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天草四郎は本当にイケメンだった?様々な説から結論を考察

天草四郎ってイケメンだったの?」
「色々な説があるけど何が本当なの?」

日本史上でも有名な大事件「島原の乱」におけるカリスマ的な総大将であり、その乱の中で短い生涯を終えた悲劇の少年としても知られる天草四郎

その有名さの割に、史実における記録が非常に少ない人物ですが、彼の強いカリスマ性を示すエピソードは、真偽定かならざる部分も含めれば数多く残されており、日本史上に確実に彼の名前を残す一因ともなっています。

そして、そんな天草四郎のカリスマエピソードと共に現在でも語り継がれるのは「天草四郎イケメン説」。日本史上でも類を見ない大反乱を指揮した彼は、少年らしからぬカリスマ性を持ち合わせたうえに、多くの人を魅了する絶世の美男子だったとも囁かれているのです。

ということでこの記事では、そんな実像の掴みがたい天草四郎の「イケメン説」の真偽について深掘りして考察していきたいと思います。

天草四郎はイケメンだったのか!?

宝塚歌劇団のミュージカルにおける天草四郎

日本の歴史における一大事件「島原の乱」の一角を担った人物である天草四郎は、非常に多くの創作の題材として、現在に至るまで多くの作家によって描かれ、多くの人々をとりこにしています。

『魔界転生』においては悪役として登場する
天草四郎だが、その顔はやはりイケメン

最初の写真における宝塚歌劇団のミュージカルなんかもそうですし、山田風太郎氏の同名小説を題材にした映画『魔界転生』では、沢田研二さんの艶やかながら非常に不気味な名演と、その美貌によってより不気味さを増す、インパクト抜群の”あるシーン”が話題となりました。

『Fate』シリーズ的な新解釈の加わった天草四郎は、若い世代を中心に人気

他にも最近では、大人気作品群である『Fate』シリーズにおけるキャラクター化も行われ、若い世代を中心に、より一層「天草四郎」という人物についての関心が高まっている状況です。

そして、それらの作品の全てに共通するのは「天草四郎=かなりのイケメン」として描かれていること。創作における「見栄え」の観点もあるとは思いますが、ここまで「どんな作品でも、善悪問わずどんな立ち位置でもイケメン」として描かれるには、それ相応の理由があってしかるべきだと思えます。

ということで、まずは「天草四郎イケメン説」を補強する様々な理由を、ザっと見ていきましょう。

日本人離れしたハーフっぽい外見

いわゆる「ハーフ」俳優の方々は、「正当派イケメン」として、多くの女性ファンを獲得しています。「ハーフだからって全員がイケメンじゃない!」というのはもちろんですが、おそらくハーフ俳優の顔は、「日本人好みの顔」として受け入れられやすいのでしょう。

そして天草四郎についても、そんな「ハーフっぽい」顔立ちの特徴を備えた少年だったという説が存在しています。

その説によると、「天草四郎の髪は黒ではなく茶色がかっていて、瞳の色は青色だった」「日本人の少年にしては背が高く、肌の色も白かった」というもの。それらの条件を想像するに、確かにハーフっぽいというか、江戸初期の日本においてかなり目立つ外見だったことは読み取れます。

とはいえ、これらの四郎の外見に関する記述は、信頼できる歴史資料に基づくものではないことに注意が必要。あくまでも江戸時代後に囁かれた風説や、島原の一揆の噂を聞いた江戸の民衆による俗説であるという考えが根強い部分ですので、あくまでも「トンデモ説」の一つとして考えておいた方が無難です。

知性と教養に満ちた穏やかな青年

知的で教養のある少年だった

「知性的で落ち着いた印象」というのも、人をカッコよく見せるのに大事な要素。史実における天草四郎も、この要素を持った少年だったことが記録されています。

四郎の家は浪人百姓の家系でしたが、経済的にはかなり裕福な部類だったようで、四郎は度々長崎に遊学に赴いて、当時の教育水準においては非常に広範囲に学問を修めたということが記録されています。つまり天草四郎は、当時の水準におけるかなりのインテリ系少年だったと言えるでしょう。

また、一応は武士の身分でありながら農作業にも普通に携わっていたと記録されており、幼い四郎が関わる人のほとんどが、実は百姓に近い身分だったことも記録されています。当時の百姓は、あまり高水準な教育を受けられていなかったため、そうした周囲との知識レベルの差も、四郎の知性や落ち着きを相対的に高く見せている部分なのではないでしょうか?

