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劉邦の生涯・年表まとめ【項羽との関係や家臣、漫画も紹介】

劉邦は古代中国において活躍した英雄です。劉邦は始皇帝やライバルであった項羽と戦い、400年にわたって繁栄する漢王朝を作り上げました。劉邦の活躍は、日本においても小説やドラマなどで描かれています。

劉邦は庶民として生まれながらも、最終的に中国を制覇し皇帝となります。中国史上最初の皇帝は始皇帝ですが、始皇帝は以後の中国にとって悪例として残りました。一方で、その後の混乱を収めた劉邦は「皇帝とはこうであるべきだ」という理想として、後世の多くの人々の心に残りました。

劉邦の肖像画

中国の人を「漢民族」と呼ぶことからも、劉邦が作った漢という国は中国のアイデンティティとして残り続けたと言えます。

この記事では、劉邦が庶民から皇帝に登り詰めることができた理由、劉邦の性格、活躍を支えた家臣など、劉邦と劉邦を取り巻く環境まで紹介していきます。あくまで史実としての劉邦を解説いたします。

劉邦とはどんな人物か

名前劉邦
誕生日紀元前256年
没日紀元前195年6月1日
生地泗水郡沛県豊邑中陽里
配偶者呂雉
埋葬場所陝西省咸陽市渭城区窯店街道三義村

劉邦の生涯をハイライト

劉邦の画像

劉邦は、中国東部の泗水郡沛県の庶民の家に生まれました。劉邦は沛県の東に位置する泗水の亭長として、警察署長のような役職に就きましたが、勤務態度は悪かったといいます。

やがて秦の始皇帝がその圧政により民衆の反感を買うようになり、倒秦活動が活発になると、劉邦も活動に参加します。仲間から愛された劉邦は、みるみるうちに出世していき、ついには秦の都へ一番乗りを果たしました。

しかし、それが名門であった項羽の反感を買います。劉邦は、当時は未開の地であった現在の四川省のあたりに左遷されてしまいました。しかし、それでも劉邦は項羽と戦い続け、ついに中国統一を果たします。

そして劉邦は漢の国を作り上げ、初代皇帝として歴史に名前を残しました。

劉邦の家族構成や子孫は?

劉邦の息子「恵帝」

劉邦は、父・劉太公と母・劉媼の三男として誕生します。長兄に劉伯、次兄に劉喜がいました。

やがて、劉邦は妻を持ちます。これが歴史に名前を残す悪女として知られる呂雉です。呂雉との間に、恵帝などの子供をつくりました。

また、それ以外にも曹氏や戚氏といった妾を持ち、劉如意、劉肥といったたくさんの子供を作りましたが、その多くは呂雉の反感をかって殺されてしまいました。

劉邦と項羽の関係性は?

項羽の肖像画

項羽は、劉邦と同じ時代に生きたもうひとりの英雄です。当初は劉邦と項羽は共に秦と戦う仲間でしたが、やがてライバル関係になりました。劉邦は庶民の出身で戦にも強くないけれども、人望があったと言われています。

一方で項羽は、名門の生まれで誰よりも戦に強かったですが、苛烈な性格から人望はありませんでした。劉邦と項羽は長年戦い続けますが、その実力は項羽のほうが圧倒的に上でした。

しかし、劉邦の周りに集まった優秀な人材たちが劉邦を支え、ついには項羽を打ち破るまでになったのです。

劉邦の有力な家臣は?

張良の肖像画

劉邦の周りには、優れた家臣たちが集まりました。有名なところでは、「背水の陣」という諺で有名な「韓信」、また稀代の名参謀と言われた「張良」、そして事務官として国を管理する能力に長けた「蕭何」などです。

この3人は漢の三傑とよばれ、劉邦の天下統一に大きな役割を果たしました。劉邦は、これらの優秀な家臣たちの言うことをよく聞き、時には耳の痛い諫言も受け入れました。これが劉邦が天下を取ることができた理由と言われています。

劉邦の功績

功績1「始皇帝や項羽と戦い、中国を統一した」

始皇帝の肖像画

劉邦は、庶民の生まれであり地元の小さな警察署長出身でありながら、その人望に惹かれた優秀な人材たちに助けられ、強敵たちを打ち破っていきます。

劉邦は秦の始皇帝と戦い、勝利を収めます。さらに、始皇帝と共に戦った項羽と敵対関係になると、一時は敗戦に次ぐ敗戦で追い込まれますが、最後は項羽に見事勝利します。そして、ついに中国を統一したのです。

功績2「漢王朝を樹立し、中国における皇帝の理想像となった」

漢王朝の皇帝「光武帝」

中国統一後、劉邦は漢王朝の初代皇帝として君臨しました。始皇帝の作った秦が僅かな間で滅びてしまったのに対して、漢の国は400年続くことになります。これは、初代皇帝であった劉邦の力によるところも大きいと言えるでしょう。

