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ピタゴラスとは何した人?生涯・歴史まとめ【名言や功績、死因も紹介】

ピタゴラスは、紀元前6世紀に活躍した数学者・哲学者です。「ピタゴラスの定理」を発見し、現代数学の根幹である「証明」手法を生み出しました。

ピタゴラスの像

数字と計算によって宇宙の真理を解明できると信じたピタゴラスは、宇宙の真理を解明する過程で、現代にも受け継がれる数学の定理を発見。ピタゴラスの数学定理は音楽の世界にまで応用できる偉大な証明となったのです。

とはいえ、ピタゴラスという言葉を知ってはいるものの彼がどんな人物だったのか、具体的にどんな功績を残したのかなどが曖昧な方もいるのではないでしょうか。また、ピタゴラスについて知ろうとこの記事を訪れた方もいるはず。

そこで今回は、現代数学の祖ピタゴラスについて解説します。彼の生涯を年表にまとめつつ、名言や功績・死因などもご紹介。この記事でピタゴラスという人物への理解は網羅できるでしょう。

天才数学者ピタゴラスが送った激動の生涯に迫っていきましょう。

ピタゴラスとは?生涯をダイジェスト

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名前ピタゴラス
誕生日紀元前582年
没日紀元前496年
生地古代ギリシア・イオニア地方
サモス島
没地イタリア・クロトン
配偶者テアノ

ピタゴラスは紀元前6世紀に活躍した古代ギリシアの哲学者です。彼が生まれたころ、古代ギリシアでは数多くの都市国家(ポリス)が栄えていました。彼が生まれたサモスもこうした都市国家の一つです。

宝飾職人の息子に生まれたピタゴラス。その若き日の事績はよくわかっていません。わかっているのは彼が並外れた知識欲を持ち、それを満たすため20数年にわたり世界各地を訪れたことです。彼が訪れたのはエジプト、フェニキア、オリエントなど広大な地域に及びました。

サモス島の街ヴァティの遠景 出典:サモス島 – Wikipedia

紀元前530年頃、ピタゴラスはイタリア南部の町クロトンに住み着き、そこでピタゴラス教団を創設します。このころ、彼は数学に関するあらゆる知識を身に着けていたといわれていますね。

教団で数学や音楽の研究にいそしむピタゴラス。そんな彼を思いもよらない事態が襲いました。クロトンの町で内紛がおき、ピタゴラスもそれに巻き込まれ市民の反感を買ってしまいます。そして、市民たちやピタゴラス教団への入団テストに落ちた者たちなどが教団を襲撃。その混乱のさなかにピタゴラスは殺されたといいます。

ピタゴラスのしたことや宗教結社、死因

「コスモス」を最初に用いたのはピタゴラス

コスモスという言葉を初めて用いたのはピタゴラスだといわれています。コスモスとは、調和がとれていて秩序がある様子を表現する言葉です。秩序や調和は数やそれが生み出す秩序を重んじるピタゴラスにとって大事なことでした。

コスモスの花 出典:コスモス – Wikipedia

また、コスモスは花の名前としても有名です。メキシコにいたスペイン出身の聖職者がこの花を見て、花弁が整然と並んでいることからコスモスと名付けました。放射状に広がるコスモスの花の形が、バランスの良さを感じさせたのかもしれませんね。

宗教結社「ピタゴラス教団」を設立する

太陽をあがめるピタゴラス 出典:ピタゴラス教団 – Wikipedia

南イタリアのクロトンに移り住んだピタゴラスは、宗教結社ピタゴラス教団を設立しました。この教団に入るためには、ピタゴラスの考えに共感しているだけではなく、財産を教団に差し出さなければなりません。差し出された財産は教団の構成員全員の共有財産とされます。

また、教団に入るためには数学のテストを受けなければなりません。かなり難易度が高いもので、テストに落ちて入団できなかった人たちもいたそうです。入団した人々はピタゴラスとともに数学や音楽、哲学の研究にいそしみました。

ピタゴラス教団の教えや儀式は外に漏らすことを禁じられたため、詳しいことはわかっていません。それでも、数学や宗教儀礼を重んじたことは確かなようです。

数学と宗教を追求する旅に出ていたピタゴラス

ピタゴラスが旅先に訪れたエジプト

伝記によると、ピタゴラスは知識を求めるために若くして生まれ育ったサモス島を旅だち、古代オリエント世界の各地を旅したと言われています。

エジプトでは幾何学と宗教を学び、フェニキアでは算術と比率、カルディアでは天文学を学んだと言われています。さらにはイギリスやインドにまで旅したという伝説もあるそうえす。

