劉邦の簡単年表
紀元前256年、劉邦は中国東部にある沛県に、庶民の家庭の3男として生まれました。劉邦は生まれながらに人から信頼されるような顔つきをしていたと言われています。
劉邦は若い頃は任侠として無頼な生活をすごしていました。その頃に知り合った仲間たちが、劉邦の天下統一に大きく貢献することになります。
劉邦は亭長として警察所長のような役割を果たしておりましたが、秦の始皇帝の暴政に苦しめられている人々を目の当たりにし、任務を投げ出して秦への反乱軍へ参加することになります。
反秦連合の勢いは留まるところを知らず、各地で秦の軍勢を倒していきます。そして、劉邦はついに秦の都である咸陽へ入場することができました。
反秦連合の実質的なリーダー格であった項羽は、咸陽に一番乗りした劉邦を危険人物として警戒します。そして、項羽は劉邦を当時の僻地であった西部の漢王として任命し、左遷することにしました。
一度は僻地送りとなった劉邦でしたが、項羽と対抗するために戦いを始めます。しかし、項羽の強さは圧倒的で、連戦連敗を重ねました。205年、56万の軍勢を率いて項羽と戦った劉邦でしたが、たった3万人の項羽の軍勢にこてんぱにやられてしまいます。
それでも、劉邦は周囲の助けもあり、項羽に打ち勝ちます。劉邦は、202年についに天下を統一し、皇帝の座につきました。
劉邦は、195年に皇帝としてその生涯を閉じました。劉邦は、妻であった呂雉とともに都であった咸陽に葬られました。
劉邦の年表
前256年 – 0歳「劉邦、生まれる」
庶民の家の子供として生まれた劉邦
紀元前256年、劉邦は泗水郡沛県に生まれました。劉邦は庶民の家庭の3男として生まれましたが、鼻が高く立派な髭をしており、徳のある人相をしていたと言われています。
また、太股に72のほくろがあったと言われています。中国では72は1年360日を五行思想の5で割った数で、縁起の良い数字と言われていました。
任侠として多くの仲間を従える
若い頃、劉邦は任侠として無頼な生活をすごしていました。劉邦は仲間たちと酒を飲み、遊んで暮らしていました。縁あって亭長という警察署長の任務に就きましたが、いい加減な仕事ぶりだったと言われています。
一方で、この時期に劉邦の覇業を助けることになる蕭何や曹参などと出会うことになります。当時から、彼らは劉邦の人望を慕っていました。劉邦が仕事で失敗してもなぜか周囲が擁護してくれ、劉邦が飲み屋に入れば自然と人が集まったといいます。
前207年 – 49歳「秦を打倒し、都に一番乗りする」
反秦連合に参加し、敵を打ち破る
ある時、劉邦は亭長として人夫を引き連れて都である咸陽へ向かっていましたが、秦の過酷な労働と刑罰を知っていた人夫たちは次々と逃亡してしまいました。このままでは劉邦も罪に問われてしまいます。そこで劉邦は、ちょうど機運が高まっていた反秦連合に参加することにします。
反乱軍の勢力が強大になると、沛県の長官は反乱軍に協力するべきか否かで悩みました。そのような状況の中、住民たちには不安が広がっていました。劉邦は、その時節を見逃さず、沛県の城を乗っ取ります。ここから、劉邦の秦との戦いが始まります。
都に一番乗りし、3つのみの法律を作る
やがてどんどん勢力を拡大していた劉邦の軍は、なんと都に一番乗りを果たします。そして実質的な支配者として都に君臨しました。
劉邦は、苛烈な秦の法律に苦しんでいた民衆のために、法律をたった3つだけに決めます。これにより、都での劉邦の人気は高まりました。
前206年 – 50歳「項羽との戦いが始まる」
劉邦を恐れた項羽は劉邦を左遷する
都に一番乗りし、実質的な支配者となった劉邦でしたが、反秦連合のリーダー格であった項羽はこれを許しませんでした。そして、秦を倒したあとの論功行賞で、項羽は劉邦を西の僻地であった漢へ送ってしまいます。
ちなみに、現代でも「左遷」という言葉を使いますが、この言葉はこのときのエピソードが元になって作られたものです。
ついに項羽を四面楚歌の状況にする
しかし、劉邦はあきらめませんでした。昔からの仲間であった蕭何や、智謀に優れた張良、さらに優秀な将軍として名高い韓信を仲間に加え、項羽に対抗します。
劉邦は戦いに弱く連戦連敗でしたが、粘り強く戦い、ついに項羽を追い詰めます。そしてついに項羽を打ち取り、長かった戦いに終止符を打ちました。
前202年 – 54歳「天下統一を果たし、皇帝の座につく」
首都を長安に定める
天下をとった劉邦は、都を長安に定めます。そして、共に戦った仲間たちに論功行賞を行いました。
そこでなんと劉邦は、事務官であった蕭何を第一の功労としました。劉邦は、蕭何が常に用意してくれた兵員と物資がなければとっくの昔に滅び去っていたことを知っていたからだと言われています。また、劉邦は韓信を楚の王に任命しました。
皇帝となった劉邦は、猜疑心の塊になる
劉邦は天下統一を果たし皇帝の座に付きましたが、権力を手に入れた晩年の劉邦は人を信用できなくなってしまいます。
劉邦は、天下統一の功臣であった韓信を謀反の疑いありとして処罰してしまいます。その結果、韓信は本当に劉邦に反旗を翻してしまいます。さらに、彭越・英布といった武将たちも危険人物とみなして処罰します。
前195年 – 61歳「その生涯を閉じる」
劉邦が亡くなり呂雉の時代へ
劉邦は戦で受けた矢傷が元で、紀元前195年に妻であった呂雉に対して今後誰を丞相とするべきかの人事策を言い残して亡くなりました。
死後、太子の劉盈が恵帝として即位しましたが、実権は全て呂雉に握られました。呂雉は、権力を思いのままにして専横を行いました。しかし、呂雉の死後、周勃と陳平により呂氏一族は粛清され、恵帝の異母弟の文帝が迎えられ、漢王朝の反映が始まりました。
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劉邦についてのまとめ
この記事では、劉邦について紹介しました。劉邦の生涯は、才能や能力に優れていなくても、人望と人の活用がうまければ優れたリーダーになれることを私達に教えてくれています。
劉邦が生きた時代は約2000年前の古代中国ですが、そのイメージは今でもありありと浮かんできます。現代においても、一つの英雄像として劉邦は輝いていると言えるでしょう。
劉邦は始皇帝と戦って無いやろ