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山本五十六の死因を解説!アメリカ軍の暗殺計画?真相や遺体の矛盾に迫る

山本五十六大将は、戦前から太平洋戦争中にかけて、日本海軍の連合艦隊司令長官を務めた人物です。五十六は、海軍では優秀な軍人として高いリーダーシップを発揮し、将兵からは慕われた反面、敵であるアメリカ軍からは警戒されました。そのため、アメリカ軍による暗殺計画が実行され、五十六は命を落とすことになります。

五十六は、1943年4月18日、ソロモン諸島での前線視察の最中にアメリカ軍機の襲撃を受けて乗機を撃墜され、戦死しました。五十六の戦死は日本と日本海軍にとって大きな損失になりました。

この記事では、山本五十六が暗殺された理由や、その死にまつわる3つの矛盾、アメリカ軍による暗殺作戦の内容や当日の経過など、山本五十六の戦死事件を紹介していきます。

山本五十六の死因とは?

連合艦隊司令長官 山本五十六 大将

山本五十六は、将兵の労をねぎらうため前線の視察に訪れた際、ブーゲンビル島ブイン上空で、アメリカ軍機によって待ち伏せ攻撃を受け、乗機の一式陸攻を撃墜されたことにより戦死しました。五十六の戦死は海軍における重大事件として、「海軍甲事件」と呼ばれました。

海軍甲事件とは?

太平洋戦争中の日本海軍では、2つの重大事件が起こりました。その1つが、日本海軍連合艦隊司令長官山本五十六大将の戦死事件である海軍甲事件です。

ソロモン諸島

五十六は、1943年4月18日、視察のために訪れていたソロモン諸島ニューブリテン島ブイン上空で、搭乗していた一式陸上攻撃機を撃墜され、戦死しました。当時、作戦の陣頭指揮を執るためにラバウルを訪れていた五十六は、将兵たちの労をねぎらうため、帰還の前に最前線に赴くことを決めたのです。五十六の襲撃は、日本海軍の暗号解読に成功していたアメリカ軍の手によるもので、米軍は五十六を待ち伏せて暗殺する「デリンジャー作戦」と呼ばれる計画を立てていました。

五十六の在任期間3年8か月と日本海軍連合艦隊司令長官の中でも史上最長で、唯一の戦死した長官でもあります。五十六は戦死時59歳で、この出来事は日本海軍、そして国民にも大きな衝撃を与えました。

もう1つの重大事件は「海軍乙事件」と呼ばれるもので、1944年に五十六の後任として連合艦隊司令長官を務めていた古賀峰一大将が殉職した事件を指します。という2つの重大事件が起きています。

山本五十六の暗号はなぜアメリカに解読されていたのか?

ラバウルを視察する山本五十六

山本五十六の行動計画は全てアメリカに筒抜けになっていたのですが、その理由は日本海軍の暗号がアメリカによって解読されていたからでした。

五十六の視察日程は、海軍暗号書Dと呼ばれる、海軍で最もよく使われていた暗号の改良版である「暗号書波一」を使用した海軍の機密電文(NTF機密第131755番電)により、各部隊へと伝達されました。

海軍はこの暗号に大きな自信をもっていたのですが、実は敵であるアメリカ軍では、JN-25と名付けていた海軍の暗号を、太平洋戦争の早い時期から解読することに成功していました。1942年1月に、撃沈した日本潜水艦から暗号書を入手したことにより、飛躍的に解読精度が向上し、この時期にはほぼリアルタイムでの解読が可能になっていました。

アメリカによる暗号解読はミッドウェー海戦での敗北など、戦いの行方を左右する大きな要因にもなっており、この時も、五十六の行動計画はすべてアメリカに筒抜けになっていたことが、日本海軍を揺るがす重大事件を引き起こすことになります。

山本五十六の死因にまつわる3つの矛盾

撃墜された山本五十六の乗機

海軍甲事件を巡っては、今もまだ結論の出ていないいくつかの謎が残されています。ここでは、山本五十六の死に関する3つの矛盾について紹介します。

矛盾1「遺体の腐敗があまり進行していなかった」

山本五十六は墜落後の翌日に発見されたのですが、高温多湿のジャングルという環境にも関わらず遺体の腐敗があまり進行していないという矛盾がありました。さらに、遺体の状況を見てみると、これには不自然な部分があり、五十六は墜落後もしばらくの間生きていたのではないかという説があります。

五十六の遺体は座席に座り長剣を握った状態で機体の傍に投げ出されていて、それ以外にはほとんど外傷がなかったため、搭乗中に死亡したものと考えられました。しかし、現地で五十六の遺体を確認した人間の証言によれば、発見時、五十六の遺体には蛆が湧いていなかったといいます。