更に性格的な部分においても、身分によって人を見下すことのない穏やかな少年だったようで、こういった性格的なイメージからも、天草四郎の「知的イケメン」の印象が補強されているようです。

人を助ける”奇跡”の少年

盲目の少女を手をかざしただけで治療

天草四郎と言えば、「島原の乱の総大将」という部分の他に、彼が起こしたとされる”奇跡”の存在も有名です。「海面を歩いた」「近寄った雀が全く逃げなかった」などのエピソードは、四郎の異質なカリスマ性を補強しているエピソードだと言えます。

中でもとりわけ有名なのは、「先天的な盲目の少女の目を、手をかざすだけで治療した」というエピソード。現在では「『新約聖書』になぞらえた、四郎のカリスマ性を補強するためのエピソード」という見方が一般的な話ですが、もしこれが本当に起こった事実なのだとすれば、その少女にとって天草四郎は、まさに救い主として見えたことでしょう。

しかも記録によれば、四郎はこの奇跡の力の存在を誇っていたわけではなく、ただ当たり前の、自分に宿った能力の一部と考えていたようです。「手をかざすだけで先天的な盲目を治療する」なんて、金儲けや人を支配するために使おうと思えばいくらでも使えますが、それをしなかった辺りに、四郎の人格の特異な部分と、彼がカリスマとして慕われた理由の一端が見えてくるような気がします。

天草四郎『フツメン説』

当時の肖像画などは遺されておらず、
そこからイケメンだったかどうかは読み取れない

イケメン説の根拠は大別して上記の3つに集約されますが、「イケメン説」がある以上、やはり「イケメンではなかった説」も存在しています。

それでは次に、「イケメンではなかった説」の根拠となる部分を見ていきましょう。

実像についての資料が少ない

マントなどを羽織った和洋折衷の服装のイメージが強い
天草四郎だが、実はこのイメージも…

「イケメンではなかった説」を補強するのは、まず真っ先に「実像についての資料が少ない」ことでしょう。日本の歴史上でも有数の大規模反乱を指揮した人物でありながら、天草四郎という人物の記録は非常に少なく、とりわけその”外見”に関する記述は、遺された数少ない資料の中にはほとんど見受けられません。

例えば「天草四郎」としておそらく大多数の方がイメージする「マントを羽織った和洋折衷のキリシタン系若武者」というイメージも、実は戦国時代の天正遣欧少年使節や、伊達政宗の家臣であり、ヨーロッパとの外交を行った支倉常長(はせくら つねなが)のイメージを踏襲した、昭和初期に確立されたイメージ像という見方が実は一般的です。

もしも天草四郎が、本当に「絶世の美男子」だったなら、記録にほとんど外見的特徴の記述がないなどあり得るでしょうか?そう言った疑念がある以上、「天草四郎イケメンではなかった説」は、かなり信ぴょう性の高いものであるようにも思えます。

”あばた面”だったという資料が残る

”あばた”が目立つ顔をしていたという記録が残っている

天草四郎がイケメンではなかったという説には、残念ながら資料的な裏付けも残されてもいます。

その裏付けとなるのは、天草四郎が討ちとられた後の首実検の記録。当時の幕府軍には、天草四郎の外見的特徴の記録が存在しておらず、彼らは四郎を討ち取ったことを確認するために、原城で戦死した一揆衆の少年の首実検に、四郎の母を立ち会わせました。

首実検に際して多くの少年の首を見ても、顔色一つ変えなかった四郎の母ですが、ある一人の少年の首を見た時、彼女は泣き崩れました。その首と言うのが、「あばたの目立つ、十代半ばほどの少年の首」。四郎の母のこの反応を得て、幕府軍はその首を天草四郎の首だと断定したということです。

もちろん、あくまでも”幕府側”の記録である以上、それが本当に真実であるかどうかは定かではありません。しかし幕府がわざわざ、討ち取った天草四郎の外見を悪く書く必要もさほどないため、この記録は真実であると考えるのが無難だと言えるでしょう。

結論:天草四郎はイケメンではない説が濃厚

以上の「イケメン説」の根拠と「イケメンではない説」の根拠を照らし合わせると、筆者としては「イケメンではない説」の方が真実に近いような印象を受けました。

記録の捏造などが普通に行われた時代のため、「この説が正しい!」と一概に言える問題ではありませんが、やはり客観的な記録による記述が残っているのは非常に大きく、翻ってイケメン説は、どうにも「創作」という感じが拭えない印象を受けたためです。

