天草四郎は本当にイケメンだった?様々な説から結論を考察

「天草四郎ってイケメンだったの?」
「色々な説があるけど何が本当なの?」

日本史上でも有名な大事件「島原の乱」におけるカリスマ的な総大将であり、その乱の中で短い生涯を終えた悲劇の少年としても知られる天草四郎

その有名さの割に、史実における記録が非常に少ない人物ですが、彼の強いカリスマ性を示すエピソードは、真偽定かならざる部分も含めれば数多く残されており、日本史上に確実に彼の名前を残す一因ともなっています。

そして、そんな天草四郎のカリスマエピソードと共に現在でも語り継がれるのは「天草四郎イケメン説」。日本史上でも類を見ない大反乱を指揮した彼は、少年らしからぬカリスマ性を持ち合わせたうえに、多くの人を魅了する絶世の美男子だったとも囁かれているのです。

ということでこの記事では、そんな実像の掴みがたい天草四郎の「イケメン説」の真偽について深掘りして考察していきたいと思います。

この記事を書いた人

Webライター

ミズウミ

フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。

天草四郎はイケメンだったのか!?

宝塚歌劇団のミュージカルにおける天草四郎
出典:宝塚歌劇公式ホームページ

日本の歴史における一大事件「島原の乱」の一角を担った人物である天草四郎は、非常に多くの創作の題材として、現在に至るまで多くの作家によって描かれ、多くの人々をとりこにしています。

『魔界転生』においては悪役として登場する
天草四郎だが、その顔はやはりイケメン

最初の写真における宝塚歌劇団のミュージカルなんかもそうですし、山田風太郎氏の同名小説を題材にした映画『魔界転生』では、沢田研二さんの艶やかながら非常に不気味な名演と、その美貌によってより不気味さを増す、インパクト抜群の”あるシーン”が話題となりました。

『Fate』シリーズ的な新解釈の加わった天草四郎は、若い世代を中心に人気

他にも最近では、大人気作品群である『Fate』シリーズにおけるキャラクター化も行われ、若い世代を中心に、より一層「天草四郎」という人物についての関心が高まっている状況です。

そして、それらの作品の全てに共通するのは「天草四郎=かなりのイケメン」として描かれていること。創作における「見栄え」の観点もあるとは思いますが、ここまで「どんな作品でも、善悪問わずどんな立ち位置でもイケメン」として描かれるには、それ相応の理由があってしかるべきだと思えます。

ということで、まずは「天草四郎イケメン説」を補強する様々な理由を、ザっと見ていきましょう。

日本人離れしたハーフっぽい外見

いわゆる「ハーフ」俳優の方々は、「正当派イケメン」として、多くの女性ファンを獲得しています。「ハーフだからって全員がイケメンじゃない!」というのはもちろんですが、おそらくハーフ俳優の顔は、「日本人好みの顔」として受け入れられやすいのでしょう。

そして天草四郎についても、そんな「ハーフっぽい」顔立ちの特徴を備えた少年だったという説が存在しています。

その説によると、「天草四郎の髪は黒ではなく茶色がかっていて、瞳の色は青色だった」「日本人の少年にしては背が高く、肌の色も白かった」というもの。それらの条件を想像するに、確かにハーフっぽいというか、江戸初期の日本においてかなり目立つ外見だったことは読み取れます。

とはいえ、これらの四郎の外見に関する記述は、信頼できる歴史資料に基づくものではないことに注意が必要。あくまでも江戸時代後に囁かれた風説や、島原の一揆の噂を聞いた江戸の民衆による俗説であるという考えが根強い部分ですので、あくまでも「トンデモ説」の一つとして考えておいた方が無難です。

知性と教養に満ちた穏やかな青年

知的で教養のある少年だった

「知性的で落ち着いた印象」というのも、人をカッコよく見せるのに大事な要素。史実における天草四郎も、この要素を持った少年だったことが記録されています。

四郎の家は浪人百姓の家系でしたが、経済的にはかなり裕福な部類だったようで、四郎は度々長崎に遊学に赴いて、当時の教育水準においては非常に広範囲に学問を修めたということが記録されています。つまり天草四郎は、当時の水準におけるかなりのインテリ系少年だったと言えるでしょう。

また、一応は武士の身分でありながら農作業にも普通に携わっていたと記録されており、幼い四郎が関わる人のほとんどが、実は百姓に近い身分だったことも記録されています。当時の百姓は、あまり高水準な教育を受けられていなかったため、そうした周囲との知識レベルの差も、四郎の知性や落ち着きを相対的に高く見せている部分なのではないでしょうか?

更に性格的な部分においても、身分によって人を見下すことのない穏やかな少年だったようで、こういった性格的なイメージからも、天草四郎の「知的イケメン」の印象が補強されているようです。

人を助ける”奇跡”の少年

盲目の少女を手をかざしただけで治療

天草四郎と言えば、「島原の乱の総大将」という部分の他に、彼が起こしたとされる”奇跡”の存在も有名です。「海面を歩いた」「近寄った雀が全く逃げなかった」などのエピソードは、四郎の異質なカリスマ性を補強しているエピソードだと言えます。

中でもとりわけ有名なのは、「先天的な盲目の少女の目を、手をかざすだけで治療した」というエピソード。現在では「『新約聖書』になぞらえた、四郎のカリスマ性を補強するためのエピソード」という見方が一般的な話ですが、もしこれが本当に起こった事実なのだとすれば、その少女にとって天草四郎は、まさに救い主として見えたことでしょう。

しかも記録によれば、四郎はこの奇跡の力の存在を誇っていたわけではなく、ただ当たり前の、自分に宿った能力の一部と考えていたようです。「手をかざすだけで先天的な盲目を治療する」なんて、金儲けや人を支配するために使おうと思えばいくらでも使えますが、それをしなかった辺りに、四郎の人格の特異な部分と、彼がカリスマとして慕われた理由の一端が見えてくるような気がします。

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