オスカー・ワイルドとはどんな人?生涯まとめ【代表作品や名言も紹介】

オスカー・ワイルドの代表作・有名作品

サロメ

オーブリー・ビアズリーが描いた「サロメ」の挿絵
出典:Wikipedia

「サロメ」とは、オスカー・ワイルドが新約聖書を元にフランス語で制作した戯曲です。この作品は、オスカー・ワイルドが恋人のアルフレッド・ダグラスと知り合った頃に執筆されました。

そして、パリで出版された翌年には、英語に翻訳された「サロメ」が出版されています。当初、翻訳作業はアルフレッド・ダグラスが担当していましたが、あまりに出来が悪かったため、最終的にはオスカー・ワイルド自身が修正したものが出版されました。

また、「サロメ」は日本語訳の出版もされています。様々な翻訳者が日本語版を刊行していますが、初めて日本語へ翻訳した人物は小説「舞姫」などで有名な森鴎外でした。

幸福な王子

ツバメは王子像と共に博愛の精神を人々に分け与えた

「幸福な王子」とは、1888年に出版された子供向けの短編小説です。この作品では、町の中心に立つ自我を持った王子像と渡り鳥のツバメによる自己犠牲の物語が描かれています。

実は、この短編小説も多くの出版社によって日本語訳版が刊行されています。その他にも、人形劇などによる映像化や、ゲームや漫画、アニメ作品でオマージュされることもあり、日本国内において人気が高い作品となっています。

ドリアン・グレイの肖像

「ドリアン・グレイの肖像」が初めて掲載された雑誌リッピンコット
出典:Wikipedia

「ドリアン・グレイの肖像」とは、オスカー・ワイルドが執筆した唯一の長編小説です。この作品は、主人公である美青年ドリアン・グレイが自分勝手な行動をとる度に、彼の肖像画に次々と異変が起こっていく不思議な物語となっています。

オスカー・ワイルドの代表作として知られている「ドリアン・グレイの肖像」は、世界的に人気の高い作品です。そのため、アメリカやイギリスでは映画化やテレビドラマ化がされており、日本では宝塚歌劇団による舞台化もされています。

オスカー・ワイルドの功績

功績1「『耽美主義文学』の代表者」

エロティシズムやグロテスクさも含めて「本質的な美」を探す思想が「耽美主義」

オスカー・ワイルドが「耽美主義文学の旗手」としての有名を誇っているのは先述した通りですが、実は彼は「耽美主義文学の元祖」というわけではありません。

実はオスカー・ワイルドよりも早くに「耽美主義」と目される文学作品を著していた作家は、それなりの数が存在しています。”サディスト”という言葉の語源となったマルキ・ド・サドや、同じく”マゾヒスト”の語源となったマゾッホ。あるいはシャルル・ボードレールなどが、その代表的な人物です。

しかし、当時のキリスト教社会の中では彼らの姿勢はあまり受け入れられず、耽美主義作家のほとんどは不遇のうちに文壇を去ることになってしまっています。その頃の作家たちには気の毒ですが「道徳的な部分を無視してでも”美”を探す」というのが耽美主義の本質ですので、それも納得できることはあるでしょう。

しかし、それらの思想を世間に知らしめ、”芸術への向き合い方”として定着させたのは、紛れもなくオスカー・ワイルドの功績です。そういう意味ではやはり、オスカー・ワイルドは「耽美主義文学の旗手」という呼び名が最もふさわしい人物であろうと思えます。

功績2「オックスフォード大学の首席卒業者」

世界最高峰の学府と名高いオックスフォード大学

オックスフォード大学と言えば、やはり「世界最高峰の大学」として名高い学府ですが、オスカー・ワイルドは実はそこの卒業生です。しかもただの卒業者ではなく”首席”卒業者であることも分かっているため、その時点でも彼の頭脳のすさまじさはご理解いただけるでしょう。

