「アーリマン(アンリマユ)ってなに?」
「アーリマンってどんな神なの?」
「ゾロアスター教ってどんな宗教?」
あなたはこのような疑問を抱いているのではないでしょうか。アーリマンとは、ゾロアスター教と呼ばれる宗教の創世神話に登場する神の一柱です。日本では一般的に”アーリマン”という名前は定着していませんが、『アンリマユ』と言えば少しピンとくる方もいるのではないでしょうか。
アーリマンは人間に加護や繁栄をもたらす神ではありません。ゾロアスター教の神話におけるアーリマンは、人間にとって一般に”悪”や”苦痛”とされるもの全てを司る存在とされ、宗教全体から明確に敵意を向けられる存在として登場しているのです。
ということでこの記事では、一般的にアンリマユと呼称されることの多い、ゾロアスター教の絶対的な悪神『アーリマン』について解説していきます。
アーリマン(アンリマユ)とはどんな存在か
名前 | アーリマン アンリマユ アンラ・マンユ |
---|---|
登場神話 | ゾロアスター教創世神話 (アヴェスター) |
誕生 | 世界の始まりよりも前 |
死没 | 現在も生存しているとされる |
生地 | 不明 |
現在の所在地 | 深闇 |
司るもの | 悪、創造 |
配下 | ダエーワ、アジ・ダハーカ、etc |
宿敵 | 善神アフラ・マズダー (スプンタ・マンユ) |
そもそもゾロアスター教とは?
まずはアーリマンの解説の前に、アーリマンが登場するゾロアスター教の特徴を簡単に。
ゾロアスター教とは、その名の通りゾロアスター(ツァラトゥストラ)を開祖とし、紀元前2000年代に古代ペルシャ近辺で発生したとされる宗教です。その歴史は非常に古く、キリスト教やイスラム教などの原型になったとも言われているほか、ササン朝ペルシアでは国教として扱われていたことなどが歴史上に記録されており、それだけでも世界の文明に影響を与えたことは読み取ることができます。
ゾロアスター教はイスラム教などと同様に、偶像崇拝を行わない宗教であり、信者たちは善や光の象徴として、神殿の中にある”火”に向かって礼拝を行ないます。このため、ゾロアスター教は別名として「拝火教」とも呼ばれています。
現在では信徒が非常に少なくなり、全世界的に見ても信者の数は10万人ほど。それに伴い日本ではほとんど見られなくなった宗教ではありますが、インドやイランといった東南アジアや中東圏、あるいは欧米諸国には根強く信仰を持ち続ける方々も存在しており、ゾロアスター教の教えは今も世界の中に受け継がれているのです。
そして、ゾロアスター教の教義における大きな特徴にはもう一つ「善悪二元論」という認識が存在しています。善神であるアフラ・マズダーと悪神であるアーリマンの対立が世界の創世に繋がっていることからも伺い知れる特徴ですが、これについては次以降のトピックで、アーリマンの側面から解説していきたいと思います。
アーリマン(アンリマユ)は「悪」を選択した神
アーリマンという存在を一言で表すには、やはり「絶対悪」という言葉を使うしかありません。
アーリマンはゾロアスター教の創世神話において、アフラ・マズダーと並ぶ創造神であり、世界の原理として「悪」を選択した神であるとされています。そのためゾロアスター教においては、「人に利をもたらすもの=善神であるアフラ・マズダーの被造物」、「人に害をもたらすもの=悪神であるアーリマンの被造物」として語られているのです。
そして、世界が始まる前に出会ったアーリマンとアフラ・マズダー(神話成立当初はスプンタ・マンユ)は世界の原理や構成を巡る激しい戦いを繰り広げ、その末にアフラ・マズダーが勝利。敗北したアーリマンはアフラ・マズダーによって深闇に落とされたとされています。
しかしアーリマンは現在も深闇の中で勢力を盛り返しながら生存しており、世界の終末において再びアフラ・マズダーと戦うことが宿命づけられているとか。キリスト教の終末論にも似たようなことが書かれている辺り、やはりキリスト教の原型である部分が感じられますね。
アーリマン(アンリマユ)の化身はヘビ!?
アーリマンが登場するゾロアスター教には偶像が存在していないため、一般的な「こういう姿」という形でアフラ・マズダーやアーリマンの姿を知ることはできません。しかしその一方で、アフラ・マズダーの象徴に”火”が使われているように、”象徴”という形で神々の特性を知ることはできます。
アーリマンの場合、その神格を象徴するのは”蛇”や”トカゲ”などだと言われています。その特徴は、アーリマンが生み出した怪獣「アジ・ダハーカ」の物語にも色濃く表れており、アーリマンやその眷属の象徴、あるいは化身としては、蛇やトカゲなどの爬虫類、あるいは毒虫や猛獣などの人に害を成す生物が一般的です。
キリスト教ではアダムとイヴをそそのかした存在として描かれる蛇ですが、そういったいわゆる”悪”のイメージと蛇が重なったことには、もしかするとゾロアスター教の影響があったのかもしれません。
アーリマン(アンリマユ)と関わり深い”ダエーワ”とは?
