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【一覧表付】ヒエログリフ(神聖文字)とは?特徴や読み方、解読法を紹介

「ヒエログリフってどんな文字?」
「ヒエログリフはいつ解読されたの?」
「ヒエログリフの読み方は?」

ヒエログリフ(神聖文字)は、古代エジプトで用いられた象形文字の一つになります。その多くが石碑や墳墓、「死者の書」と呼ばれる葬祭文書に刻まれており、エジプトがペルシア帝国によって征服される紀元4世紀頃まで使われていました。

しかしペルシアによる征服後、エジプトの公用語がギリシア語とされたことで、ヒエログリフは徐々に読み手が減り、いつしか忘れ去られた古代文字となってしまったのです。そして1822年、フランス人の「古代エジプト学の父」とも言われるジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読されたことで、一躍注目を浴びることとなりました。

ヒエログリフの独特の文字列や絵柄に魅了される方も多く、古代文字の中ではかなり根強い人気を誇っています。その人気ぶりに、カバンやスマホケース、アクセサリー、メイク道具などグッズ化されているものまであるほどです。

この記事では、そんなヒエログリフの歴史や特徴を解説しつつ、解読に至った経緯、ヒエログリフの文字一覧表、ヒエログリフと混同されやすい『ヒエラティック』『デモティック』の違いをご紹介していきます。

ヒエログリフ(神聖文字)とは?文字の歴史と特徴を紹介

ヒエログリフが記された『死者の書』

古代文字『ヒエログリフ』を簡単に解説

ヒエログリフ(神聖文字)は古代エジプトで使用されていた文字です。その起源は古く、紀元前4000年頃にはヒエログリフに似た文字が古代エジプトの遺跡で確認されています。

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ヒエログリフは神聖なものとして考えられており、文字を扱える者は高い地位にある限られた人だけでした。またそういった背景から、民衆が扱えるようにヒエログリフを簡略化した文字「デモティック(民衆文字)」や速記専用の「ヒエラティック(神官文字)」が発明されました。

ヒエログリフを扱うことのできた神官

ヒエログリフはその時代に沿って改革が行われ、エジプト中王国時代(紀元前2040年ー紀元前1782年)より、文字数は750文字程度、単語の綴りも一定化されるなど体系的に変化していきました。しかし、古代エジプトが古代ローマ帝国に支配されるようになったことで、ギリシア文字が浸透し、4世紀頃を境に使用されなくなっていきました。

ヒエログリフが記された壁画や石板は多く出土しており、これまで多くの学者や研究者たちを魅了してきました。しかし文字の解読には至らず、長きに渡りヒエログリフは未解読の古代文字の一つでした。

19世紀に入り、フランス人の学者であるジャン=フランソワ・シャンポリオンによってヒエログリフ解読は大きく進められることとなります。これが突破口となり、現代ではヒエログリフは簡単に読み進めることができるようになりました。

『ヒエログリフ』3000年の歴史に迫る

古代エジプトの様子

ヒエログリフがいつから使われるようになったのか、はっきりしたことはわかっていません。紀元前4000年頃にはヒエログリフに似た文字が確認されていますが、明確な記録は残っていないのです。しかし紀元前3200年頃にはヒエログリフで記載された文献が登場し、この頃にはすでに文字として確立し、用いられていたと考えられています。

紀元前3000年頃エジプト原始王朝時代には、ヒエログリフから派生したヒエラティック(神官文字)が普及します。ヒエログリフは筆記に時間がかかるため、書記官たちが素早く書くことのできる速記専用の文字を作ったのです。

紀元前2040年ー紀元前1782年の中王国時代にヒエログリフが改訂され、文字数が750文字程度に削減し単語の綴りや記載方法も一定化されました。しかし、紀元前1570年頃ー紀元前1070年頃の新王国時代にかけて、外国語が流入したことでヒエログリフの文字数は増加します。

紀元前650年頃の第26王朝の時代に、ヒエラティックをさらに簡略化したデモティック(民衆文字)が作られました。これにより民衆も文字を読むことができるようになりました。ヒエログリフは石板や壁に刻まれていることが多いのに対し、ヒエラティックはパピルスなどの紙に、デモティックは木や石に刻んだものが多く残っています。

パピルスに刻まれたヒエラティック

紀元前305年頃のプトレマイオス朝に入るころには古代ローマ帝国が地中海領域を支配するようになると、次第にその影響を受けるようになっていきます。ローマ帝国の母語であるギリシア語が流入するようになったことで、ギリシア語が普及し、ギリシア語を基盤とするコプト文字が作られました。

徐々にヒエログリフを使う者は減少し、そして4世紀末頃を最後に姿を消しました。最後にデモティックが確認された日付は「392年8月24日」とされています。

ヒエログリフの2つの特徴

ヒエログリフでよく用いられている「鳥」のマーク

1.ヒエログリフは象形文字の一つ

ヒエログリフは象形文字の一つであり、その名の通り、絵を用いて言葉を表現しています。例えば鳥の絵が描かれれば、それは「鳥」を、ナイフが描かれれば「ナイフ」を意味していました。

ヒエログリフが登場した時はその文字数は数千もあったとされており、多くの言葉を表現していたとされています。絵で表現したのは、それが視覚的に簡単でわかりやすく、文字としては最も簡単な形だったからです。

2.ヒエログリフは表意文字としても使用される

実はヒエログリフの解読が困難とされた原因が、文字にさまざまな意味が加えられていたためです。その文字数の多さもさることながら、表意文字として用いられることもあったため、研究者たちは混乱し、解読は難航していたのです。

