チンギスハンと言えば、モンゴル帝国を創建した人物として皆さんもご存知の通りです。定住をしない遊牧民族をまとめ上げるほどの高い指導力とカリスマ性で、モンゴル帝国を巨大な国家へと導いていきました。
そんなチンギスハンですが、子孫がとても多いという話を聞いたことはありませんか?彼の子供や孫も歴史上で登場してきますが、実は現代にも多くの子孫がいると言われています。
今回は、現代にまで脈々と受け継がれている、チンギスハンの血脈についてまとめてみました。
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チンギスハンの子孫は1,600万人いる?

アジアの偉大な父11人の筆頭に選出
2015年の1月、イギリス・レイセスター大学のマークジョブリング教授やフランスのポール・サバティエ大学のパトリシア・バラレスク教授らによる研究論文が、科学紙として世界的に有名な「Nature」に掲載されました。この研究は、アジア人男性のDNAを分析してその祖先を調べたもので、アジア人の4割は「11人の偉大な父」のいずれかの子孫であるというものでした。その11人の中で最初に挙げられたのが、なんとチンギスハンだったのです。
今回の研究では、アジアの127の集団に属する5,000人ものアジア人男性のDNAを実際に採取して分析を行いました。着目したのは父から子へそのまま受け継がれる、男性しか持たない「Y染色体」。このY染色体を分析したところタイプ別に11種類に分類でき、それぞれの分布と歴史を調べ上げていく過程でチンギスハンが浮上しました。
統計的にはチンギスハンの子孫は現代に1,600万人も存在するといいます。論文では、モンゴル民族が移動能力の高い騎馬民族だったことで、遺伝子を広く遠くにまで拡散できたのではないかと推察しています。しかし、チンギスハンの墓の場所は謎となっており、実際のDNAを調査できない以上、論証を断定するのは難しいと結論付けています。
チンギスハン以外の偉大な父とは?
この研究でチンギスハンの次に名前が挙がったのが「ギオチャンガ」。中国明朝後期に存在した建州女直の部族長で、清朝の初代皇帝・ヌルハチの祖父として知られる人物です。ギオチャンガの血統は、中国北部からモンゴルにかけて分布し、約150万人に受け継がれていると推定されています。
契丹帝国・遼朝の建国者である耶律阿保機(やりつあぼき)についても、領土であった中国北部周辺では、今でも子孫が多く暮らしているといいます。しかし、残りの8人については人物を特定するに至りませんでした。
今回の研究ではアジアにフォーカスを当てていますが、別の研究者によって全世界を対象に同様の研究を行った例もあります。アメリカのジョン・ホプキンス大学による研究では、イギリスのウェールズ地方に住んでいた「グウィリム」という人物の子孫が、ヨーロッパだけでなくアジアやアフリカ・アメリカなど全世界に渡って分布しているとしています。グウィリムの子孫は600万人程だと推定されおり、この数字をみてもチンギスハンの子孫がどれだけ多いかがわかります。
チンギスハンの子孫の功績
オゴデイ:モンゴル帝国の基礎を整備

チンギスハンと第1后妃・ボルテとの間には4人の皇子がおり、それぞれが歴史の舞台で活躍しますが、中でも三男にあたるオゴデイの活躍には目を見張るものがあります。彼は2代目モンゴル帝国皇帝として、父・チンギスハンの行っていた領地拡大政策を継承。金王朝を滅ぼし、首都カラコルムを建設しました。
遊牧民族は特定の拠点に定住する文化を持たなかったため、これがモンゴル帝国初めての都となりました。さらに拠点ができたことにより東西の貿易が盛んになり、その後のさらなる領土拡大に繋がっていきます。
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バーブルはチャガデイじゃなくてチャガデイ・ハーン国出身のティムール朝のティムールの子孫だったはずですね。