ダエーワというのは、アーリマンの配下である悪神たちの総称です。それぞれが「乾き」「疫病」「不道徳」などの人間に害をなす様々な事物を司っており、アフラ・マズダー率いる善神群と対立関係にある存在として神話の中に描かれています。
ダエーワそれぞれの特徴はまちまちですが「人に害をなす」という部分と「善神の一柱と相関関係にある」ということは共通しています。そういう意味では、キリスト教における「悪魔」と近い存在、あるいはそのモデルだと見ても良いでしょう。
有名なところで言えば、「人に悪しき思考を植え付ける」というダエーワのアカ・マナフの場合。それと相関関係にあるのは「人の良い思考を司る」という善神(アムシャ・スプンタ)のウォフ・マナフであり、司るものからして明らかな対比構造が生じています。
他にも、「無秩序」のダエーワであるサルワに対する「秩序」の善神・フシャスラ・ワルヤ。「熱」のダエーワであるタルウィに対する「水」の善神・ハルワタートなど、ゾロアスター教の神話には各所に相関や対立の関係が見えています。こういう部分も、ゾロアスター教の特徴である「善悪二元論」を象徴していると言えるのではないでしょうか。
しかし実はこの「ダエーワ」という存在。ゾロアスター教の視点から見ると悪神なのですが、とある別の神話の視点から見てみると……という面白い構造になっています。この構造については、次のトピックにて説明していきますのでご一読ください。
アーリマン(アンリマユ)にまつわる神話・逸話
神話・逸話1「インド神話とも関係している?」
「現存する世界最古の宗教」としても名高いゾロアスター教ですがそこに語られる神話にはある特徴があります。実はゾロアスター教の創世神話は、おそらく同時期に成立しただろうと目されるインド神話と、興味深い相関関係になっているのです。
例えば、インド神話においては破壊と創造を司る神として信仰を集めるシヴァ神が、ゾロアスター教の中ではサルワというダエーワ――つまり、アーリマンの配下である悪神として描かれていたり、インド神話においては悪神であるアスラが、ゾロアスター教の中では善の最高神アフラ・マズダーだったりと、おそらく意図的だと思わしき善悪の相関関係が随所に見られるのが、ゾロアスター教の創世神話とインド神話の大きな特徴になっているのです。
互いの神話成立当時の記録はほぼ残っておらず、当時の神話編纂者や国同士で何が起こったのかは不明ですが、意図的でなければありえないこのような事態が起こるあたり、明らかに意識的にお互いの奉じる神を扱っているように思えます。
当時の様々な情勢などを想像し、そこから成立した神話の本義を考察してみても、興味深い結果になるかもしれませんね。
神話・逸話2「数ある神話中でも最強レベルの”魔王”」
世界には様々な神話が存在しており、その中には時として「設定盛りすぎじゃない?」と思えるような神格もかなりの数存在しています。それこそ、前述のインド神話におけるシヴァ神などは「破壊と創造」という相反するものを司る時点でその典型だと言えるでしょう。
しかしそういった観点からすると、アーリマンもそういった「設定の盛られた」神格であると言えます。というよりむしろ、アーリマン以上に範囲の広い神格はそうそう存在しません。
創造神であり悪神。人間に対する試練をいくつも創造し、善に対する悪を貫き通す存在として描かれているアーリマンは、「人間の敵」という面ではサタンなどの悪魔と同一ですが、それ以上に広い範囲を司っている、まさに「魔王の中の魔王」と呼べるような存在なのではないでしょうか。
そして、そんな神話を元にしたはずの別の神話では、アーリマン程の「絶対悪」という存在が描かれていないことも興味深い部分です。ゾロアスター教創世神話から、キリスト教、イスラム教などに至るまでにどういった変化が起こったのか。考察してみても面白いかもしれません。
アーリマン(アンリマユ)について扱っている作品
作品1「『Fate』シリーズ」
「アンリマユ」という検索でこのページに行きついた方の中には、おそらくこの作品シリーズから「アンリマユ」という神格を知った方がかなり多数いらっしゃるのではないでしょうか?