とはいえ、やはり「天草四郎=絶世の美男子」と言う方が夢があるのも事実。ということで続いては、『何故「天草四郎=イケメン」というイメージがついたのか』を考えていきたいと思います。

何故『天草四郎=イケメン』のイメージがついたのか

善人であれ悪人であれ、「綺麗な顔立ちの美男子」という部分は
大抵共通して描かれる天草四郎

史実の資料からすると「イケメンではなかった説」が濃厚に見える天草四郎ですが、実際の所多くの創作を見るに「美男子」として描かれがちというのは事実です。

pixivなどのイラスト投稿サイトで「天草四郎」の名前を検索するだけでも、その事は一目瞭然にお分かりいただけると思います。

ということで以降のこの記事では、「何故、天草四郎は『イケメン』として描かれがちなのか」を深掘りして幾つか考察していきたいと思います。

カリスマ性を増すための情報操作?

戦国の大英雄・上杉謙信も、自らのカリスマ性を高めるために
「毘沙門天の化身」を名乗ったとか

「集団を動かす」には、得てして実務以外の能力が求められることが多々あります。極端なことを言えば、「人望のない実務者」よりも「人望のある無能」の方が、効率的に集団を動かしているという事実だって、歴史からは多々読み取ることができるのです。

そういう観点から考えると、「天草四郎イケメン説」は、総大将である四郎に対する権威付けや、カリスマ性を増すための情報操作だと考えることも出来そうです。

四郎が起こしたとされる”奇跡”のエピソードなど、彼のカリスマ性を物語るエピソードのほとんどが、一揆衆側の遺した書物の記述によるものであることや、幕府軍が四郎の外見的な特徴を全く知らなかった(つまり、四郎の外見は報告書などに特筆されなかった=目立ったものではなかった?)事を考えると、「天草四郎イケメン説」は、そうした情報操作の一環だったと考えるのが妥当なように思えます。

「豊臣秀頼の子=天草四郎」説の影響?

「天草四郎の実父」という説も囁かれる豊臣秀頼は、長身色白の美男子だったとも言われている

「豊臣秀頼=天草四郎の実父」という風説は、現在ではトンデモ説の一つとなっていますが、非常に長く語り継がれた都市伝説です。そしてこの「秀頼=四郎の実父説」も、「天草四郎イケメン説」の引き金となっている可能性があります。

実は秀頼は、外見的特徴として「色白かつ長身の美男子」と記録されるほどの人物。更に「若くして周囲を従えるだけのカリスマ性を持っていた」という部分など、四郎との共通点の多い人物でもあります。

そして、そういった秀頼の特徴と、「イケメン説」における四郎の特徴が一致しているところから見るに、「天草四郎イケメン説」は「豊臣秀頼=天草四郎の実父説」から生まれた、言わば派生的な風説だった可能性も十分に考えられるでしょう。

後世の創作物の影響?

むしろ、現代に近い創作から「イケメン説」が広がった可能性も…?

「島原の乱」という悲劇の舞台は、非常に創作の題材にされやすく、その戦いの中心人物であった天草四郎も、当然ながら物語のキーファクターの一つとして描かれることがほとんどです。

そして、とりわけ漫画やアニメ、ドラマなどでは、絵的な見栄えや人気を考慮して登場人物を「イケメン」に描くもの。つまり、「天草四郎イケメン説」は歴史に根差したものではなく、むしろそれらを題材にした創作物から派生した説であると考えても、多少の筋は通るのではないでしょうか?

天草四郎イケメン説に関するまとめ

以上「天草四郎イケメン説」について、考察をさせていただきました。

沖田総司や伊達政宗など、イケメンのイメージが根強い歴史上の人物の「本当の所」同様に、天草四郎のイケメン説もまた、割と生臭い情報戦や、いつのまにか付加された尾ひれの部分が大きかったようです。夢を壊された方がいらっしゃったら、申し訳ございません。

とはいえ、現実問題として記録が残っていない以上、「イケメン説」も「そうでない説」も、シュレディンガーの猫のように混在しているとも考えられます。

「○○説が絶対に正しい!」と言い張るのは間違いですが、それぞれの思い描く天草四郎像を抱き続けていれば、もしかすると遠くない未来に、それを証明する証拠が発見されたりするかもしれません。

それでは、この記事におつきあいくださいまして誠にありがとうございました。

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