うほどで、23の刺し傷のうち、2つ目の刺し傷が致命傷となったといわれています。
ユリウス・カエサル の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
ガリア戦記(講談社学術文庫)
ユリウス・カエサル自身が書いた有名な歴史書で、古代史研究の最重要文献といわれています。自分がいかにしてガリアを平定し、ローマを繁栄させたのかについて、自画自賛せずに書かれてあります。ページ数は多いですが、詳細な地図や用語集もあるため理解しやすく、カエサルの奮闘物語として読みごたえがあります。
内乱記(講談社学術文庫)
これもカエサル本人が書いた歴史書で、政敵ポンペイウスとの対決を描いています。「ガリア戦記」はゲルマニア人などの外の民族との戦いで、この本は「内乱」というタイトル通り、政治的な戦いを繰り広げています。「ガリア戦記」よりもカエサル本人の感情の吐露が多く、人間味を感じながら読み進めることができます。
カエサル(講談社学術文庫)
ユリウス・カエサルについての入門書です。変革期のローマを、カエサルがどのように関わり、どのように動かしていったのかについて分かりやすく解説しています。また、ローマを繁栄させ、そこで出世するために現実的なビジョンを常に見据えていた行動派というカエサルのキャラクターを読み取ることができます。
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【世界史漫画・古代ローマ編③】カエサルの生涯を4分で簡単解説!ローマの英雄がなぜ裏切られたのか…
カエサルの生涯について、ポップなイラストで4分という短い時間で解説してくれるので、カエサルについての流れをつかむためだったら、文章で勉強するより分かりやすいです。当時カエサルがどう思って行動していたのかについても触れられているので、物語として知識を吸収することができます。
おすすめの映画
ジュリアス・シーザー(1970年版)
ウィリアム・シェイクスピアが原作になっている映画作品です。カエサルに対する反乱軍の蜂起と、カエサルが暗殺されるまでを描いています。カエサルの側近であるアントニーやブルータスが主人公で、カエサル暗殺を主軸としてストーリーが展開していきます。ブルータスがカエサルを暗殺した経緯がドラマティックに表現されています。
シーザーとクレオパトラ(1945年)
古い映画ですが、「風とともに去りぬ」でオハラ役を射止めた美しいイギリス女優ヴィヴィアン・リーがクレオパトラ役をしたことで有名な作品です。カエサルがクレオパトラを再びエジプト女王の座に就かせようと画策するストーリーで、史実とは関係なしに恋愛や政治を絡めた人間ドラマが見どころです。
おすすめドラマ
ROME(ローマ)
2005年のドラマですが、美術衣装などにこだわっていて映像に古さを感じさせません。ローマ帝国の歴史だけでなく、そこで暮らす人たちの生活感が伝わってきます。食事のシーンなど、生活空間が登場するシーンが非常に多く、そうした背景の細部まで徹底的に作り込まれています。
人間の心理描写の深さや、抑揚のあるストーリー展開など、飽きずに最後まで一気見できます。シーズン2までしかないため、一気見にも時間がかかりません。
関連外部リンク
カエサルについてのまとめ
カエサルは2000年以上前に生きた人物なのに、今なお多くの歴史ファンを魅了している偉人です。自分が皇帝になることはかないませんでしたが、彼の意志はオクタウィアヌスに引き継がれ、彼は初代皇帝アウグストゥスになります。
実は政治家として成りあがるために多額の借金をして買収したり、周りが呆れるほどの女たらしだったりと、人間味あふれる魅力的なキャラクターでもあります。だからこそ、歴史に名を残す偉人になれたのではないかと思います。
この記事を読んで、カエサルが作り上げようとしていたローマがこれからどう変わっていくのか気になった方もいるのではないでしょうか。この記事を参考にして、歴史や偉人のキャラクター性を学んでいってみてください。