歴史上の事物や人物を扱う作品である『Fate』シリーズにおいて、アンリマユと呼ばれるキャラクターはある重要な役回りを果たすキャラクターでもあります。「世界全ての悪を司る」というアーリマンの特徴から、ろくでもないポジションなのは想像できますが、実はそういう側面が描かれるだけではなく……。
「アンリマユ」という神格の特徴をきっちりと押さえたうえで、『Fate』らしいアレンジも加わったキャラクターとして仕上げられているのがこの作品のアンリマユですので、神話上のアーリマンや、あるいはこの記事から興味を持った方は、ぜひシリーズをプレイしていただければと思います。
作品2「『コブラ』」
往年の名作漫画である『コブラ』にも、実はアーリマンの名前が登場しています。
本作のアーリマンは、主人公であるコブラの最大の宿敵、クリスタル・ボーイが手に入れた”強大な力”の名前として登場。アーリマンの力を手に入れたクリスタル・ボーイは、人を結晶化するなどの強大な力を得ますが、その分非情さと残酷さを増してアーリマンの眷属と化してしまいます。
”アーリマン”を名乗る人物は作中に登場しませんでしたが、物語上の宿敵を更に上から操る圧倒的な力として、「暗黒の邪神」の名前に恥じない凶悪さを見せつけてくるのが、この作品の”アーリマン”という存在だと言えるでしょう。
『コブラ』という作品自体が名作であることはもちろんですが、読み進めていくとゾロアスター教に縁深い事物の名前が多数みられるなど、元ネタを知っているとより楽しめる要素もありますので、皆様ぜひご一読ください。
作品3「『左門君はサモナー』 」
神々や悪魔などを扱うギャグマンガである『左門君はサモナー』にも、アーリマンを元ネタとしたキャラクターが描かれています。
しかし本作に描かれるアーリマンは、なんと「アンリ・マユ」と言う名前の女の子。出来ることや司る悪性などはゾロアスター教で描かれているアーリマンと同じですが、「どんな悪事でもできるからこそ、長い月日の中で悪事をやり尽くしてしまった」という設定の、非常に俗っぽいサブヒロインとして描かれているのが、本作のアンリ・マユの大きな特徴です。
小難しい部分ではなく、「まずは概略としてアーリマンについて知りたい」という方は、まずはこの作品からアーリマンという神格に触れてみることをお勧めします。
ゾロアスター教の簡単年表
ゾロアスター教の聖典である『アヴェスター』の編纂や、教義の確立などが行われたのもこの頃です。
この頃に「善のアフラ・マズダーと、悪のアーリマン」という二元論的な価値観が生じたとされており、この段階でようやく現在に伝わるゾロアスター教の教義が完成したと言えるでしょう。
当初こそイスラム教への反乱などが起こっていましたが、9世紀半ばごろにはその反乱の息吹も終息。これによってゾロアスター教は歴史上における役目を終えることになったのです。
アーリマン(アンリマユ)の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
原典訳 アヴェスター
アーリマンの登場するゾロアスター教の教典である、アヴェスターを現代語訳、解説した一冊です。
ある程度の知識が前提とされており、読みにくさや難しさを感じる部分はありますが、本記事やWikipediaなどの情報と突き合わせつつ読んで行けば、多少時間はかかりますが読んで理解することができる書籍ではあると思います。
アーリマンやゾロアスター教そのものに興味を持った方にはぜひ読んでほしい書籍です。
『COBRA』
『アーリマンを扱っている作品』でも紹介した、往年の名作漫画です。
内容そのものが非常に面白い名作であることはもとより、ゾロアスター教に着想を得たと思しき描写も時折存在しているため、そういった部分の創作を楽しみたい方にもオススメした作品となっています。
左門くんはサモナー
これも『アーリマンを扱っている作品』の項で紹介させていただいた作品です。
コメディタッチの作品のため、ゾロアスター教やアーリマンという存在そのものに興味を持った方にはおすすめできませんが、今風なノリのギャグマンガを楽しみつつ、”なんとなく”神話上のアーリマンという存在の概略を掴みたい方にはぴったりの作品です。
おすすめのゲーム作品
Fate/hollow ataraxia
先に紹介した『Fate』シリーズの中でも、アンリマユがメインキャラの一人として活躍することになる作品です。
作品としては本編である『Fate/stay night』の後日談、あるいはファンサービス版という感じですが、”アンリマユ”という存在だけにフィーチャーするなら、この作品だけでも十分に楽しめると思います。
「この世全ての悪を象徴する悪神」という概念的な存在であるアーリマンを、非常に魅力的なキャラクターに仕上げている作品ですので、興味のある方はぜひプレイしてみてください。
アーリマン(アンリマユ)についてのまとめ
序文でも触れさせていただきましたが、歴史を知るにあたって”宗教”というものの存在は必要不可欠です。宗教の教義の変化や宗派の分裂などが歴史上の大事件と重なっていたり、あるいはそれ自体が大事件として記録されているあたりからも、それは読み取ることができるでしょう。
そして、そんな部分から考えると「この世全ての悪を司る邪神」であるアーリマンは、一体どのような理由付けのためにそのような存在として描かれるようになったのか。そういった部分にも、ある種の必然的に疑問が生じることになります。
創作としては「盛られすぎ」とも言えるその神格としての能力や、インド神話との興味深い相関関係などが、いったいどんな理由から必要とされたのか。そういった部分について、様々な歴史上の出来事から考察してみるのも面白いかもしれません。
それでは、少々小難しい記事でしたがお付き合いいただきありがとうございました。