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ツタンカーメンの死因とは?最新の科学が解き明かした真の理由

「ツタンカーメンの死因って何?」
「ツタンカーメンが亡くなった後エジプトはどうなった?」

皆さんもツタンカーメンの名はご存知だと思います。ツタンカーメンの王墓が見つかり、それが世界中で報道されたことで、古代エジプト歴代のファラオの中でも最も有名な王となりました。

ツタンカーメンの黄金のマスク

ツタンカーメンはわずか9歳で即位し、19歳という若さでこの世を去りました。ではツタンカーメンの死因とはなんだったのでしょうか。

この記事ではツタンカーメンの死因について解説し、ツタンカーメンの死後、古代エジプトがどうなっていったのか、合わせてご紹介していきます。

ツタンカーメンの死因とは

ツタンカーメンのミイラ

ツタンカーメンの死因については多くの説が提唱され、そのどれもが確証もなく曖昧なままでした。しかし近年の科学技術が発展し、ツタンカーメンのミイラをDNA鑑定したり、X線撮影やCTスキャンを行ったりしたことで、現在ではツタンカーメンの死因はほぼ断定されています。

ツタンカーメンの死因は「骨折による敗血症」と同時期に罹った「マラリア感染」が原因だったと考えられています。それぞれ項にわけて解説していきます。

骨折による敗血症

敗血症の仕組み

ツタンカーメンは左大腿骨(左足の太ももにある骨)に縦状に骨折した跡が見つかっています。かなり大きい怪我であり、当時の医療技術では適切な処置はできませんでした。

この骨折部分から何らかの細菌が侵入し、敗血症になったと考えられています。敗血症とはからだの中で細菌が増殖し、炎症が全身に広がることで重篤な臓器障害を引き起こす病気です。

この病気は早い段階で治療しないと命を落とす危険性が高く、ツタンカーメンも敗血症になったことで、骨折からたった数日の間に命を亡くなりました。

マラリア感染症

マラリア感染症のリスクのある国

前述したように敗血症になってしまったツタンカーメンですが、実はマラリア感染症にも同時期にかかったことが判明しています。近年のDNA検査でわかったのですが、マラリア感染症の中でも特に重篤な症状を引き起こす熱帯熱マラリア原虫(plasmodium falciparum)に感染していたそうです。

マラリア感染症とはマラリア原虫を体内に有している蚊に刺されることで、人間に感染する病気です。特に熱帯や亜熱帯地域に流行している感染症で、現在においても年間数億人の方がかかっている病気です。医学の発展により、死亡率は大きく下がったものの、今でも40万人近くの方が亡くなっています。

ツタンカーメンは生まれつきからだが弱く、感染症にかかりやすい体質であったと言われています。骨折により敗血症になった身では感染症に対抗するほどの免疫力はなかったのでしょう。結果的に、敗血症とマラリア感染による2つの病気によって、ツタンカーメンは急逝しました。

死因として挙げられているその他の説

ミイラの検査

頭部打撃説

ツタンカーメンの頭部

この頭部打撃説は今では完全に否定されている説になっています。この説が提唱された理由として、ツタンカーメンのミイラを調査したところ、頭蓋骨の破片が頭の内部にあったためです。頭部を強く打たれたまたは殴られたことで、頭蓋骨が割れ体内に入ってしまったのではないか、という考えのもと、死因の一つとして長らく支持されていました。

しかし2005年にCTスキャンによって詳細に解析したところ、死ぬ前に破片が脳内部に移動していたら、ミイラ作りの時点で脳とともに処理されているはずであることや骨片は樹脂とともに固まっていたことからも、ミイラを作る際に頭部に開けられた穴から骨片が体内に入ってしまったものと結論付けられました。

毒殺説

毒殺のイメージ

古代エジプトではワインに毒を混ぜ、暗殺されるケースが多々ありました。しかも当時、ワインは非常に高価なものであるとされ、王や貴族といった一部の権力者だけが味わうことができました。