始皇帝が悪の象徴であったのに対し、人望に優れた劉邦は理想の皇帝像となりました。漢の国から隋、唐、宋と中国の王朝は移り変わっていきますが、劉邦は皇帝のあるべき姿として受け継がれていきました。

劉邦の名言

男たるものが天下を定め諸侯を征服したというのにどうして仮の王などとケチくさいことを言う。真の王となれ。今日より韓信は正真正銘の斉王じゃ。

この言葉は、漫画「項羽と劉邦(横山光輝著)」からの出典です。多大なる功績を挙げた韓信が、遠慮して「仮の王」にならせてほしいと劉邦に申し出たのに対して、劉邦は「真の王となれ」と度量深く答えます。

わしは張良、蕭何、韓信の三人をよく用いることができた。これが天下を取った所以だ。

劉邦は、自分に実力のないことをよくわかっていました。そのかわりに、優秀な人材の言葉を聞いて採用する能力に優れていたのです。この言葉は、そんな劉邦の性格をよく表している言葉と言えるでしょう。

劉邦の人物相関図

劉邦にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「苦しむ民衆のために法律を3つだけにした」

法律のイメージ画像

劉邦が秦の始皇帝と戦っていたとき、民衆はその厳しく苛烈な法律に苦しめられていました。そこで劉邦は秦の都であった咸陽に一番乗りすると、法律を3つだけにします。具体的には「人を殺してはいけない」「人を傷つけては行けない」「ものを盗んではいけない」という3つだけです。

これに、咸陽の民衆は大喜びしました。劉邦のこの行いが後々までの民衆の支持に繋がったのです。

都市伝説・武勇伝2「40万の敵軍に乗り込み、停戦を実現した」

映画「項羽と劉邦 鴻門の会」より

劉邦は、項羽と比べると圧倒的に戦いに弱かったと言われています。さらに、戦力においても圧倒的に劣っていました。

項羽は、40万の軍勢で劉邦に襲いかかります。このままでは劉邦の負けは必定です。そこで劉邦は、敵陣に乗り込み、直接項羽と会うことで停戦を実現させました。このとき劉邦は、わざと駄目な人間であることを装い、項羽を油断させたと言われています。

この出来事は、後世に「鴻門の会」として言い伝えられており、様々な劇や舞台の題材となっています。

都市伝説・武勇伝3「人間的な魅力で韓信・張良などの名臣を集めた」

劉邦は人間的な魅力に優れていました。地元の警察署長として半ば無頼漢の状態であったときから、自然と人々が集まったのです。その時から張良や蕭何といった後の名臣が劉邦のそばにいました。

さらに、劉邦は韓信という名将を味方につけます。当初、劉邦は韓信のことを高く買ってはいませんでした。しかし、部下の蕭何の強いすすめで、韓信をいきなり大将軍に任命することにします。劉邦がいかに周りの意見を聞く人間であったかがわかるエピソードと言えるでしょう。

劉邦の簡単年表

前256年 - 0歳
劉邦、生まれる

紀元前256年、劉邦は中国東部にある沛県に、庶民の家庭の3男として生まれました。劉邦は生まれながらに人から信頼されるような顔つきをしていたと言われています。

年代不明
劉任侠生活を送る

劉邦は若い頃は任侠として無頼な生活をすごしていました。その頃に知り合った仲間たちが、劉邦の天下統一に大きく貢献することになります。

前208年 - 48歳
反秦連合へ参加する

劉邦は亭長として警察所長のような役割を果たしておりましたが、秦の始皇帝の暴政に苦しめられている人々を目の当たりにし、任務を投げ出して秦への反乱軍へ参加することになります。

前207年 - 49歳
秦の都へ入る

反秦連合の勢いは留まるところを知らず、各地で秦の軍勢を倒していきます。そして、劉邦はついに秦の都である咸陽へ入場することができました。

前206年 - 50歳
項羽は劉邦を僻地に左遷する

反秦連合の実質的なリーダー格であった項羽は、咸陽に一番乗りした劉邦を危険人物として警戒します。そして、項羽は劉邦を当時の僻地であった西部の漢王として任命し、左遷することにしました。

前205年 - 51歳
項羽に歴史的な大敗を喫する

一度は僻地送りとなった劉邦でしたが、項羽と対抗するために戦いを始めます。しかし、項羽の強さは圧倒的で、連戦連敗を重ねました。205年、56万の軍勢を率いて項羽と戦った劉邦でしたが、たった3万人の項羽の軍勢にこてんぱにやられてしまいます。

