アントニオ・ヴィヴァルディの功績
功績1「協奏曲の発展に貢献した」
ヴィヴァルディの功績として、協奏曲の発展に貢献したことが挙げられます。その際に、彼が生み出した3楽章制は様々な名曲を誕生させました。
3楽章制とは、各楽章ごとに急・緩・急とテンポを変化させながら演奏することで、それぞれの楽曲の独立性を表現することができる技法です。彼はこの技法によって、独創的な楽曲を数多く制作しました。
また、3楽章制は彼の代表作「四季」でも活用されており、曲中における春夏秋冬の各構成は第1楽章・第2楽章・第3楽章という形となっています。そのため、「四季」は12曲によって構成されています。
功績2「リトルネッロ形式による独奏協奏曲の形式を確立させた」
ヴィヴァルディはリトルネッロ形式による独奏協奏曲の形式を確立しました。リトルネッロ形式とは、バロック時代に流行した総奏と独奏を交互に演奏する西洋音楽の楽曲形式です。
この形式はヴィヴァルディによって有名となりましたが、彼が考案したというわけではありませんでした。しかし、彼は3楽章制とリトルネッロ形式を活用し、数多くの特徴的な楽曲を残しています。
そして、リトルネッロ形式はヴィヴァルディの作品と共に国際的に広まってきました。そのため、この形式を含む西洋音楽史を語る上では、ヴィヴァルディの名前を欠かすことはできません。
功績3「第二次世界大戦後にバロックブームを引き起こした 」
ヴィヴァルディの楽曲は、第二次世界大戦後にバロックブームを引き起こしました。この時期に、彼の音楽は復活を遂げます。
かつて忘れ去られた彼の作品は、バロック期の音楽と共に20世紀前半に再発見され、再評価されました。そして、それまで公表されていなかった楽曲も複数発見されたことで、空前のバロックブームとなりました。
また、1955年に録音された「四季」のレコードは、2500万枚以上の驚異的な売り上げを記録しています。
アントニオ・ヴィヴァルディにまつわる逸話
逸話1「ヴィヴァルディは数々の名演奏者を育てた」
もともと司祭だったヴィヴァルディですが体が弱かったためピエタ院という孤児施設で音楽を教えていました。
ピエタ院では才能のある女子には熱心に音楽を教えており、ヴィヴァルディ自身も施設にいる子たちのために作った曲が多かったそうです。
ヴィヴァルディの指導力は非常に高くヴァイオリンの神童と言われるほど知名度の高かったアンナ・マリーアもヴィヴァルディの弟子だったようです。
この他にも多くの演奏者を輩出したため、貴族たちからも注目される音楽教育だったとされ次第に孤児院施設だけでなく音楽教育の場所にもなったとされています。
逸話2「ピエタ院にいた時間は短かった?」
ヴィヴァルディの生涯を語る上で必ず出てくるのがピエタ院です。彼は音楽教師としてピエタ院と契約していましたが、その契約内容はなんとも自由なものだったようです。
実際の契約内容は、
- 1.毎月2曲の楽曲をピエタ院に提供すること。
- 2.毎月2,3回リハーサルに参加すること。
- 3.旅行やオペラ公演でピエタ院に来れない場合は郵便で楽譜を送ること。
約束はこの3つだけだったそうでヴィヴァルディは基本的には自由に音楽活動ができたとされています。実際、中年期のヴィヴァルディはオペラの上演にのめり込んでいたためピエタ院にはほとんどいなかったのではないかという考えもあります。
それでもピエタ院が比較的自由な生活を保障してでも契約していたことからヴィヴァルディがとても才能のある人間だったことを証明していますね。