豊臣秀吉の優秀な軍師であったにもかかわらず、36歳という若さで病死した竹中半兵衛は、とてもファンの多い戦国武将です。ゲームの戦国無双の影響で、近年その人気はさらにうなぎ上りになっています。
竹中半兵衛といえば、19歳の時にたった16人で稲葉山城を乗っ取った話が有名ですね。この時半兵衛は「人心を一つにしなければ、どんな立派な城も役に立たない」と言ったといわれていますが、このように自らの行動が伴う名言には説得力があります。
また、現代を生きるビジネスマンにも役立ちそうな、本質をつく名言が多いのも特徴です。竹中半兵衛は幼い時から病弱であったせいか、無駄なものは極力省き、武士としての生き方を明確に意識して日々を過ごしていたようです。目的達成のため、必要なものを冷静に取捨選択し続けてその生涯を閉じた半兵衛の言葉からは、学ぶものが多くあります。
ここでは、竹中半兵衛が残した名言や、半兵衛が由来となったことわざを、その意図や背景と合わせて9つ選び、解説していきます。最後には竹中半兵衛の名言の意味を深く理解するための本も合わせて紹介していきますので、ぜひご覧ください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
竹中半兵衛の名言と意図、背景
自分の身の丈以上の、高値の馬を買うべきではない。
武士は分に過ぎた高価な馬を持ってはならない。戦場でよき敵を見かけて追い詰め飛び降りて組ま> んとするとき、あるいは槍を合わせんとて降り立たんとするとき、馬中間が遅れていると、人に馬> を奪われはしないかなどと考えて、つい心がひるんで、よき期をはずしてしまうものである。
豊臣秀吉が、貧相な馬に乗っている竹中半兵衛に、もっと半兵衛の身分に合ったふさわしい馬があるだろうに、なぜそんな馬に乗っているのかと尋ねた際に半兵衛が答えたものです。
竹中半兵衛が言いたかったのは、身分不相応の高価な馬に乗っていると、馬に気を取られて戦機を失いかねないので、それは自分としては望むことではない、ということでしょう。自分を飾ることよりも、目的達成を最優先した竹中半兵衛らしい名言ですね。
どんな良い話も、無駄な質問と回答をしては台無しだ。
人皆合戦の事を問ふに、其問ふべき要領を問はず。問はで済むべき事を多く尋ぬる故、重ねての功 > に成らざるなり。答ふる者もまた然り。去れば良話も用に立ざる事甚だ多し。
合戦について尋ねる人たちのほとんどは、大切なことを聞かずにどうでもいいことばかり聞いてきます。そして答える方も同じくいい加減に答えています。これではその質問に関わっていること自体に意味がないことで、せっかくの良い合戦話も、役立たないことが多いと竹中半兵衛は述べています。
手柄を誰が立てたかとか、討ち取った武将の名前などを挙げて悦に入る武者の自慢話は、聞く意味がありません。合戦の話を聞くなら、部隊の駆け引きや戦の変化の様子など、合戦の本質を聞くべきだということでしょう。それでこそ後の役に立つというものです。
武士は名こそ惜しけれ
馬に限ったことではない。武士は名こそ惜しけれ、義のためには命も惜しむべきはない。
財宝など塵あくたとも思わぬ覚悟が常にあるべきである。
褒美がもらえると書かれた手紙を持っているのに、いまだもらえないと不満を言う黒田官兵衛を見て、竹中半兵衛は官兵衛の目前で書状を引き裂きます。そして、こんなものを持っているから色々言いたくなる訳で、それは官兵衛にとって良いことではないと話したそうです。半兵衛が官兵衛の才能を買っているからこその行動だったのでしょう。
竹中半兵衛は義に生きた武将でした。その覚悟は一貫していてぶれることがなく、財産を持つことにも関心がない人であったようです。この潔い半兵衛の生き方は、これ以外の名言からも感じ取れます。
どんな立派な城より、人心を一つにする方が強い
要害がいかに堅固であっても、人の心が一つでなければものの用をなさない。
竹中半兵衛は、主君であった斎藤龍興の目に余る乱行を諫めるべく、難攻不落の城として知られていた稲葉山城を、たった16人で乗っ取ったといわれています。この名言はその際、半兵衛が斎藤龍興に言ったものと伝えられています。
稲葉山城は龍興にとって祖父にあたる斎藤道三が改修した城であり、この城にいれば大丈夫と龍興が思ってしまう気持ちもわからなくはないですが、半兵衛がそれは違うと身をもって示したことが全てを物語っている気がします。外見を取り繕うのではなく、本質を大事にする半兵衛だからこその名言だと言えるでしょう。