「レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な作品はなに?」
「絵画以外にはどんな作品を残したの?」
レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)と言えば、ルネッサンス期を代表する有名な芸術家ですが、「名前は知っているけど作品の名前がわからない」という方もいるかもしれませんね。
レオナルドは日本の美術史で「万能の天才」と呼ばれています。実際に、音楽や建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、、などあらゆる分野に対して類まれな才能を発揮し、手稿を残しています。
このように多才なレオナルドは、画家としての才能を最も評価されていきましたし、「モナ・リザ」「最後の晩餐」など有名な作品を残しています。一方、レオナルドが残した手稿からは、発明家としてもいくつかの作品を残したことが分かっています。
今回は、ルネッサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中から、特に有名なもの10点について一つ一つ解説をし、レオナルドが残した手稿を元に、どのような発明や研究をしていたのかについてもご紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品
聖アンナと聖母子
制作年 | 1502年~1516年にかけて |
展示場所 | パリのルーブル美術館 |
技法 | スフマート技法 |
聖アンナと聖母子の創作背景・解説
「聖アンナと聖母子」は、レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年期に10年以上かけて制作された未完の大作で、中でも聖アンナの右足とマリアの顔は未完成となっています。
幼子イエスと聖母マリア、その二人を優しく見つめる聖アンナ(マリアの母)の3人が描かれ、イエスが手でつかんでいる子羊は、将来遭遇する受難の象徴である生贄の子羊をあらわします。レオナルドは、聖母マリアを聖アンナの膝の上に座らせ、三世代が一直線になることで三角形の構図を描きました。
この作品は、レオナルドがミラノに滞在中、当時のフランス国王ルイ12世のために制作した作品と言われています。ダ・ヴィンチの死後1540年までの間はフランスにあり、フランス国王が礼拝堂に飾っていたこともあるようです。1629年にリシュリー枢機卿がイタリアのカザーレ・モンフェッラートで購入した後、1636年にフランス国王に献上したことから現在はルーブル美術館が所蔵しています。
受胎告知
制作年 | 1472年~1475年ころ |
展示場所 | フィレンツェのウフィツィ美術館 |
技法 | 遠近法 |
受胎告知の創作背景・解説
「受胎告知」は、師匠であるヴェロッキオと共同で描き上げたレオナルドのデビュー作品で、油彩作品の中では最大の大きさです。
「受胎告知」のテーマは、タイトルの通り「ルカによる福音書」1章26~38節の受胎告知の場面で、神からの遣い大天使ガブリエルが、処女マリアに神の子であるイエスを授かったことを告知する様子を描いています。大天使ガブリエルが手に持っているのは、マリアの処女性とフィレンツェの象徴である百合の花で、背中の翼は、飛翔する鳥の翼を表しています。
ヴェロッキオは有鉛絵具を使用したのに対し、レオナルドは無鉛絵具を使用して背景部分と大天使ガブリエルを描きました。マリアの前に描かれている大理石のテーブルは、フィレンツェのサン・ロレンツォ大聖堂にあるピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチの墓碑彫刻だと言われています。
書顕台に置かれる聖母マリアの右腕が長いのが特徴ですが、これは作品の右側から閲覧することを前提として描かれたからといわれています。
モナ・リザ
制作年 | 1503年~1506年 |
展示場所 | パリのルーブル美術館 |
技法 | スフマート技法 |
モナ・リザの創作背景・解説
「モナ・リザ」は、世界で最も有名な美術作品であり、最も高額な絵画(約6億5000万ドル)の一つです。タイトルの意味は、「モナ」がイタリア語で「マダム」、日本語では「奥さん」の意味になることから、「リザ奥さん」という意味になります。
「モナ・リザ」は、構成のスケールが大きいこと、立体描写が繊細であること、輪郭を描かない技法、モデルは誰なのかなど、いつの時代も人々を関心をひきつけ魅了し続けてきました。
「モナ・リザ」のモデルに関しては、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人説、コスタンツァ・ダヴァロス説、自画像説、イザベラ・デステ説、レオナルドの理想化された人物像など様々な説があり、長年研究と議論が続いていました。
現在は、ドイツのハイデルベルク大学図書館にある古書に、当時のフィレンツェの役人が1503年10月に書いた、「レオナルドは現在、リーサ・デ・ジョコンド(豪商人フランチェスコ・デ・ジョコンドの妻)の肖像など3点の絵画を制作している」という書き込みがあることから、「モナ・リザ」のモデルはジョコンドの妻リーザであると結論付けられました。
最後の晩餐
制作年 | 1495年 |
展示場所 | ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院 |
技法 | 遠近法、テンペラ画 |
最後の晩餐の創作背景・解説
「最後の晩餐」は、レオナルドが制作した壁画作品で、レオナルドのパトロンであったミラノ公爵ルドヴィコ・スフォルツァから依頼を受けて制作されました。壁画では通常フレスコが用いられますが、本作は油彩とテンペラによって描かれているため遜色が酷く、壁画が戦争に巻き込まれるなど長期間保存状態が悪かった為、原型のまま鑑賞することはできません。1977年から1999年にかけてミラノ芸術財、歴史財保存監督局のもと大規模な修復作業が行われ、1980年にこれを所蔵する教会とともに世界遺産に登録されました。
「最後の晩餐」のテーマは、タイトルの通りイエスと使徒たちとの最後の晩餐で、12使徒のうち1人がイエスを裏切ると告げた場面を描いています。イエスは裏切り者について「わたしがパン切れをワインに浸して与える者です」と話しており、イエスの右手がパンに手を伸ばそうとし、同時にユダも同じパンに手を伸ばしている様子が描かれています。
ブノワの聖母
制作年 | 1478年ころ |
展示場所 | サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館 |
技法 | スフマート技法 |
最後の晩餐の創作背景・解説
「ブノワの聖母」は「花と聖母子」とも呼ばれ、レオナルドが独り立ちをして最初に描いた作品です。
本作は、数世紀の間行方不明でしたが、ロシアの名門貴族クラーキン公のコレクションからフランスの画家レオン・ブノワの手に渡り、最終的にロシア皇帝ニコライ2世が購入したことから、現在はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されています。また、本作の下絵の習作が二点あり、これらは大英博物館に所蔵されています。
「ブノワの聖母」は、画面右上の窓の風景について、未完成のままなのか、または、レオナルド自身が塗りつぶしたのか議論を呼んでいます。スフマート技法によって聖母の輪郭が背景に溶け込むことで、聖母を慈愛に満ちた人物としてより際立たせ、聖母が手に持つ小さな花を見つめるイエスは、幼いながらも気高く、神の子としての神々しさが表れています。