他にも、噂の範疇ではありますが数学や化学などの理系分野にも造詣が深く、体育などにも優れていたとか。医者である父と詩人である母の才能を受け継いだ彼は、もしかすると作家以外の道に進んだとしても大成できる、かなりの完璧人間だったのかもしれませんね。

オスカー・ワイルドの名言

ほとんどの人々は他の人々である。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である。

世界史上を見ても、これ以上に怖い名言はそうそうないんじゃないかと思います。

この言葉を「名言」として紹介している私の思考も、オスカー・ワイルドの意見を模倣しているという証明の最たるもの。「果たして、”自分の意見”というものは本当に存在しているのか」。哲学的ではありますが、少しそんなことを考えてみたくなる言葉です。

とはいえ、年表などを見ていくと「貴方がそれを言う?」と若干首をかしげたくなる言葉でもありますが。

男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。

「恋愛必勝法」的な記事でよく引用される言葉ですが、実はこれもオスカー・ワイルドの言葉です。

恋多き生涯を送った両性愛者であるオスカー・ワイルドだからこそ言えるだろう言葉であり、”恋愛観の差”というものをこれ以上なくついた至言だともいえる言葉でしょう。

拙劣な詩は、すべて本当の感情から生まれる。

文を書く生業の身として励まされる言葉であり、様々な分野の人にとって救いともなる名言だと思います。

感情的になっているときは、言葉に文学や修辞といったような技巧は宿りません。しかしその子おt場は美しくない分、その人の感情がダイレクトに乗る、ある意味で最も感状を伝えられる言葉でもあります。

良いものを良いと。悪いものを悪いと言えない風潮の世の中ですが、たまには自分の感情のままに言葉を並べて、心からのやり取りを交わしてみるのも良いのではないでしょうか。

オスカー・ワイルドにまつわる逸話

逸話1「実はちょっと”知ったかぶり”だった」

オスカー・ワイルドの耽美主義な作風には浮世絵から題材をとったものも多かったとか

オスカー・ワイルドが得意とした耽美主義の芸術は、実は日本の浮世絵から題材をとったものも多く残っています。鎖国中の日本という独特の風土で育った文化だけに、ヨーロッパの芸術家は浮世絵から非常に高い芸術性を感じ取ったのでしょう。

もちろんオスカー・ワイルドも浮世絵から着想を得て、美を追求する作品を作り上げていったのですが、彼はそんな日本独特の芸術性を「絵の中だけの作り物」と捉えていたらしく、「絵の中の日本は画家たちが創造した空想の産物であり、実在しない」と、自身の作中の登場人物に語らせています。

しかし、後に日本を訪れた作家、ジョゼフ・キップリングからは「オスカーの言うことは嘘だ。絵の中の日本は実在した」と反論されており、若干の知ったかぶりを痛烈に皮肉られ、オスカーは恥を晒す結果となってしまいました。

社交界などでも「派手な言動や行動で、非常に評価の分かれる人物」となっていたオスカー・ワイルドですが、こういった”知ったかぶり”な一面も、彼の人物評が分かれる理由の一つだったのかもしれません。

逸話2「恋多き生涯だった」

恋人とされるアルフレッド・ダグラス卿と映るオスカー・ワイルド(左)

フランク・マイルズ。サラ・ベルナール。ヘンリー・アーヴィング。コンスタンス・ロイド。ロバート・ロス。アルフレッド・ダグラス…。

これらは全て、オスカー・ワイルドの恋人とされる人々の名前です。男女合わせてザっと6人。学生時代の記録が残っていないことを考えると、その人数はもっと増えるでしょう。

このように、オスカー・ワイルドは非常に恋多き生涯を送っています。その傾向も非常に特徴的で、俳優であるサラとヘンリー。10歳以上も年下の美青年であるロバートとアルフレッドなど、「若くて美しい人物」というのがオスカーの好みだったことは、現存している彼らの写真を見るだけでも瞭然にわかります。

”美”を追及する作品を数多く残したオスカー・ワイルドの着想は、その周囲を彩った多くの「美しい恋人たち」の存在によって支えられていたのかもしれません。

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