音楽をやったことがある人でもない人でも、殆どの人が「ショパン」という名前を聞いたことがあるかと思います。クラシック音楽界で最も有名と言えるベートーヴェンやモーツァルトには名を劣らせますが、主にピアノ曲界隈ではその超絶技巧と歌心を中心として世界中に名を轟かせています。
現在では『ショパン国際ピアノコンクール』と呼ばれる、世界中の腕のあるピアニストたちが一堂に会す世界で最も権威の高いピアノコンクールも開催され、そこで優勝すれば一生のピアノ人生を手に入れることができます。日本人も、第5回コンクール以来ほぼ毎年入賞を果たしています。
そんなショパンの有名な曲は数多く、今世界に出回っているショパン名義の曲殆ど全てが有名と言っても過言ではありません。ノクターン等のゆったりと唄いこむ曲から、英雄ポロネーズや革命のエチュードと呼ばれる威勢のいい曲、幻想即興曲等の超絶技巧を必要とする曲まで、様々な曲を世に排出しています。
しかし、これらの曲は全てが難しく、かなりのピアノ経験年数がないと弾けない曲ばかり。ピアニストにとって”憧れの”ショパンと言うこともできます。
今回は、ピアノ経験15年になってようやくショパンの超絶技巧を要する曲を弾けるようになり、毎日ショパンの曲を聴き弾きまくっている筆者がお伝えします。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ショパンとはどんな人物か
名前 | フレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin) |
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誕生日 | 1810年3月1日(1809年3月1日との説もあり) |
没日 | 1849年10月17日 |
生地 | ワルシャワ公国 ジェラゾヴァ・ヴォラ |
没地 | フランス パリ |
配偶者 | なし |
埋葬場所 | ショパンの遺言に従い埋葬されず |
ショパンの生涯をハイライト
ショパンは1810年3月10日にポーランド中部のジェラゾヴァ・ヴォラ村に生まれました。当時のヨーロッパはナポレオン戦争の真っ最中。ポーランドにはナポレオンがつくったワルシャワ大公国がありました。
ショパン一家は音楽を好み、父の二コラはフルートとヴァイオリン、母のユスティナはピアノを得意としていました。このことから、ショパンは子供のころから音楽に親しむ環境にあったといえます。
ショパンが本格的にピアノを習うのはナポレオン戦争後の1816年~1822年にかけてのこと。チェコ人指導者シヴヌィからピアノの手ほどきを受けます。ピアノを習い始めたショパンはあっという間にジヴヌィの力量を越えてしまいました。なんと、わずか7歳で公開演奏を行っているのです。
ワルシャワ最高のピアニストと称えられるまでに成長したショパンは、芸術の都パリに活動拠点を移しました。1832年の公演で大成功をおさめたショパンはピアノの名手として名声を高め、ヨーロッパ各地から集まる弟子たちに技術を教えることで生計を立てます。
彼は大人数を集めた公演会よりも、貴族や資産家などの私邸で催されるサロンでの演奏を好みました。その理由は彼の体が弱く、小規模な方が体にかかる負担を減らせるからです。
1838年からは文人ジョルジュ・サンドと交際し、彼女の助けを借りながら音楽家としての活動を継続。10年にわたって彼女との交際を続けました。1840年代からショパンは体調を崩すようになり、1849年に亡くなります。享年39歳でした。
ショパンの人柄や性格
ショパンは子供のころから病弱であったこともあり、比較的穏やかな性格だったと言います。まさに音楽に人生全てを捧げたとも言えるほど、一年中ピアノを弾いたりしていたそうです。しかし時にはピクニックに友人と出かけたり、狩りまでしていたとのこと。意外と活発な面もあったのですね。
情緒的な音楽を作り上げる感情豊かなショパンですが、その情緒を恋愛には上手に応用できなかったようです。26歳でマリア・ヴォンジスカというポーランド人貴族の娘に恋をしますが、相手が16歳であることから叶わぬ恋となり、28歳の時には小説家であるジョルジュ・サンドと恋仲になりますが、37歳の時に結局破局してしまいます。
一説には、天才気質のショパンを気遣って付き合うことを躊躇した人が多かったのではないか、と言われていますが、彼は昔から病弱だったことからその看病も大変だったのでしょう。
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ショパンが音楽に目覚めたきっかけ
ショパンには音楽に目覚めたきっかけ、というよりも、必然的に音楽の道に進むことが神から望まれていました。父親はフルートとヴァイオリンに優れ、母親はピアノに長けており、指導者でもあったそうです。
そんな両親の下に生まれたショパンは、特別な理由もなく幼き頃から音楽が身の回りにあり、自ら音楽を始めようとしなくとも自然とピアノに触れていきました。ちなみにショパンは幼いながら母親の弾くピアノに涙を流し、6歳にして耳にした旋律を再現しようとしたり、作曲さえもしていたという天才。
瞬く間に神童と呼ばれたモーツァルトや音楽の父と呼ばれたベートーヴェンと比較されるようになりました。
ショパンのピアノ曲
ショパンは主にピアノ曲で有名です。その数は100曲以上にもなり、現在でもその多くが数々のピアニストの手によって演奏されています。曲調としてはポロネーズからノクターン、ワルツやマズルカまで、実に多種多様な楽曲を手がけています。
ちなみに彼が一番最初に作曲した現存最古の曲は『ポロネーズ ト短調』と『ポロネーズ 変ロ長調』の2曲で、なんとこれらを7歳にして作曲したとのこと。モーツァルトやベートーヴェンの比較対象になるのも頷けますね。
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ショパンのオーケストラ曲
ピアノ曲で有名なショパン。オーケストラの曲もいくつか作曲しています。と言っても有名であるのは主にピアノ協奏曲ですが、オーケストラを交えた曲も作曲しているのです。ショパンらしい曲調の音楽で、彼自身の挑戦曲とも言えるでしょう。この曲はショパンコンクールでも度々演奏されています。
ショパンの死因は結核?
