ハンムラビ法典の「目には目を歯には歯を」とは?内容や特徴、意味を簡単に解説

ハンムラビ法典の2つの特徴

同害復讐の原則

もし彼(上層自由人)がほかの人(上層自由人)の骨を折ったならば、彼は彼の骨を折らなければならない(ハンムラビ法典 第197条)

もし奴隷がほかの人(上層自由人)の頬を殴ったとき、彼の耳を切り取る

ハンムラビ法典 第205条

他者に危害を加えた者は、同じことをされるということを意味しており、これを同害復讐の原則としています。これは現代では「やられたらやり返す」「復讐して良い」と捉われがちです。

しかしこれはハンムラビ法典の伝えたいことではありません。この法典には「公平な罰を与える」「過度の復讐を抑止する」という意味が込められているのです。犯罪や罪に対して明確に罰則を定めることで、過剰な罰則が与えられないようにしています。

さらに事前に罰を決めることで、犯罪への抑止力にも繋がっていると考えられています。

身分区別の規定

もし彼(上層自由人)がほかの人(一般自由人)の目を損なったか、骨を折ったならば、彼は銀1マナ(約500グラム)を支払わなければならない

もし彼(上層自由人)がほかの人の奴隷の目を損なったか、骨を折ったならば、彼はその(奴隷の)値段の半額を払わなければならない

ハンムラビ法典 第198、199条

ハンムラビ法典には多くのことが明記されていますが、身分区別の規定もしっかりとされています。

当時の社会には上層自由人(アウィールム)、一般自由人(ムシュケーヌム)、奴隷の三つの身分がありました。与えられる刑罰も身分によって差異があり、特にはっきりと感じるのが奴隷と上層自由人の違いです。

バビロニアの奴隷たち

例えば奴隷が主人である上層自由人を傷つけた場合は、傷つけた以上の罰が待っているのに対し、反対の場合は金を払えば許されるというものです。

他にも親子関係や夫婦関係においても同様で下の立場の者が上の立場の者を害した場合、同害復讐以上の罰が待っていました。

ハンムラビ法典の内容・構成

アヌンナキとエンリル

前置き

アヌンナキの神々の王で、崇高なる神アンと、天地の主でかつ国土の運命の決定者である神エンリルとは、エア神の長子であるマルドゥク神に、あらゆる人々へ最高の神による権利を与え、バビロンの王をイギギという神々の仲間として偉大な者とみなし、またバビロンを崇高なるその名前で呼んで、四界に傑出させ、その中で天地の如く、その基礎が確立したところの永遠の王国を国王のために固めたる時に、敬虔なる大王であり、神を畏れるハンムラビ即ちこの私を、国土において正義を実現するために・・・

『古代法の翻訳と解釈』著 佐藤信夫

前置き部分には、ハンムラビ王の叙任およびハンムラビ王がどのようにして神から決定権を預かったのか、バビロニア帝国との関係、ハンムラビ法典を作った理由が述べられています。

本文

第1条:ある者(自由人)が、他人を告訴し、「殺人罪」を着せた(資材にあたる罪で起訴した)が、その罪状が立証されなかった場合において彼を「殺人罪」で告訴したる者は<自分も>その同じ罪で、死刑に処せられなければならない。

『古代法の翻訳と解釈』著 佐藤信夫

282条から成る法令および、バビロニア帝国での日常生活を送る上で必要なインフラ部分(農業や行政、家畜の管理、婚姻、養子縁組など)が述べられています。

後書き

マルドゥク神

余は、完全無双な王ハンムラビである。エンリル神が、余を(保護者として)示し、マルドゥク神が余に牧人(牧師)の権(王権)を与えたところの黒い頭(国民)のために、決して無視を(したり)せず、余の側で(この両神は、私を保護することを)決して投げ出したりはしなかった。彼等(この両神)に平和の場所を求めたのである。険しい困難(隘路)を切り拓いて、彼ら(国民)に助け(光明)を選んだものである。

『古代法の翻訳と解釈』著 佐藤信夫

後書き部分には、ハンムラビ王の絶対性を強調した上で、これまでの業績と法典の永続性を述べています。

ハンムラビ法典が発見されたきっかけ

ハンムラビ法典は、1901年イラン南西部にある古代国家エラムの都市スーサの遺跡で発見されました。発見後パリに運ばれ、アッカド語に詳しいV・シェイル神父によってフランス語に訳され、出版されたことで世界中にその名を知らしめました。

スーサ遺跡

興味深い理由として、どうしてバビロニアではなく400kmも離れたスーサの遺跡で発見されたのかということです。これはバビロニアや地域周辺の歴史を紐解くことで明らかになりました。

スーサで発見された理由として、紀元前12世紀頃にエラムがバビロニアを攻め込み、その際の戦利品としてハンムラビ法典碑を持ち去ったためと考えられています。

完全な形で保存されている貴重な法典碑であり、エラム人が大切に扱ってくれたことを感謝しなくてはなりませんね。現在はパリのルーヴル美術館が所蔵しています。

ハンムラビ法典に関するおすすめの本・書籍

ハンムラビ法典に関する書籍のイメージ

ハンムラビ法典に関する書籍は多く出版されています。おすすめの本・書籍をご紹介していきます。

ハンムラビ「法典」

これまで一部分しか日本語訳で読むことのできなかったハンムラビ法典を初めて全文訳した書籍になります。

原典訳だけでなく、ハンムラビの時代の歴史、「法典」の性格・構造、条文と呼びならわされている部分の構成などについて総合的に解説されており、この一冊でハンムラビ法典について知り尽くすことができます。

ハンムラビ王―法典の制定者

先ほどのハンムラビ法典の原典を訳した中田一郎氏の別の書籍になります。ハンムラビ王に焦点をあて、ハンムラビ王の生涯や功績を解説しつつ、どうして法典の作製に至ったのか記されています。

ハンムラビ王について学びたい方にはおすすめの一冊です。

バビロニアーわれらの文明の始まり

バビロニアの歴史を紐解く珠玉の一冊です。シュメール人の登場から滅亡に至るまでの全体史を明らかにしており、ハンムラビ法典に関する解説もしています。

挿絵や用語の解説も丁寧なため、普段歴史書を読まないという方にもおすすめです。

ハンムラビ法典に関するまとめ

ハンムラビ法典について解説してきました。いかがでしたでしょうか。

ハンムラビ王は、バビロニア帝国を拡大し、メソポタミア地方を統一したという功績だけでなく、内政面に関しても民のことを考え、自分たちの子孫たちにとっても手本となるようにハンムラビ法典を制定しました。

この法典が作られたからこそ、バビロニアの自治は守られ、社会をより安定させることができたのです。

この記事を読んで、ハンムラビ法典に興味を持っていただけますと幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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