皆さんはアントニオ・サリエリという人物をご存知でしょうか?彼は1700年代後半のヨーロッパの音楽界のトップに立つ作曲家でしたが、死後はその存在をすっかり忘れられた人物です。
1984年に戯曲「アマデウス」が映画化すると、サリエリはモーツァルトと対立する人物として一気に知名度を上げました。また近年ゲームのキャラクターとして登場したということもあり、それをきっかけに名前を知ったという人も多いのではないのでしょうか。
フィクションに登場するサリエリの姿は「モーツァルトの才能に嫉妬する男」というダークな面を描かれることが多く、実際に作中でモーツァルトの殺害まで企ててしまうこともあります。そんな彼の実際の姿、人生はどのようなものだったのでしょうか。当時の音楽界の事情にも触れながら、現役の声楽家である筆者が簡単にご紹介いたします。
アントニオ・サリエリの来歴は?
名前 | アントニオ・サリエリ |
---|---|
誕生日 | 1750年8月18日 |
没日 | 1825年5月7日 |
生地 | イタリア・レニャーゴ |
没地 | オーストリア帝国・ウィーン |
配偶者 | Therese Helferstorfer |
埋葬場所 | ウィーン中央墓地0ブロック |
アントニオ・サリエリの生涯は?
1750年にイタリア・レニャーゴで生まれ、幼少時から音楽教育を受け才能を現していきます。両親の死後は北イタリアのヴェネツィア(オペラの中心地のひとつ)に移り、更に本格的な音楽教育を受けたのちにウィーンの宮廷音楽家として招聘されました。
1788年・38歳のときにウィーン宮廷作曲家・兼楽長となり、生涯その地位に留まっていました。主要作品は歌劇(オペラ)であり、オペラ・セリア、オペラ・ブッファともに多く作曲しています。当時のヨーロッパの楽壇において間違いなくトップの地位にある人物であり、経済的にも恵まれ安定した人生を送りました。
アントニオ・サリエリの作品の特徴は?
では実際作曲家としてのサリエリはどのような特徴を持っていたのでしょうか?後ほど動画と一緒にご紹介したいと思いますが、はじめに簡単に説明します。
当時の作曲家たちは、ドイツ系か、イタリア系か(あるいはフランス系か)で大雑把にタイプ分けをすることができます。どちらにも良い点があり、まずドイツ系は厳かで思想的・というイメージです。コンサートは静かに行儀良く聴くもの、という意識の強い私たち日本人がイメージしやすいのがこちらです。対してイタリア系は豪華絢爛で華やかです。軽やかな伴奏や甘いメロディが特徴的で、耳馴染みが良くエンターテインメント要素が強いのがこちらです。当時ヨーロッパの音楽と言えばイタリアが中心地でした。
サリエリはイタリア人でしたが、オーストリア帝国の宮廷楽長として活躍しました。ドイツ系にも受け入れられそうな真面目さとイタリア系らしい愛らしさを兼ね備えたハイブリット型でした。歌劇も非常に格調高い作品が多く、歌詞や歌のメロディの美しさは現在でも高く評価されています。
サリエリのオペラはバロック期からの流れを汲む古典的なオペラ作品の集大成と言っても良いでしょう。しかし時代は既に移り変わっており、サリエリ作品のような歌や言葉を重視する歌劇よりも、歌以外の音楽全てを充実させたモーツァルトやグルックのオペラがその後の主流となっていきます。
アントニオ・サリエリは一体何がすごいのか?
