伊勢神宮とは?いつ、どこで、誰に、何のために作られた?【歴史や参拝方法、歩き方、年表も紹介】

この記事では伊勢神宮について、歴史年表にまとめつつ、これまでの出来事などについてとことん掘り下げて紹介していきます。

正宮内宮、鳥居

全国的に有名な観光スポットでもある伊勢神宮は興味を持っている方も多いと思いますが、誕生してから現在までにどんなことがあったのか知ることができます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

伊勢神宮とは何か?

伊勢神宮の概要は?

伊勢神宮、別名「大神宮さん」

三重県伊勢市にある伊勢神宮。正式名称は単に「神宮」なのですが、他の神宮と区別するために伊勢神宮という呼び方が定着しています。

また親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」と称されることもありますが、全国に約8万箇所ある神社の総本社に当たります。

全国的にも有名な観光スポットになっている伊勢神宮ですが、本来は皇室や朝廷との関係が強く、天皇や内閣総理大臣といった権威者が参拝することが慣習になっていますね。

伊勢神宮の祭神は?

伊勢神宮が祀っている主祭神は太陽の神「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と衣食住の神「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」。

まず内宮(ないくう)に祀られていて国民にとっての総氏神である「天照坐皇大御神」は、捉えようにもよりますが日本で一番偉い神様と言っても過言ではありません。「天岩戸の神隠れ」の神話でも有名で、縮めて「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」という呼ばれ方が一般的ですね。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

続いて外宮(げくう)に祀られている「豊受大御神」は「トヨウケビメ」とも呼ばれますが、もともとは丹波国の神様。それが伊勢神宮に祀られるようになった理由は内宮の天照大御神です。

伊勢神宮外宮の社伝によると、雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れ、自分一人では安らかに食事が取れないので、そのお供として丹波国与謝郡から豊受大御神を呼び寄せるよう神託を授けたそうです。

伊勢神宮の誕生は?

崇神天皇

伊勢神宮が誕生するきっかけとなったのは、実在した可能性がある最初の天皇である崇神天皇(すじんてんのう)の時代にまで遡ります。

崇神天皇5年(紀元前93年)、疫病が流行して人口の半分ほどが失われました。当時宮中では天照大御神と倭大国魂(やまとのおおくにたまのかみ)を祀っていたのですが、疫病がその二神の祟りだと考えた崇神天皇はそれぞれを宮の外へ出すことにします。

天照大御神は皇女である豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託され、現在の奈良県桜井市にあたる笠縫邑(かさぬいむら)に祀られることに。その後、疫病は無事鎮まります。

そして数十年が経ち、天皇は次の垂仁天皇(すいにんてんのう)に。その頃ずっと神事を担当してきた豊鍬入姫命の後を倭姫命(やまとひめのみこと)が引き継ぐことになります。

垂仁天皇(すいにんてんのう)

『日本書紀』によると垂仁天皇25年(紀元前5年)、倭姫命は永遠に天照大御神を祀るにふさわしい場所を求めて現在の東海地方各地を漫遊。最終的にたどり着いた場所こそが伊勢でした。海の幸・山の幸に恵まれたその地を天照大御神はたいそう気に入り、伊勢神宮の内宮となります。

そして外宮に豊受大御神が鎮座されたのはそれから約500年後の雄略天皇22年(478年)。理由は上記した通り、天照大御神の安らかな食事のためです。

伊勢神宮で行われる式年遷宮とは?