ピタゴラスは20年にわたり放浪生活を続けました。そして、当時存在した数学知識のすべてを身につけて、故郷に戻ってきたのです。

死因は「他殺」だった

ピタゴラスが最後を迎えたクロトン(現クロトーネ) 出典:クロトーネ – Wikipedia

ピタゴラスの死因は他殺です。紀元前496年、クロトンの内部で政変がおきました。そのせいで、ピタゴラスを支援していた有力者が失脚します。この混乱の中、ピタゴラス教団に入れなかったある人物がピタゴラス教団を破壊するべきだと市民を煽動。そのせいで、教団は市民の襲撃を受けます。ピタゴラスは混乱の中で何者かに殺されました。

ピタゴラスの死について、3世紀に活躍した哲学史家ディオゲネス・ラエティウスは4つの説を紹介しています。

1つ目は暴徒がピタゴラスの家に火をつけ、豆畑のそばで首を斬られて死んだという説。2つ目はメタポンティオンのムーサ神殿に逃げ込み、40日の絶食の末死んだという説。3つ目は神殿ではないものの、メタポンティオンで断食して死んだという説。4つ目はシチリアでの戦争に参加し、敗北して死んだという説。どれが本当か、今となっては定かではありません。

ピタゴラスの定理とは?

ピタゴラスの定理

ピタゴラスの定理とは、ピタゴラス教団が発見した数学の定理のこと。直角三角形の3辺のうち、2辺の長さがわかると、残り1辺の長さもわかるという定理のことです。中学校数学では「三平方の定理」として学んでいます。

伝説によると、ピタゴラスは直角二等辺三角形のタイルが敷き詰められた床を見て定理を思いついたとされました。しかし、この定理がピタゴラスの発見かどうかは意見が分かれます。ディオゲネス・ラエティウスはピタゴラスではなく、アポロドロスという人物が三平方の定理の発見者だとしますが、これも真偽は不明です。

この定理が真理であることは紀元前3世紀の数学者ユークリッド(エウクレイデス)によって証明されました。彼が証明した方法以外にも、ピタゴラスの定理の証明法は数百通りもあることが知られています。

ピタゴラスの功績

功績1「宇宙のすべては数の法則に従うという思想を広める」

ピタゴラスが信奉したテトラクテュス

上記で解説したピタゴラスの定理も踏まえ、ピタゴラスは教団の教徒と共に数学の研究に励みました。その結果、ピタゴラスの定理を始めとした多くの数学的な成果を残します。

ピタゴラスはあらゆる事象には数が内在しており、宇宙のすべては数の法則に従うという思想を持っていたと言われています。そして、理論により宇宙の法則を解き明かそうとしました。そのような考え方は、後世において数学的証明という考え方として引き継がれています。

ピタゴラスは、この定理を発見したときにあまりの美しさに感動し、百頭の牡牛を犠牲に捧げたという伝説が残っています。

功績2「音階が比率で表現できるのを発見した」

音階を研究するピタゴラス

ピタゴラスは、音階が数比でできていることを発見しました。ピタゴラスはオクターブを2:1、完全五度を3:2、完全四度を4:3と定義しました。

伝記によれば、ある日鍛冶屋の前を通ったピタゴラスは、作業場の職人が打っているハンマーの音が共鳴して協和音となっていることに気が付きました。調べてみると、ハンマーの音程はハンマーの重さと関係がありました。このことから、音階が比率で構成されていることを発見したと言われています。

功績3「哲学者という言葉を生み出した」

歴代の哲学者が描かれた絵

ピタゴラスは数学者でもあり、宇宙の真理を追求する哲学者でもありました。哲学という語を最初に用い、また自らを「哲学者」と呼んだのはピタゴラスが最初だったそうです。

哲学者とは、「知恵を熱心に追求する人」という意味です。ピタゴラスは神を信じ、神以外に真の知恵を持っている存在はいないと考えていました。神の知恵に近づく努力を続ける人として、ピタゴラスは自分自身を「知恵を熱心に追求する人(=哲学者)」と呼んだと言われています。

ピタゴラスの名言

万物の根源は、数である

この言葉は、ピタゴラスをもっともよく表している言葉といえるでしょう。ピタゴラスの根源には、宇宙はすべて数でできているという考えがありました。そして実際に、音楽は数で表現できることを発見します。

最も古く最も短い言葉である、「はい」と「いいえ」は、最も熟慮を要する言葉である。

「はい」「いいえ」と言葉にすることは簡単です。しかし、その言葉は大きな決断の言葉となります。ピタゴラスは、精密な数学的な理論を積み重ねるなかで、100%の「はい」と0%の「いいえ」ということの難しさを知っていたのかもしれません。

道理は不滅である。他のすべては死をまぬがれない

ピタゴラスは、様々な数学の定理を発見しました。これらの定理は、現代においても利用され続けているものです。ピタゴラスは、その言葉通り永遠に残る道理を作り上げました。

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