実際にツタンカーメンの墓陵内部にもワイン壺が収められています。しかし前述した頭部打撃説と比較すると、この毒殺説の根拠は乏しく不確かなものでした。

遺伝疾患説

ファラオが使っていたとされる杖

ツタンカーメンは生まれつき多くの障害を抱えていたことがわかっています。過蓋咬合(簡単にいうと重度の出っ歯)で、足の指が一部なく、ひどい内反足で杖がないと歩くこともできませんでした。さらに低フォスファターゼ症候群という稀な遺伝疾患だったとも言われています。

これらによりツタンカーメンは常に杖を使用しており、歩行障害による転倒なども多々あったそうです。また低フォスファターゼ症候群は全体的に骨が脆く、慢性的な炎症を引き起こす病気です。

骨折するほどの衝撃でなくとも、骨が折れてしまったり、免疫力が弱くなっていたようです。ツタンカーメンに何の遺伝疾患もなく、健常な肉体を持っていたならば、敗血症やマラリア感染症にはならなかったかもしれませんね。

それでは、なぜツタンカーメンにはこれほどの遺伝疾患があったのでしょうか。これはエジプト王家の近親婚による影響とされています。

第18王朝の家系図

古代エジプト王家では父と娘や兄妹同士の結婚が一般的でした。というのもエジプトではファラオは神として扱われており、神話の神は近親同士で婚姻関係にあるため自分たちもそうするべきだと考えていたのです。さらにエジプト王家は血筋というものを非常に大切にしていたため、親族の中でもより近い間柄同士での婚姻が行われていました。

血筋が近いもの同士で婚姻し、生まれた子どもは似た遺伝子や同じ遺伝子を受け継ぎやすいため遺伝子が重複しやすくなります。これにより障害や病気の原因となる遺伝子も重複しやすいため、遺伝子疾患を持った子どもが生まれやすくなるというわけです。

ツタンカーメンの死後

ホルエムヘブ

次王はホルエムヘブ

ツタンカーメンの死後、ツタンカーメンには子どもがいなかったため、王家の血筋が途絶えました。そのためツタンカーメンの側近であったアイとホルエムヘブに次王の打診が来ます。

アイが次のファラオとして即位しますが、アイは高齢であったため、すぐに亡くなってしまいます。その後はホルエムヘブが跡を継ぎ、ファラオとしてエジプト王朝を存続させました。

ホルエムヘブはアメンホテプ4世やツタンカーメンの名を王名表から削除したり、建造物を破壊するなど王の存在を末梢しようとしました。しかしアメンホテプ4世が実施した宗教改革の問題点も分かっていたため、神官に権力が集中するような社会システムを変革し、第19王朝に繋げていきました。

ツタンカーメンはミイラとなり王家の谷に埋葬

王家の墓

古代エジプトのファラオはミイラとなり、多くの埋葬品とともに埋葬されます。ツタンカーメンも例外なくミイラとなり、王家の谷に埋葬されました。

ただしツタンカーメンのミイラは他のミイラと違い、不思議な点がいくつも見つかっています。まず胸骨や肋骨が一部失われていたり、心臓の代わりとなるスカラベも納められていませんでした。

またツタンカーメンの臀部から腹部にかけて大きな傷があります。これらが意味している理由はまだ判明していません。学者たちは今も検証を続けています。

ツタンカーメン死因に関するまとめ

ツタンカーメンの死因について解説してきました。いかがでしたでしょうか。

ツタンカーメンの死因は多くの学者たちを悩ませてきた問題の一つでしたが、最新の研究によってようやく解明されました。しかし研究はこれで終わりません。ツタンカーメンにはまだまだ謎の多いところがあるのです。

今でもツタンカーメンのミイラは最新の科学技術で検証が行われています。ツタンカーメンのミイラから古代エジプト王朝の新しい発見が見つかるかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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