すごさ1「サリエリの交友関係と弟子がすごい」
サリエリの交友関係はとっても豪華です。彼は宮廷楽長でしたのでハプスブルク家のネットワークの強さもあったのでしょう。まず交流のある同年代の音楽家にはモーツァルトはもちろん、グルックやハイドンがいます。そして何といってもサリエリの弟子たちの豪華さには驚きます。
あのベートーヴェンや、ピアノのエチュードで有名なツェルニー、歌曲王シューベルト、更にはフンメル、モシェレス、マイアベーア、そしてリストなどの世界的な音楽家・作曲家たちは皆サリエリの門下生なのです。ベートーヴェンの初期作品などはサリエリの影響を非常にわかりやすく受けていますので、是非聴き比べてみてください。
すごさ2.「サリエリの社会貢献がすごい」
サリエリは両親の死後ヴェネツィアでガスマンという作曲家に師事します。サリエリの才能を見出して経済的な支援を惜しまなかったガスマンに対し大変に恩義を感じていたようで、サリエリ自身も後年慈善活動を行うことになります。
その内容は月謝を取らずに弟子をとる、失職した演奏家やその家族のためにチャリティ・コンサートを開く、などと言った内容でした。このようなサリエリの行いが、後世にも名を連ねる音楽家たちの成長を支えたように思えます。
アントニオ・サリエリの代表曲
- 歌劇「アルミーダ」 初演1771年6月 ウィーン
- 歌劇「見出されたエウローパ」 初演1778年8月 ミラノ
- 「皇帝ミサ」 ニ長調 (1788年)
- 歌劇「ダナオスの娘たち」 初演1784年4月パリ
- 歌劇「タラール」 初演1787年6月パリ
- 歌劇「ヘラクレイトスとデモクリトス 」 初演1795年8月 ウィーン
- 歌劇「ペルシャの女王パルミーラ 」初演1795年10月 ウィーン
- 戴冠式「テ・デウム」 (1792年)
- 歌劇「ファルスタッフ」 初演1799年1月 ウィーン
- レクイエム ハ短調 (1804年)
アントニオ・サリエリにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「モーツァルトとの確執は本当か?」
「アマデウス」に描かれていたような、サリエリとモーツァルトとの対立は実際にあったのでしょうか?実はこのことに関してははっきりわかっていないというのが事実です。
当時のヨーロッパの楽壇ではイタリア系作曲家VSドイツ人系作曲家という構図が成り立っていました。長い間ウィーン宮廷楽長という高い地位にあったイタリア人のサリエリが、ドイツ系で若手のモーツァルトに嫌がらせをしているという根も葉もない噂が人々の関心を集めるスキャンダルとして扱われたのではないか、という説が濃厚です。
しかし実際モーツァルトは「サリエリがいるせいで、(自分が)宮廷楽長になれない」というようなことを漏らしていたようです。ただ、モーツァルトのユーモア溢れる性格を考えると、この言葉はサリエリに対する最大の賛辞だったかも知れないと推測できます。2人で一緒に「オフィーリアの健康回復に寄せて」というカンタータ(お互い知り合いだったソプラノ歌手の休業明けを祝って作曲された)も作曲しており、不仲という説は現在否定されつつあります。
サリエリとモーツァルトがお互いに意識し合い、火花を散らしていたことは事実だったかも知れませんが、対立というよりは良きライバルのような関係だったのではないでしょうか。
都市伝説・武勇伝2「サリエリの暗い晩年は本当?嘘?」
晩年精神病院に入院し、「自分がモーツァルトを殺した」と譫言を言っていた、というサリエリのイメージもフィクションでよく描かれる彼の姿ですが、実際はどうだったのでしょうか?
これは半分作り話で、半分は本当だったといえるでしょう。サリエリが晩年入院しており、死の直前まで病院で過ごしていたというのは事実です。しかし彼の病状は精神疾患ではなく、痛風と怪我の治療のための入院でした。
サリエリは社会的身分も高く経済的にも裕福であったため、若い頃は「サリエリがモーツァルトを毒殺した」というような、今だと訴訟レベルの誹謗中傷にも毅然としていられる心の余裕がありました。しかし晩年になると体力の衰えと共に気力も落ち、自身の弟子に「自分はモーツァルトを殺したりなんかしていない」というような弱音を吐いていたようです。ところがこの言葉を聞いた弟子が逆にサリエリを怪しんで「彼こそがモーツァルトを殺したに違いない」と日記に書いてしまいました。
その内容が伝わっていき、今でもサリエリには暗いイメージが残っています。根も葉もない噂話の恐ろしさは、今も昔も変わらないですね。
アントニオ・サリエリの生涯歴史年表
1750年 – 0歳「サリエリの幼少期」
幼い頃より音楽教育を受ける
サリエリは兄弟とともにチェンバロ、声楽、バイオリンの教育を受け、才能を表していましたが親は音楽家ではなく、家族に音楽関係の仕事をしている人はいませんでした。このような家庭環境にあった作曲家は他にはヘンデルやヴェルディなどがいます。両親の死後はガスマンという作曲家に師事し、更に本格的な音楽教育を受けることになります。
1766年 – 16歳「ウィーン宮廷に招聘される」
イタリア人というブランド力と実力で宮廷音楽家に
サリエリはガスマンと一緒にオーストリア帝国のウィーンに渡り、1774年には宮廷音楽家に就任し、1788年に宮廷楽長に就任します。音楽の本場・イタリアから来た音楽家というブランド力もあって長い間そのポジションに就くことになります。このことは後々あらゆる音楽家たちから嫉妬の対象となり、スキャンダルのきっかけとなります。
1788年 – 38歳「スカラ座のこけら落とし公演でオペラを上演」
「見出されたエウローパ」が上演される
サリエリが1788年に宮廷楽長に任命されると、同年ミラノ・スカラ座での開場作品としてオペラ・セリア「見出されたエウローパ」が上演されました。2003年に新スカラ座でのこけら落としにもこの演目が選ばれ、話題となりました。
この作品は一つの役を除いで男性役も女声が担当し、高度な技術力を歌手に要求されるため上演することが難しい作品の一つです。
1820年 – 70歳「楽壇のスキャンダルの的に」
長年の楽長ポジションが招いた嫉妬?