1849年にショパンが亡くなった時、彼の死亡証明書に書かれた死因は「肺結核」でした。結核は現代でも流行し続ける伝染病でショパンが生きた19世紀には多くの人の死因となっていた病気です。
2008年、ポーランドの研究者たちはショパンが「嚢胞(のうほう)性線維症」という病気にかかっていた可能性を指摘しました。この病気は遺伝的なもので、肺炎や気管支炎を繰り返します。いずれにせよ、肺に関連する病気でショパンが亡くなったことは間違いなさそうですね。
ショパンの名曲作品一覧
「幻想即興曲」
「幻想即興曲」は、正式名称を「即興曲第4番 嬰ハ短調 遺作 作品66」といいます。ショパンの生前には発表されず、1855年に友人ユリアン・フォンタナによって「幻想即興曲」として発表されました。
即興曲とは自由な形式で書かれた小品です。シューベルトやリスト、フォーレの即興曲が有名ですが、ショパンは4曲つくりました。幻想即興曲もその一つで、非常に印象的なメロディです。
「子犬のワルツ」
「子犬のワルツ」は、「ワルツ第6番」の通称です。作曲されたのは1846年から1848年にかけてで、ショパン晩年の作品。ポーランド貴族のデルフィーヌ・ポトツカ伯爵夫人に献呈されました。
交際していたジョルジュ・サンドが飼い犬の様子を音楽にしてほしいとショパンに頼んだところ、ショパンは即興で「子犬のワルツ」を作曲しました。子犬が自分のしっぽを追いかけまわす様子を音楽にしたのですが、その情景が目に浮かぶような旋律ですね。
「英雄ポロネーズ」
「英雄ポロネーズ」こと、「ポロネーズ第6番変イ長調 作品53」はショパンが1842年に作った曲です。ショパンはその生涯で多くのポロネーズを作曲していますが、この曲が「英雄ポロネーズ」と呼ばれた理由は不明です。
ポロネーズとは、ポーランド風という意味のフランス語。ポーランド起源のダンスのための曲でした。アニメ「タッチ」でヒロインの浅倉南が新体操の演技をするときにBGMとして「英雄ポロネーズ」が用いられていました。この他にショパンは「軍隊ポロネーズ」も作曲しており、こちらも有名ですね。
「木枯らしのエチュード」
「練習曲作品25-11」は「木枯らしのエチュード」の名で親しまれている楽曲です。「練習曲」の名の通り、この曲にはピアニストとして必要な技巧を訓練する要素が含まれています。
1836年に作曲された「練習曲作品25」は「木枯らしのエチュード」を含む27の楽曲で構成されています。この中にはすでに紹介した「別れの曲」や「革命のエチュード」も含まれています。練習曲でありながら、非常に美しい旋律はピアニストたちのやる気を引き出したのではないでしょうか。
ノクターン第20番 嬰ハ短調「遺作」
「ノクターン(夜想曲)第20番 嬰ハ短調」は日本でもとても有名な曲です。1830年に作曲された曲で、姉のルドヴィカがピアノ協奏曲第2番を練習する際に用いた曲でした。グリンカやフォーレ、リストもノクターンを作曲していますが、ショパンの一連の作品がもっとも有名かもしれません。
歌手の平原綾香がドラマ『風のガーデン』で歌ったエンディング曲「ノクターン」はこの曲をベースにつくられました。静かでありながら情感豊かな曲はショパン作品の中でも白眉といってよいのではないでしょうか。