小林一茶の代表作と言える有名俳句
やせ蛙負けるな一茶ここにあり
季語
蛙ー春
補足
相撲でもしているのか、痩せ蛙を応援している一茶です。まるで鳥獣戯画のような世界観を感じます。
我と来て遊べや親のない雀
季語
雀-春
補足
親のない孤独な雀に「遊ぼう」と声をかけています。親元を遠く離れた江戸でのくるしい奉公生活を振り返っているようです。
青梅に手をかけて寝る蛙かな
季語
青梅-夏
補足
蛙が寝ているのですが、その寝姿が面白く、青梅に手をかけながら寝ているよ、というのです。剽軽な蛙とそれを見つめる一茶の表情まで浮かんできそうな句です。
寝せつけし子のせんたくや夏の月
季語
夏の月-夏
補足
子どもを寝かしつけたその夜、その子の服を洗っているというのです。熱帯夜であれば、家屋の中の子どもは腹をだして寝ているかもしれませんね。
名月をとつてくれろと泣子かな
季語
月-秋
補足
名月つまり満月を指して「とってくれろ」と泣いている…泣いているのですから、子を背に負っているのかもしれません。まるで影絵のような世界を感じます。
夕日影町一ぱいのとんぼかな
季語
とんぼ-秋
補足
柿色の夕日に染まる町をとんぼが埋め尽くしている、といった景色を詠んでいます。一茶は、誰とそれを見ているのでしょう。
これがまあ終のすみかか雪五尺
季語
雪-冬
補足
終のすみか、つまり残りの生涯を送るその家は、五尺(約150cm)の雪に囲まれているというのです。しかし、なんと言っても「これがまあ」が一茶らしさを醸し出しています。
猫の子がちよいと押へるおち葉かな
季語
おち葉-冬
補足
おち葉を子猫が手で押さえたという光景を詠んでいます。猫はよく動くものを手で押さえようとしますよね。ここでも「ちよいと」に一茶らしさが出ています。
ともかくもあなたまかせの年の暮れ
季語
年の暮れ-冬
補足
「あなたまかせ」の「あなた」とは他人ではなく、阿弥陀如来をさしています。一茶は浄土真宗の門徒であり、死の直前も念仏を唱えたと言われています。
目出度さもちう位也おらが春
季語
春ー春
補足
代表作『おらが春』より。めでたさも中くらいだよ、と言っているところが一茶の茶目っ気です。変に誇張せず肩張らない、いつもどおりの春を迎えたという気分が出ています。
小林一茶の功績
功績1「生涯2万句を遺した」
小林一茶は生涯に2万句を詠んだと言われています。これは、松尾芭蕉が1000句、与謝蕪村が3000句であることと比較しても桁違いの数字です。ただ、その分、出来栄えの良くない句が多いとも言われています。
ひとつには、一茶の俳句の詠み方に理由があると考えられています。2万句の中には、相互に類似した句が多くあります。例えば次のような句です。
あの月をとってくれろと泣子哉
名月をとってくれろと泣子哉
明月をとってくれろと泣子哉
名月でもあの月でも、或いは明月であっても、指し示すものは変わりません。秋の月をさすわけですね。ただ名月といえば、満月つまり中秋の名月をさすものと感じられます。
一茶がたくさんの句を残したのは、このようにバリエーションをたくさん作ったからだと言えます。それはよく言われるように、言葉が擦り切れるまで句を見直し続けた一茶の執念の現れなのでしょう。
功績2「一茶調と呼ばれるほどに独自の俳風を確立した」
一茶の俳諧の世界観は独特で、それ故に「一茶調」と呼ばれています。これだけ多くの人を魅了する一茶調ですが、ふしぎとそれを継承しようという俳人が現れなかったため、一茶の一代限りとなりました。
しかし、平易なことばで、力弱き生き物を詠いあげる一茶調は、やはり一茶でなければなし得なかったものです。信州の雄大な自然。厳冬期の雪深い故郷とそれゆえに訪れる春、夏、秋への愛おしさ。その中を懸命に生きる虫や動物たち。
翻って考えれば、小さな命に心を寄せるほど、一茶はいつも寂しかったのではないでしょうか。ともあれ、「芭蕉追従こそ良し」とされていたこの時代に、一茶調と呼ばれる境地に至ったことは、特筆すべき一茶の功績だと言えます。
小林一茶の名言
焼け土の ほかりほかりや 蚤さわぐ
こちらは一茶が最後に詠んだ句です。大火事によって焼けた土はまだ暖かく、家に住み着いた蚤が飛び跳ねている、という意味です。ほかりほかりは一茶が得意とした擬態語を使った表現で、特に完成度が高いと言われています。
確かに、なんだか明るくて温かな印象を受ける、秀逸な言葉ですね。
花の陰 寝まじ未来が おそろしき
上記と同じく、一茶の辞世の句とされています。こちらは、花の陰では寝ないようにしよう、死後の世界が恐ろしいから、という意味で死を恐れる句です。
とはいえ、一茶としてはまだまだ死ぬつもりはなく、俳諧の師匠としてあちこちへ行ったり、選句を行ったりと精力的に活動していました。当時65歳と高齢だったことを考えると、死への恐怖を俳句で紛らわせていたようにも感じますね。
金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である。
一茶の体験からきている名言。14歳で家を追い出され、一人江戸へと奉公に出されたり、10年以上相続争いをしたりとお金にはかなり苦労した人です。そんななか、諦めずに俳人として人生をまっとうした一茶だからこそ、言葉に重みがありますね。
確かにお金がないとできないことも世の中にはあります。しかし、同時にお金がなくてもできることがあるはずです。諦めずにできることからコツコツやると、案外手が届くかもしれませんね。
他の富めるをうらやまず、身の貧しきを嘆かず、ただ慎むは貪欲、恐るべきは奢り
一茶が安定した暮らしを手に入れたのは、50歳を過ぎてからでした。それまでは俳諧修行や生活のために各地を旅しており、生活は安定していませんでした。上記の名言は一茶の心掛けの言葉とも言えます。
他の人をうらやまず、現状を嘆かず、物やぜいたくをほしがらない、これこそが人生を生きていくコツなのかもしれませんね。