表意文字というのは事象を示す絵文字や図形を組み合わせることで、観念的な事象を表すことのできる文字です。例えば鳥を表現する時に「大きい」という絵文字を付け加えることで「大きい鳥」を表現することができます。

ヒエログリフだけでなく、ヒエラティックやデモティックにも表意文字はありますが、特にヒエログリフにはその傾向が強く見られました。これがあったからこそヒエログリフの解読は中々進まなかったとされています。

ヒエログリフ(神聖文字)の発見から解読に至るまで

ロゼッタ・ストーン

ヒエログリフの発見

ヒエログリフの記された出土品は昔から多く発見されているものの、その文字の難読性から文字の解読は困難を極めていました。表音文字として使われる文字もあれば、表意文字に切り替わる文字など、文字の判別だけでなく、解読の手がかりとなる書物もない状態で、まさに「未解読の古代文字」としての地位を確立しつつありました。

しかしそんなヒエログリフ解読にも転機が訪れます。1799年、かの有名なナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス兵がエジプト湾港都市ロゼッタで3種類の古代文字が記されている石板を発見したのです。

この石板は発見された地にちなんで、「ロゼッタ・ストーン」と名付けられ、注目の的となりました。石板は複製され各地へ運ばれたことで、多くの学者たちの目に留まり、文字の解読が進められるようになりました。

ヒエログリフの解読

ロゼッタ・ストーンはギリシア語、デモティック、そしてヒエログリフの3種類で、まったく同じ内容が記されていました。ロゼッタ・ストーンは紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれています。

父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした…不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した…祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から召集された。…神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした…

ロゼッタ・ストーンは戦争による戦利品として、多くの国を渡りました。このことによって世界中の研究者や学者たちの目に入ることとなり、各国で文字の研究が行われるようになりました。

ギリシア語は広く知られていたため、比較的早い段階で解読できました。しかしヒエログリフ、デモティックの2種類の文字は馴染みのない文字であり、解読は難航していました。

多くの研究者が文字の解読に挫折していく中、一人の天才が現れます。その天才こそ、初めてヒエログリフを解読したジャン=フランソワ・シャンポリオン(1790ー1832)です。当時ロゼッタ・ストーン解読の第一人者であったトマス・ヤングが解読に行き詰まった際に、助け舟を求めたのがシャンポリオンでした。

ジャン=フランソワ・シャンポリオン(1790ー1832)

シャンポリオンは当時グルノーブル大学の教授で、古代エジプトの研究を行っていました。1822年にロゼッタ・ストーンの写本を手にしたシャンポリオンは、同時代の遺跡からの出土品に刻まれた文字を頼りに解読を進め、1年もしない内に解読に成功したことを発表したのです。

その後1832年にシャンポリオンは急死してしまいます。ヒエログリフの細かな文法や文節などは後世の研究者たちに託されることとなりましたが、多くの研究者の働きによって、今日のヒエログリフは非常に明解かつ簡単に解読できるようになりました。

ヒエログリフ(神聖文字)の文字の意味とは?文字の読み方から文字一覧を紹介

ヒエログリフには文字ごとに表音文字や表意文字に分かれています。以下、ヒエログリフの50音表とアルファベット表になります。

50音表
アルファベット表

ヒエログリフの読み方には特徴があり、一つの文字が音を示す場合、意味を表す場合、そして前に書かれた単語の意味を示す場合があります。基本的にそれぞれの文字に追加で線や絵が付け加えられ、その文字が何を意味している文字なのかわかるようになっていますが、慣れない内は難しいですよね。

例えば△のマークが男性を意味する文字だと仮定します。前に書かれた単語の意味を示す場合、「たろう△」と記されていた場合、男性のたろうを表現しているのです。

ヒエログリフ(神聖文字)とヒエラティック、デモティックの違い

ヒエラティック(神官文字)

ヒエラティック

ヒエラティック(hieratic)という言葉はギリシア語の神官の書記(grammata hieratika)という言葉に由来しています。 この語句は紀元2世紀にクレメンス2世によって初めて使われました。

ヒエラティックは王の書記官たちが速記する際に使われていました。ヒエラティックは主に葦の刷毛を用いてインクで書かれており、ヒエログリフよりも格段に早く記述することができました。

ただしヒエラティックをヒエログリフからの派生と考えるのは間違いです。ヒエログリフが記念碑に刻まれるようになった時には、すでにヒエラティックは文字として確立されており、この2つの筆記法は関連し合いながら、平行して発達していったものなのです。

デモティック(民衆文字)

デモティック

デモティック(demotic)は年代が進み、徐々にヒエラティックが崩れていったものになります。デモティックは木や石に刻んだものが多く出土しています。

デモティックの特徴として、当時使用されていた常套句が多く含まれており、当時の人々の日常が色濃く現れています。しかしデモティックは徐々に文学や宗教の文書などに用いられるようになり、日常語ではなくなっていきました。

フィラエ神殿

紀元前660年にデモティックで記された出土品が発掘されており、これがデモティック書体の最古の出土品とされています。そして紀元451年にフィラエ神殿の壁に刻まれたのを最後に、デモティックは姿を消すこととなりました。

ヒエログリフに関するまとめ

ヒエログリフについて解説してきました。いかがでしたでしょうか。

ヒエログリフが多くの出土品に刻まれたことで、はるか昔のエジプトの様子を詳細に知ることができています。そして特徴的な文字の形状は非常に魅力的で、現代においても根強いファンがいるほどです。

ぜひこの記事を読んで、ヒエログリフについて興味や関心を持っていただけますと幸いです。長い記事となりましたが、お読みいただきありがとうございました。

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