「ツタンカーメンの死因って何?」
「ツタンカーメンが亡くなった後エジプトはどうなった?」
皆さんもツタンカーメンの名はご存知だと思います。ツタンカーメンの王墓が見つかり、それが世界中で報道されたことで、古代エジプト歴代のファラオの中でも最も有名な王となりました。
ツタンカーメンはわずか9歳で即位し、19歳という若さでこの世を去りました。ではツタンカーメンの死因とはなんだったのでしょうか。
この記事ではツタンカーメンの死因について解説し、ツタンカーメンの死後、古代エジプトがどうなっていったのか、合わせてご紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ツタンカーメンの死因とは
ツタンカーメンの死因については多くの説が提唱され、そのどれもが確証もなく曖昧なままでした。しかし近年の科学技術が発展し、ツタンカーメンのミイラをDNA鑑定したり、X線撮影やCTスキャンを行ったりしたことで、現在ではツタンカーメンの死因はほぼ断定されています。
ツタンカーメンの死因は「骨折による敗血症」と同時期に罹った「マラリア感染」が原因だったと考えられています。それぞれ項にわけて解説していきます。
骨折による敗血症
ツタンカーメンは左大腿骨(左足の太ももにある骨)に縦状に骨折した跡が見つかっています。かなり大きい怪我であり、当時の医療技術では適切な処置はできませんでした。
この骨折部分から何らかの細菌が侵入し、敗血症になったと考えられています。敗血症とはからだの中で細菌が増殖し、炎症が全身に広がることで重篤な臓器障害を引き起こす病気です。
この病気は早い段階で治療しないと命を落とす危険性が高く、ツタンカーメンも敗血症になったことで、骨折からたった数日の間に命を亡くなりました。
マラリア感染症
前述したように敗血症になってしまったツタンカーメンですが、実はマラリア感染症にも同時期にかかったことが判明しています。近年のDNA検査でわかったのですが、マラリア感染症の中でも特に重篤な症状を引き起こす熱帯熱マラリア原虫(plasmodium falciparum)に感染していたそうです。
マラリア感染症とはマラリア原虫を体内に有している蚊に刺されることで、人間に感染する病気です。特に熱帯や亜熱帯地域に流行している感染症で、現在においても年間数億人の方がかかっている病気です。医学の発展により、死亡率は大きく下がったものの、今でも40万人近くの方が亡くなっています。
ツタンカーメンは生まれつきからだが弱く、感染症にかかりやすい体質であったと言われています。骨折により敗血症になった身では感染症に対抗するほどの免疫力はなかったのでしょう。結果的に、敗血症とマラリア感染による2つの病気によって、ツタンカーメンは急逝しました。
死因として挙げられているその他の説
頭部打撃説
この頭部打撃説は今では完全に否定されている説になっています。この説が提唱された理由として、ツタンカーメンのミイラを調査したところ、頭蓋骨の破片が頭の内部にあったためです。頭部を強く打たれたまたは殴られたことで、頭蓋骨が割れ体内に入ってしまったのではないか、という考えのもと、死因の一つとして長らく支持されていました。
しかし2005年にCTスキャンによって詳細に解析したところ、死ぬ前に破片が脳内部に移動していたら、ミイラ作りの時点で脳とともに処理されているはずであることや骨片は樹脂とともに固まっていたことからも、ミイラを作る際に頭部に開けられた穴から骨片が体内に入ってしまったものと結論付けられました。