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アメリカ独立戦争をわかりやすく解説!原因や結果も年表で簡単に紹介

「アメリカ独立戦争」とはアメリカが独立するきっかけとなった、アメリカにあるイギリスの植民地とイギリス本国との戦争です。

今でこそアメリカ合衆国は、「自由の国アメリカ」「アメリカンドリーム」または、「世界の警察」など「自由」「正義」「夢」などをイメージすることが多いかもしれません。

アメリカ独立戦争

しかし1492年、コロンブスがアメリカ大陸に上陸してから、ヨーロッパ諸国が取り合いをし、それに勝利したイギリスがアメリカ東部の13州の植民地を統治していました。

しかし時間の経過とともに、アメリカの13植民地と本国イギリスの関係は悪化し、1775年に勃発したのがアメリカ独立戦争です。植民地の人々は、自治権や本国イギリスからの独立を求めて戦いました。

ここでは、アメリカ独立戦争とはどのような戦争がったのか、原因やきっかけ、さらに大国イギリスがどうして植民地軍に敗北したのかなど詳しく解説していきます。

アメリカ独立戦争とは?

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アメリカ独立戦争について簡単に紹介

ジョン・トランブル「独立宣言」(1776年)

アメリカ独立戦争とは1775年に始まった、アメリカにあるイギリスの植民地とイギリス本国との戦争のことです。

1492年にコロンブスがアメリカ大陸に上陸して以降、イギリスやフランス、スペインなどヨーロッパ諸国が入植し覇権争いをした結果、イギリスはアメリカ東部にイギリス領となる13の植民地をつくりました。

その後長きにわたり入植者たちは経済力と生活水準を高め、独自の自治の制度を作り上げていき、1760年代の植民地の人口は、150万人を上回ったといいます。

この戦争でアメリカはイギリスの支配から独立し、翌年の1776年にアメリカ独立宣言をして、アメリカ合衆国という国を作る運びとなりました。

アメリカ独立戦争を起こした目的や意図

イギリスからの自由を求めて戦争へ

アメリカが独立戦争を起こした目的は、自分達と苦しめる古い体制(本国イギリス)を捨て、新しく自分たちの政府をつくることでした。

北米における権力を手にしていたイギリスですが、相次ぐ戦争で財政難に陥っていたため、東部13州の植民地からの税収を増やすことで財政難を補おうとしました。

植民地の人々は、植民地側から代表者の参加がないにも関わらず、課税などの重要事項を勝手に決めてしまうイギリス本国の政府に対し、「植民地の人々と本国イギリスを平等に扱うこと」を求めました。

しかし、イギリス本国は、植民地側から代表者を受け入れることを拒否していたため、戦争の目的は「植民地と本国を平等に扱うこと」から「自分達を苦しめる古い政府(イギリス本国)を捨て、新しく自分達の政府を作ること」、つまりイギリスからの独立へと変わっていきました。

アメリカ独立戦争が起きたきっかけは?

課税法を押し付けられて不満が爆発

独立戦争後のアメリカ合衆国

戦争を繰り返したことで財政難になっていたイギリスは、アメリカの13植民地対し、砂糖法、印紙法、タウンゼント諸法などいくつかの税法をつくり、課税を強めることで埋め合わせをしようとします。これらの税法を一方的に押し付けてきたため、本国に対する植民地の不満は次第に大きくなっていきました。

中でも、植民地側が最も反発を強めたのは1765年に発令された印紙法です。

印紙法は、「植民地で発行される印刷物全てに課税する」というものでしたが、「イギリス本国の議会に植民地側の意思が盛り込まれてないこの決定は無効である」と植民地の人々が強い反発を示しました。

印紙法をめぐる植民地側の反発の中、「代表なくして課税なし」という有名なスローガンも生まれました。結果としてこれらの税法は廃止されることとなります。

ボストン茶会事件で対立が本格化

茶法に反対するアメリカ住民の抗議行動(ボストン茶会事件)

1733年に起きたボストン茶会事件に激怒したイギリス本国は制裁措置としてボストン港を封鎖、さらにマサチューセッツ州の自治権を剥奪し、イギリス軍の駐屯地を置きます。

こうしてアメリカ植民地とイギリス本国の対立は本格化し、独立戦争の動きが強まっていきました。

ボストン茶会事件のきっかけとなった茶法は、貿易会社であるイギリス東インド会社に「13植民地に対してお茶を売る際に関税をかけない」という権利を与え、お茶の取引を独占させるものでした。

そこで怒った植民地の人達、特に急進派の人達がこのボストン茶会事件を起こします。モホーク・インディアンに扮し、ボストンに停泊中の東インド会社の船を襲って積んであった紅茶を全て海に投げ捨ててしまいました。

アメリカ独立戦争の終結

アメリカが勝利してイギリスから独立

アメリカ独立後の初代大統領ジョージ・ワシントン

アメリカ独立戦争は、1781年に独立軍がイギリスに勝利し、1783年のパリ条約でイギリスはアメリカと講和条約を結んで13植民地を正式に「アメリカ合衆国」として認めました。

植民地側の軍隊は農民を徴兵した民兵でしたので当初は苦戦しましたが、第2回大陸議会でヴァージニア州出身の政治家ジョージ=ワシントンが総司令官に任命されると、1776年3月、ボストンからのイギリス軍を撤退させることに成功します。

そして1776年7月4日「アメリカ独立宣言」がなされたことで独立軍の結束はより強固なものになり、フランス、スペイン、オランダなどヨーロッパ諸国からの支援を得てヨークタウンの戦いで勝利し、戦争は終焉を迎えました。

アメリカの勝利の裏にあった先住民の犠牲

ネイティブ・アメリカンたちは土地を奪われ迫害された

アメリカ独立戦争で独立を勝ち取った入植者たちは、先住民の土地のさらなる略奪、殺戮を始めました。

独立戦争は、先住民達から土地を略奪し、自由に扱う権利をイギリス本国から獲得するための戦争と言えるでしょう。アメリカ独立宣言やアメリカ合衆国憲法には、先住民を認める記述はありません。

独立軍の指揮官ジョージ・ワシントンは「先住民を根絶やしにしろ」と言うほど、先住民に対して敵意を持っていました。独立軍が勝利をすれば、さらに土地を奪われ迫害されると考えた先住民達は、イギリス側につくことを選びました。

しかし独立軍が勝利し、パリ条約でミシシッピ以東のルイジアナがアメリカ領に編入されたことで、先住民たちの恐れていたことが現実のものとなりました。

イギリスの敗因

アメリカを勝利に導いたジョージ・ワシントン

独立戦争でイギリス軍が負けた一番の敗因は、ヨーロッパ諸国が独立軍側につき、イギリスが四面楚歌になってしまったことと言えるでしょう。

1778年のサラトガの戦いで独立軍が勝利すると、フランスをはじめ、スペイン、オランダなどのヨーロッパ諸国が植民地側につきます。さらに、イギリスがおこなっていた海上封鎖に対立する形で中立国たちがロシアを中心に武装中立同盟を結び、物資の面で植民地側を支援しました。

他の敗因としては、イギリス軍が戦った相手がアメリカに移り住んだ「元イギリス人」だったこと、アメリカにイギリス軍の拠点を作れなかったこと、13植民地全ての方面を占領しなくてはならなかったこと、植民地側の戦い方が多岐に渡っていたことなども原因として考えられます。

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