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飯田蛇笏とはどんな人?生涯・年表まとめ【代表的な俳句、作品も紹介】

飯田蛇笏(いいだ・だこつ)は、日本を代表する俳人の一人で、1885年に山梨県東八代郡五成村(現在の笛吹市境川村小黒坂)で生まれました。蛇笏は俳号で、本名は武治(たけはる)といいます。

彼の最大の功績は、高浜虚子に師事して日本の俳句文化の発展に寄与したことにあります。格調高い俳句は、いまでも飯田蛇笏の傑作俳句として語り継がれています。

格調高い俳句で知られる飯田蛇笏

幼いころから俳句に親しんだ蛇笏。早稲田大学時代は、俳人の高田蝶衣や歌人の若山牧水と親交をもちますが、家から家業を継ぐよう命じられ退学、帰郷します。帰郷後は、俳誌「雲母」を主宰しつつ、自然風土に根ざした俳句を詠みつづけました。

この記事では、そんな飯田蛇笏の魅力的な俳句を紹介しつつ、彼の生涯や遺したエピソードについて焦点をあててみたいと思います。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

飯田蛇笏とはどんな人物か

名前飯田武治
俳号飯田蛇笏
誕生日1885(明治18)年4月26日
没日1962(昭和37)年10月3日
生地山梨県東八代郡五成村
没地山梨県東八代郡境川村
配偶者矢澤菊乃
埋葬場所智光寺
(山梨県笛吹市境川町藤垈)

飯田蛇笏の生涯をハイライト

東行庵(下関市)にある蛇笏の句碑「松風にきき耳たつる火桶かな」

飯田蛇笏は、山梨県で生まれました。地元の境川で学んだ後、中学時代に東京・小石川の中学に転入しています。早稲田大学に進学すると、俳人・高田蝶衣や歌人・若山牧水と出会い、「ホトトギス」にも俳句を投稿するようになりました。

しかし家業である農業・養蚕業を継ぐため、学業を断念し山梨県に戻ります。帰郷後も俳句への情熱が冷めることはありませんでした。結婚し、五男をもうけた蛇笏は、高浜虚子が俳壇に復帰すると、ふたたび「ホトトギス」への投句を再開します。

その後は俳誌「雲母」の主宰となり、芥川龍之介とも親交を深めています。1962(昭和37)年、脳軟化症のため死去しました。蛇笏の五人の息子のうち、戦争・病死で3人が亡くなっており、のこされた4男・隆太が蛇笏のあとを継ぎ俳人となっています。

飯田蛇笏の生まれ

笛吹市境川の藤垈の滝

飯田蛇笏は、山梨県東八代郡五成村(現在の笛吹市境川村小黒坂)で生まれました。父・飯田宇作、母・まきじの夫婦には、蛇笏を含めて8人(男児4人、女児4人)の子どもがあり、蛇笏はその長男です。

飯田家は江戸時代からつづく旧家(地主)でした。蛇笏は幼少期から俳句にふれていますが、それはこのような比較的めぐまれた過程県境があったからだと考えられます。

飯田蛇笏の性格

東京専門学校、早稲田学校と名を変え、1902年から「早稲田大学」と改称

飯田蛇笏の性格をひとことで言うと、情に厚く義理堅い人だと言えます。早稲田大学英文学科に入学した蛇笏は、青春を謳歌するように早稲田吟社の句会に参加したほか、短歌・新体詩といった文学に傾倒してゆきます。

ところが、蛇笏はそうした生活を投げうって、故郷の山梨に舞い戻りました。理由は実家からの「帰郷命令」。当時は、現代と比べて家という存在が大きかったせいもありますが、骨肉の情という言葉を思わずにはいられません。

飯田蛇笏の死因

脳にダメージを受けてしまった飯田蛇笏

飯田蛇笏の死因は「脳軟化症」といわれています。脳軟化症とは、脳梗塞ともよばれ、脳の動脈に閉塞や狭窄が生じて酸欠となり、その結果脳の機能を損なう状態をさしています。

蛇笏辞世の句としては、晩年に詠まれた次の俳句が考えられます。

誰彼もあらず一天自尊の秋

秋の俳句に秀句が多い蛇笏は、まるで秋に溶けこむかのように旅立ってゆきました。

飯田蛇笏の代表的な句集

  • 『山廬集』-(雲母社、1932年)
  • 『霊芝』-(改造社、1937年)
  • 『山響(こだま)集』-(河出書房、1940年)
  • 『白嶽』-(起山書房、1943年)
  • 『心像』-(靖文社、1947年)
  • 『春蘭』-(改造社、1947年)
  • 『雪峡』-(創元社、1951年)
  • 『家郷の霧』-(角川書店、1956年)
  • 『椿花集』-(角川書店、1966年)

飯田蛇笏の代表的な俳句

飯田蛇笏×春の俳句

柔らかな雰囲気をまとう春の句

谷梅にまとふ月光うすみどり

季語は梅です。「谷梅」つまり谷に咲く梅なのですが、詠み手の位置は判然としません。「まとふ月光」からすると、谷梅を目上げているようにも感じられます。が、肝心なのは月を「うすみどり」と言い切ったところです。鋭敏な色彩感覚を感じさせます。

春めきてものの果てなる空の色

季語「春めく」は、春らしくなったの意。空の色はあわい水色をたたえ、これからやってくる春本番そして夏の空の色まで、連想させてくれます。「ものの果てなる」という一見冗長な言葉も、この季節の独特な風情をうまく表しています。

風冴えて高嶺紺青雪のこる

季語は「雪のこる」。暦は春に入ったものの、まだまだ風は冴え大気も澄んでいます。高嶺とは富士でしょうか。紺青の山肌には残雪がまだくっきりと残っています。うつくしいコントラストが印象的な俳句です。

飯田蛇笏×夏の俳句

清涼感あふれる夏の句

白牡丹顎をあらはにくづれけり

季語は「白牡丹」です。そのふくよかな花が頽れてしまったという、ハッとするシーンを詠みました。それも「顎をあらはに」とあります。ありのままの散り際がスローモーションのように連想される俳句です。

朝日さすすだれの外の岩清水

夏の河床を連想するような俳句です。すだれをとおして差しこんでくる朝日。暑さへの予感と、岩清水の涼やかさが同居しています。と同時に岩清水に朝日がきらきらと輝く様子まで伝わってきます。

水替へて鉛のごとし金魚玉

季語の「金魚玉」は球形の金魚鉢です。水を替えたのですから、金魚玉の中には金魚が飼われている状態です。水を替えて金魚もしばらくはじっと身を潜めているのでしょう。動から静へと移り変わる様を「鉛」としました。「動かざること山の如し」のような力を感じる句です。

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