前202年 - 54歳
天下を統一し皇帝の位につく

それでも、劉邦は周囲の助けもあり、項羽に打ち勝ちます。劉邦は、202年についに天下を統一し、皇帝の座につきました。

前195年 - 61歳
その生涯を閉じる

劉邦は、195年に皇帝としてその生涯を閉じました。劉邦は、妻であった呂雉とともに都であった咸陽に葬られました。

劉邦の年表

前256年 – 0歳「劉邦、生まれる」

劉邦が生まれた沛県の現在

庶民の家の子供として生まれた劉邦

紀元前256年、劉邦は泗水郡沛県に生まれました。劉邦は庶民の家庭の3男として生まれましたが、鼻が高く立派な髭をしており、徳のある人相をしていたと言われています。

また、太股に72のほくろがあったと言われています。中国では72は1年360日を五行思想の5で割った数で、縁起の良い数字と言われていました。

任侠として多くの仲間を従える

若い頃、劉邦は任侠として無頼な生活をすごしていました。劉邦は仲間たちと酒を飲み、遊んで暮らしていました。縁あって亭長という警察署長の任務に就きましたが、いい加減な仕事ぶりだったと言われています。

一方で、この時期に劉邦の覇業を助けることになる蕭何や曹参などと出会うことになります。当時から、彼らは劉邦の人望を慕っていました。劉邦が仕事で失敗してもなぜか周囲が擁護してくれ、劉邦が飲み屋に入れば自然と人が集まったといいます。

前207年 – 49歳「秦を打倒し、都に一番乗りする」

劉邦の像

反秦連合に参加し、敵を打ち破る

ある時、劉邦は亭長として人夫を引き連れて都である咸陽へ向かっていましたが、秦の過酷な労働と刑罰を知っていた人夫たちは次々と逃亡してしまいました。このままでは劉邦も罪に問われてしまいます。そこで劉邦は、ちょうど機運が高まっていた反秦連合に参加することにします。

反乱軍の勢力が強大になると、沛県の長官は反乱軍に協力するべきか否かで悩みました。そのような状況の中、住民たちには不安が広がっていました。劉邦は、その時節を見逃さず、沛県の城を乗っ取ります。ここから、劉邦の秦との戦いが始まります。

都に一番乗りし、3つのみの法律を作る

やがてどんどん勢力を拡大していた劉邦の軍は、なんと都に一番乗りを果たします。そして実質的な支配者として都に君臨しました。

劉邦は、苛烈な秦の法律に苦しんでいた民衆のために、法律をたった3つだけに決めます。これにより、都での劉邦の人気は高まりました。

前206年 – 50歳「項羽との戦いが始まる」

項羽の墓

劉邦を恐れた項羽は劉邦を左遷する

都に一番乗りし、実質的な支配者となった劉邦でしたが、反秦連合のリーダー格であった項羽はこれを許しませんでした。そして、秦を倒したあとの論功行賞で、項羽は劉邦を西の僻地であった漢へ送ってしまいます。

ちなみに、現代でも「左遷」という言葉を使いますが、この言葉はこのときのエピソードが元になって作られたものです。

ついに項羽を四面楚歌の状況にする

しかし、劉邦はあきらめませんでした。昔からの仲間であった蕭何や、智謀に優れた張良、さらに優秀な将軍として名高い韓信を仲間に加え、項羽に対抗します。

劉邦は戦いに弱く連戦連敗でしたが、粘り強く戦い、ついに項羽を追い詰めます。そしてついに項羽を打ち取り、長かった戦いに終止符を打ちました。

前202年 – 54歳「天下統一を果たし、皇帝の座につく」

長安

首都を長安に定める

天下をとった劉邦は、都を長安に定めます。そして、共に戦った仲間たちに論功行賞を行いました。

そこでなんと劉邦は、事務官であった蕭何を第一の功労としました。劉邦は、蕭何が常に用意してくれた兵員と物資がなければとっくの昔に滅び去っていたことを知っていたからだと言われています。また、劉邦は韓信を楚の王に任命しました。

皇帝となった劉邦は、猜疑心の塊になる

劉邦は天下統一を果たし皇帝の座に付きましたが、権力を手に入れた晩年の劉邦は人を信用できなくなってしまいます。

劉邦は、天下統一の功臣であった韓信を謀反の疑いありとして処罰してしまいます。その結果、韓信は本当に劉邦に反旗を翻してしまいます。さらに、彭越・英布といった武将たちも危険人物とみなして処罰します。

前195年 – 61歳「その生涯を閉じる」

劉邦の墓

劉邦が亡くなり呂雉の時代へ

劉邦は戦で受けた矢傷が元で、紀元前195年に妻であった呂雉に対して今後誰を丞相とするべきかの人事策を言い残して亡くなりました。

死後、太子の劉盈が恵帝として即位しましたが、実権は全て呂雉に握られました。呂雉は、権力を思いのままにして専横を行いました。しかし、呂雉の死後、周勃と陳平により呂氏一族は粛清され、恵帝の異母弟の文帝が迎えられ、漢王朝の反映が始まりました。

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関連外部リンク

劉邦についてのまとめ

この記事では、劉邦について紹介しました。劉邦の生涯は、才能や能力に優れていなくても、人望と人の活用がうまければ優れたリーダーになれることを私達に教えてくれています。

劉邦が生きた時代は約2000年前の古代中国ですが、そのイメージは今でもありありと浮かんできます。現代においても、一つの英雄像として劉邦は輝いていると言えるでしょう。

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