1820年代の楽壇において、サリエリのスキャンダルは格好の話題となりました。その内容は「モーツァルトの作品を盗作した」「モーツァルトを毒殺した(35歳で亡くなったモーツァルトの死因が不明なため)」などという相当な誹謗中傷でした。サリエリ本人は毅然と否定したらしいですが、晩年になるほどサリエリの肖像画の表情は暗くなっており、彼の心に影を落としたのは事実でしょう。
1984年 – 没後159歳「映画「アマデウス」公開」
サリエリの再評価のきっかけに
1979年発表・ピーター・シェーファーによる戯曲「アマデウス」が映画化されました。この作品のサリエリ像はそれまでフィクションに登場するいかにも悪役といったサリエリとは少し異なり、モーツァルトの才能に嫉妬しながらも人間らしい苦悩や悲哀も丁寧に描かれました。またこの映画はあらゆる部門でアカデミー賞を受賞し、サリエリという人物やその音楽が再評価されるきっかけとなりました。
2009年 – 没後184歳「サリエリ・オペラ音楽祭が開催される」
故郷のレニャーゴで音楽祭が開催されるように
2000年過ぎ頃から有名歌手がサリエリのオペラを歌ったCDをリリースするなど、少しずつ作品に注目されるようになり、2009年頃に故郷のイタリア・レニャーゴでサリエリ・オペラ音楽祭が開催されるようになりました。
2018年 – 没後193歳「ソーシャルゲームのキャラクターとして登場」
復讐者のサーヴァントとして登場
人気のスマホゲーム「Fate/GrandOrder」のキャラクターとして登場しました。若く容姿端麗な青年として描かれており、今までのサリエリのダークなイメージを逆に魅力的に描いて若い世代の人がアントニオ・サリエリの名を知る大きなきっかけとなりました。
アントニオ・サリエリの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓: 時空を超えて味わうオペラ飯
サリエリやモーツァルトのオペラの題名を冠した料理が出てくるレシピ本です。映画「アマデウス」に出てくるあのスイーツのレシピもあり、とても美味しそうです。どうやらサリエリも甘いものが大好きだったようですね。
サリエーリ 生涯と作品 モーツァルトに消された宮廷楽長(新版)
日本では唯一といって良いサリエリ伝記です。第27回マルコポーロ賞を受賞しており、オペラ研究家として名高い水谷彰良の著作です。新たな事実を加えて2019年に新版が発行されました。
おすすめの動画
Antonio Salieri. TARARE. Deutsche Handel Solisten. 1988
オペラ「タラーレ」の全曲が聴ける動画です。人間の愚かさを嘆いた2人の神が自分たちの手で新たな人間を作りますが、1人は暴君となり、1人は英雄となるというストーリーです。対訳が無いのですが、よろしければ聞いてみて欲しいです。
Salieri “Requiem”
サリエリの「レクイエム」です。彼の宗教曲の美しさは再評価されています。また、よく聞くとベートーヴェンやシューベルトへの影響がよくわかりますので是非触れてみてください。
「Antonio Salieri – Europa Riconosciuta – Act II “Fra mille pensieri”, “
歌劇「見出されたエウローパ」の一場面です。音楽はもちろん、歌劇で女性が男性役をつとめる「ズボン役」の表現にも注目です。
Antonio Salieri – Piano Concerto in C (1773)
器楽曲も一つご紹介します。明るく華やかで繊細、まさに宮廷音楽家らしい一曲です。
おすすめの映画
アマデウス
サリエリの名を現代に広めるきっかけになった映画です。モーツァルトの死因が明らかになっていないことを面白く演出したフィクションで、サリエリ役のF・マーレイ・エイブラハムの名演によりアカデミー主演男優賞をはじめ、あらゆる賞を受賞した作品です。モーツァルト作品もダイジェストで味わえますのでおすすめです。
関連外部リンク
アントニオ・サリエリについてのまとめ
いかがでしたでしょうか?筆者は高校生の頃授業で映画「アマデウス」を鑑賞し、サリエリの名を初めて知ったとともに、その作品に大きな衝撃を受けました。
今演奏する立場でサリエリの音楽に触れてみると、バランスのとれた楽曲の美しさにうっとりしてしまいます。もっと色々な人に知ってもらいたい作曲家の一人ですので、この機会に興味を持っていただけますと幸いです。