日本軍が五十六の遺体を発見したのは、墜落の翌日、19日の午前中のことでした。高温多湿のジャングルでは遺体は急速に腐敗するため、遺体が綺麗な状態のまま残っていたというのはおかしな話です。

そのため、五十六は、墜落後もしばらくは生存しており、遺体の腐敗状況から見て、死亡したのは19日の夜明けごろではないかといわれています。

矛盾2「遺体にほとんど傷がついていなかった」

山本五十六の死因は、敵戦闘機の機銃弾を被弾したことによるものとされていますが、戦闘機の銃弾を受けたにしては、遺体の損傷がほとんどなかったという矛盾がありました。

五十六の遺体には、頭から顎を通り、胸へと抜ける貫通銃創がありました。このため、五十六は搭乗中に戦闘機の機銃弾によって絶命したとされています。しかし、五十六を襲ったP-38が搭載していたのは、口径12.7ミリや20ミリの機銃です。この弾丸が人間の頭に当たれば、頭部ごと吹き飛んでしまうはずです。

五十六の遺体については、報告書を書いた軍医がきちんとした検死が行われず、不備があったことを戦後に認めており、最初に五十六の遺体を診た別の軍医は、全身打撲か内臓破裂によるショック死の可能性があるとメモに書き残しています。

五十六が墜落後も生存していた可能性があることも考慮すれば、死因として、こちらのほうが適当だと考えられ、五十六の死因としては、自決もしくは第三者による射殺といったものも考えられます。

矛盾3「アメリカ軍の撃墜者ランフィアーはバーバーとの共同戦果を否定」

トーマス・ランフィアー大尉

山本五十六の乗っていた一式陸攻を撃墜したのは、最初、アメリカ陸軍のパイロットトーマス・ランフィアー大尉だとされていました。しかし、後にレックス・バーバー中尉との共同戦果とされ、一体どちらが正しいのか現在でもはっきりとわかっていないという矛盾があります。 

レックス・バーバー中尉

五十六撃墜は、戦時中はランフィアー1人による戦果になっていて、ランフィアーはこの功績により、勇敢な兵士に贈られるシルバースター勲章を授与されました。ですが、空中戦においてはパイロット自身も正確に状況を把握できていないことが多く、戦後の日本側の資料や関係者の証言等を調査した結果、あらためて、共同戦果と認定されました。

当然、ランフィアーはこれに納得せず、死の間際まで単独撃墜を主張して、これを公認するよう軍に訴えていました。実際にP-38を飛行させて行われた検証では、バーバーが撃墜した可能性が高いという結果も出ています。果たして2人のうち、どちらが五十六を仕留めたのか、現在でもはっきりとした答えは出ていません。

山本五十六の暗殺計画「デリンジャー作戦」とは?

「デリンジャー作戦」は、ブーゲンビル島上空で山本五十六の乗った一式陸攻を待ち伏せし、暗号が解読されていることが日本軍に気づかれないよう、偶然遭遇したように装って撃墜するという内容の作戦でした。

暗殺計画「デリンジャー作戦」の内容や実行部隊は?

デリンジャー作戦にも使用されたP-38ライトニング戦闘機

アメリカ軍は暗殺のため、当時、アメリカが航空基地を持っていたソロモン諸島ガダルカナル島から戦闘機部隊を出撃させ、五十六の乗った航空機を空中で撃墜するという計画を立てました。この襲撃作戦は、リンカーン大統領暗殺に使われた銃の名前をとって「デリンジャー作戦」と命名されます。

暗殺の実行部隊は、日本軍のレーダーや監視所を避けるため、低空飛行を行いつつあえて遠回りをして、暗殺地点に設定されていたブーゲンビル島ブインを目指すことになっていました。そのため、使用兵器には長い航続距離をもつP-38ライトニング戦闘機が選ばれ、このためにP-38用の大型増槽が急造されました。

実行部隊の指揮官には、ガダルカナル島のP-38運用部隊である軍第13航空軍第347戦闘航空団第339戦闘中隊の中隊長ジョン・ミッチェル少佐が選ばれました。ミッチェルは、実行部隊として部下の中から特に優秀な18人を選抜しまし、さらにそのうち4人を「キラー編隊」に任命し、敵の護衛戦闘機は一切無視して、ひたすら山本長官の乗った機体だけを攻撃するという最も重要な任務を与えました。

アメリカ軍は、なぜ暗殺を計画したのか?