式年遷宮(しきねんせんぐう)

最近では2013年に行われた式年遷宮。こちらは原則20年に一度行われますが、内宮・外宮という二つの正宮(しょうぐう)、そして14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す行事のことです。

建築物の他に衣服や宝物も制作されるのですが、それにかかる費用は膨大な額。しかし実はそれが制定された時代には既に現在まで建物を保存できるほどの建築技術が確立されていました。

古くからの慣習となった式年遷宮

事実、現存する世界最古の木造建築物群である法隆寺が建築されたのはそれ以前なのですが、なぜそれにも関わらず式年遷宮を定期的に行う道が選ばれたのかは不明。推測されている理由は以下のものです。

  • 過去の建築様式を保存するため
  • 神道の精神として、常に新しく清潔な状態を維持するため
  • 毎年行われる新嘗祭に対して、20年に一度行われる大神嘗祭とするため
  • 恒久的な藤原京の建設にあたり、それ以前までの遷移の意義を託すために遷宮が開始されたため

ちなみに残っている記録によると、式年遷宮を開始したのは天武天皇。現代までの途中、南北朝時代に120年以上中断されていた時期がありますが、持統天皇4年(690年)の第1回以降、1300年以上続く伝統行事となっています。

伊勢神宮の正しい参拝方法は?

お伊勢参り

伊勢神宮の参拝、いわゆる「お伊勢参り」「お蔭参り」は最初に外宮、次に内宮を回るのが昔からの習わし。時間などの都合で内宮のみ参拝していく観光客も多いですが、外宮から内宮まではバスか車で15分ほどで移動できるので、可能であればぜひ外宮からお参りすることをおすすめします。

お参りに要するおおよその時間は外宮が30分前後、内宮が60分前後といったところです。もちろん歩くペースにもよりますが、じっくりとその場その場を堪能しながらお参りしていればそのくらいはかかります。

そして外宮には火除橋、内宮には宇治橋という橋がそれぞれの入り口にかかっているのですが、鳥居の前でまず一礼し、外宮は左側通行、内宮は右側通行で進みましょう。中央は神様が通る道とされているからです。

道中にある手水舎で手や口を清めるのですが、内宮の場合はご正宮の手前から五十鈴川に降りられる通路があります。眺めも良く、清らかな気分に浸れるので、ぜひそばまで寄ってみてください。

伊勢神宮ならではの決まりごとには注意

そしていよいよご正宮ですが、以下の三つの注意事項があります。

  • 個人的なお願い事をしてはいけない
  • お賽銭を投げてはいけない
  • 写真撮影をしてはいけない

なぜなのかというと、伊勢神宮は本来「私幣禁断」。つまり天皇以外の参拝は許されておらず、一般人が個人的なお願いをする場所ではないからです。

よく見るとお賽銭箱もないのですが、そうはいってもお賽銭を投げる人が後を絶たないため、ご正宮の敷地内には聖域を守るために白い布が敷かれています。

またご神前は「心静かにお参りをするためだけの場所」であり、あまり騒がずに参拝するのがマナー。写真撮影も禁止されているので、外宮では板垣の外、内宮では石段の下で撮影するようにしましょう。

伊勢神宮の神宮125社とは?

一般的に伊勢神宮というと正宮である内宮と外宮の二つを指しますが、広義では以下のものも含みます。

別宮 外宮 多賀宮
  • 別宮(べつぐう)…「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる神社
  • 摂社(せっしゃ)… 正宮・別宮を除いた、『延喜式神名帳』に記載されている神社
  • 末社(まっしゃ)… 正宮・別宮・摂社を除いた、『延暦儀式帳』に記載されている神社
  • 所管社(しょかんしゃ)…それ以外の神社

内訳は別宮14、摂社43、末社24、所管社42、それらに内宮・外宮の二つを加えて合計125社になりますが、それらを総じて「神宮125社」と呼び、伊勢市以外にも三重県内の4市2郡に分布しています。

そのため全てを回ろうとするときりがありませんが、時間に余裕があればいくつかの別宮くらいには足を伸ばしてみるのもおすすめです。例えば内宮の境内には荒祭宮(あらまつりのみや)、外宮の境内には多賀宮(たかのみや)という別宮がそれぞれあり、そこでなら個人的なお願いをしてもいいとされています。

伊勢神宮にはおみくじがない?

伊勢神宮にはおみくじがない

ちなみに伊勢神宮はおみくじがないことでも有名ですが、なぜ全国に数多くある神社の総本社である伊勢神宮におみくじがないのかというと、それは吉凶を占う場所ではないとされているからです。

十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』でも語られていますが、江戸時代にはお伊勢参りが全国的に大流行。しかし当時に車や電車などあるわけもなく、老若男女問わず、ほとんどの人は遠方からでも徒歩で伊勢神宮を目指しました。当然時間やお金も必要ですし、時には道中に命を落としてしまった人も決して少なくないはずです。

しかし総氏神の天照大御神が祀られている伊勢神宮とは、それほどまでの苦労をしてでも人生に一度は訪れてみたい夢のような場所。その地に足を踏み入れることができただけでも非常に喜ばしいことであり、参拝すればそれが“大吉”ということですね。

また参拝の後はおかげ横丁で赤福・伊勢うどん・海産物などを楽しむこともお伊勢参りの醍醐味なので、歩き疲れた足を休めながらご当地グルメも楽しみましょう。

伊勢神宮の年表を簡単にまとめると?

BC93年
日本各地で疫病が蔓延
西暦では紀元前93年にあたる崇神天皇5年、日本各地で疫病が蔓延します。人口の約半数が亡くなったとされていますが、崇神天皇はこれを皇居に祀っていた天照大御神と倭大国魂神の祟りだと考えました。

BC92年
天照大御神と倭大国魂神を宮中の外に出す
疫病を鎮めるために崇神天皇は天照大御神と倭大国魂神を皇居の外に出すことに。豊鍬入姫命に天照大御神を授けると疫病は無事なくなり、世に平和が訪れます。

BC5年
伊勢神宮の内宮に鎮座
天皇が次の垂仁天皇に移った時、豊鍬入姫命も自分の任を倭姫命に引き継ぎます。そして倭姫命は天照大御神を祀るための地を探し求めて伊勢に到着。天照大御神が伊勢神宮の内宮に鎮座するのでした。

478年
伊勢神宮の外宮に鎮座
内宮の鎮座から約500年後、雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れます。天照大御神は自分一人では安らかに食事が取れないと告げると、衣食住を司る神である豊受大御神を丹波国から呼び寄せるように命じました。

これがきっかけで、豊受大御神が伊勢神宮の外宮に鎮座することになります。


690年
初めて式年遷宮が行われる
外宮が誕生してから200年と少し経った頃、持統天皇の時代には初めて式年遷宮が行われました。690年には内宮、692年には外宮でそれぞれ第1回式年遷宮が行われ、各建築物などが造り替えられたとされています

1467年
応仁の乱が勃発
しばらく経って1463年には第40回式年遷宮が行われるのですが、その後世は戦国時代に突入。応仁の乱により朝廷は窮乏の淵に追いやられ、123年もの間式年遷宮を行うことができませんでした。

1650年
江戸時代にお蔭参りが大流行
江戸時代には伊勢神宮への参拝、つまりお蔭参り・お伊勢参りが全国的に大流行します。中世で荒廃した伊勢神宮を立て直すため、衣食住の神である豊受大御神を農民に布教し、参拝を促したためです。

それにより江戸や大阪からはもちろん、東北や九州からも大勢の人が徒歩で伊勢を目指しました。


1959年
伊勢湾台風により甚大な被害を受ける
1959年には昭和の三大台風の一つに数えられ、その中でも最大の被害を出した伊勢湾台風が発生。3,000人以上の犠牲者が出ましたが特に三重県と愛知県への被害が甚大で、伊勢神宮では敷地内での倒木などの被害が発生しました。

2013年
第62回式年遷宮が行われる
2013年には第62回式年遷宮が行われました。現在における最新の式年遷宮で、かかった費用の総額は550億円にまで登ったと発表されています。

ちなみに2005年には既に各行事が進行され出していました。


2016年
伊勢志摩サミットが開催される
2016年には第42回先進国首脳会議が伊勢市の隣にある志摩市で開催。通称伊勢志摩サミットと称されましたが、その際G7首脳陣が伊勢神宮内宮に参拝されました。
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