真珠湾攻撃

アメリカ軍が敵軍の大将を暗殺するという大それた作戦を実行した理由は、山本五十六という軍人がそれだけ日本海軍のなかで優秀かつアメリカにとって危険な人物とみなされていて、五十六を排除することにより、日本軍だけでなく「日本国民の士気も大きく低下させることができる」と考えたからでした。

アメリカ軍の中には、いかに戦争中といえども、敵の指揮官を暗殺するような作戦は、倫理的に問題があるという声もありました。しかし、アメリカにとって山本五十六という人物は、真珠湾攻撃を成功させたという功績をもつ、優れた戦略眼とリーダーシップをもつ軍人であり、日本軍の中でも最も手ごわい敵でした。

アメリカは、日本海軍に五十六を越える優秀な指揮官は存在せず、後任として彼より優れた人物が連合艦隊の司令官になることはありえないと考えていました。だからこそ、五十六という柱を失ったときに日本が蒙る損害は大きく、アメリカにとっては有利になるのです。

これが、アメリカ軍に倫理よりも軍事的合理性を優先させ、五十六の暗殺を実行させた理由でした。

デリンジャー作戦の経過は?

一式陸上攻撃機

1943年4月18日午前5時25分

ミッチェル率いる実行部隊18機がガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を離陸(7時35分ブーゲンビル島上空到着予定。18機のうち2機が機体トラブルのため途中帰還)。

午前6時5分

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)

2機の一式陸上攻撃機に分乗した山本五十六と幕僚らが、護衛の零戦6機とともにラバウル東飛行場を出発。

7時33分

ミッチェル部隊16機は、ブーゲンビル島上空で五十六らの乗った一式陸攻、零戦の編隊がV字隊形で飛行しているところに遭遇、空中戦に突入する。

7時50分

五十六の搭乗していた1番機が被弾し、ジャングルに墜落、次いで宇垣纒参謀長ら幕僚の乗った2番機も被弾して炎上し、海上に不時着水する。

4月19日

墜落する一式陸攻を目撃した現地の陸軍部隊が、ジャングルの中で墜落した乗機とともに、山本五十六の遺体を発見する。

山本五十六の死後の影響は?

山本五十六の国葬

新聞では毎日のように報道、国民にも大きな衝撃を与える

山本五十六の戦死を報じる新聞

五十六暗殺事件後、現地ではすぐに箝口令が敷かれました。20日に山本長官の死亡が確認されると、中央にも報告が送られ、五十六の戦死は、海軍だけでなく日本中枢に大きな衝撃を与えます。

五十六の遺体はラバウルで火葬された後、トラック島へ送られ、武蔵艦上での通夜の後、日本本土へと運ばれました。五十六の死は国内へ与えるショックも大きいと考えられたため、軍上層部の人間以外には知らされず、1か月以上に渡って秘匿されます。

5月21日に発表されたときには日本国民にも大きな衝撃を与え、新聞でも毎日のように報道されました。

日本は暗号を解読されていないと誤った判断に

海軍内では、五十六の戦死は、何らかの方法で山本長官の視察を察知したアメリカ軍による計画的な作戦ではないかという声も上がりました。

これを確かめるため、南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将を乗せた航空機による視察を行い、事前に五十六の時と同じ暗号を使って伝達を行いアメリカの出方を見るという計画が実行されますが、アメリカはこれを罠と見抜いて手を出しませんでした。

なにも起こらなかったため、日本では暗号は解読されていないものと結論づけてしまいます。この判断ミスによって、その後も日本海軍は解読された暗号を使用し続けることになり、アメリカはより有利に戦争を進めることができました。

後任は古賀峰一大将、日本の戦局は不利に

古賀峰一 大将

五十六の後任として古賀峰一大将が連合艦隊司令長官に就任しましたが、この後、戦局はどんどん日本にとって不利となっていっていきます。もし終戦時も、五十六が存命なら東京裁判で戦犯として裁かれていた可能性もあるため、五十六がこの時戦死したことはある意味本人にとって幸運なことであったという声もあります。

五十六には数々の称号が送られる

剣付柏葉騎士鉄十字章

偉大な功績を残した五十六は死後、大勲位、功一級、正三位の勲章と元帥の称号が贈られ、国葬に付されました。同盟国のドイツからは、ドイツ国内でも160人受賞者がおらず、外国人で唯一となる剣付柏葉騎士鉄十字章が贈られており、五十六は最高位の騎士鉄十字章を贈られた外国人となっています。

山本五十六の死因に関するまとめ

将兵たちの指揮を鼓舞するはずだった山本五十六の前線視察は、アメリカ軍の暗殺計画によって五十六が死亡し、海軍に大きなショックを与えるという正反対の結末に終わりました。

このような事件が起きたのは、日本軍の暗号が解読されていたことが原因です。海軍甲事件は、当時の日本のインテリジェンスの弱さを表す出来事といえ、そのために、山本五十六の戦死という日本にとっての大きな損失を招いてしまったといえます。

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