小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

ピタゴラスとはどんな人?生涯・年表まとめ【定理や功績、宗教結社まで解説】

ピタゴラスは、紀元前6世紀に活躍した数学者・哲学者です。ピタゴラスの名前を冠した「ピタゴラスの定理」を発見し、三角形の3辺の長さを計算するための方法として中学校の数学の授業で習うほど、有名な原則ですね。

ピタゴラスの定理以外にも、生涯において数学の分野において様々な功績を残しました。ピタゴラスが真理を追求するために用いた「証明」という手法は、現代の数学の根幹として根付いています。

ピタゴラスの像

ピタゴラスは、宇宙のすべては数の法則に従っており、数字と計算によって宇宙の真理を解明できると信じていました。宇宙の真理を解明する中で、ピタゴラスの定理をはじめとしたさまざまな数学的な定理を発見します。

ピタゴラスは、音楽の世界にも数が隠れていることを発見します。オクターブの周波数は2:1で構成されていること、完全五度は3:2で、完全四度は4:3で構成されていることを見つけました。さらに、弦楽器の弦の長さの比率によって、音階も決まることを見つけ出します。

この記事では、ピタゴラスの生涯や、功績、作った教団についてなど、ピタゴラスの知られざるエピソードを大学時代に数学を専攻していた筆者が紹介します。

ピタゴラスとはどんな人物か

名前ピタゴラス
誕生日紀元前582年
没日紀元前496年
生地古代ギリシア・イオニア地方
サモス島
没地イタリア・クロトン
配偶者テアノ

ピタゴラスの生涯をハイライト

ピタゴラスの肖像画

ピタゴラスはどのような生涯を送ったのでしょうか。はじめに簡単にご説明したいと思います。

  • 紀元前6世紀の古代ギリシアに生まれる
  • 若くして旅立ち、エジプトで幾何学と宗教を、フェニキアで算術と比率を学ぶ
  • 放浪の旅の果てに、イタリアへと移住しピタゴラス教団を立ち上げる
  • 数百人の信者を集め数学の研究と宇宙の真理の解明を行い、定理を始めとする数学の定理を発見する
  • 様々な功績を残したピタゴラスだったが、紀元前496年に命を落とす。

ピタゴラスが数学と宗教を追求した旅の内容とは?

ピタゴラスが旅をしたエジプト

伝記によると、ピタゴラスは知識を求めるために若くして生まれ育ったサモス島を旅だち、古代オリエント世界の各地を旅したと言われています。

エジプトでは幾何学と宗教を学び、フェニキアでは算術と比率、カルディアでは天文学を学んだと言われています。さらにはイギリスやインドにまで旅したという伝説もあるそうえす。

ピタゴラスは20年にわたり放浪生活を続けました。そして、当時存在した数学知識のすべてを身につけて、故郷に戻ってきたのです。

ピタゴラスが作った宗教結社「ピタゴラス教団とは?」

太陽を崇めるピタゴラス

ピタゴラスは、宇宙の真理を数学的な手法で解明するための組織として、ピタゴラス教団を設立することを思いつきます。

ピタゴラスは、そのための場所としてイタリア半島へ移住し、彼の思想に共鳴する多くの弟子たちとピタゴラス教団を立ち上げました。ピタゴラス教団に入団するためには厳しい数学の審査に通過する必要がありましたが、人々はピタゴラスの魅力に引き付けられ、ついには数百人の信者を集めるまでに成長しました。

ピタゴラスが数学に与えた影響

ピタゴラスが信奉したテトラクテュス

ピタゴラスは、ピタゴラス教団の教徒と共に数学の研究に励みました。その結果、ピタゴラスの定理を始めとした多くの数学的な成果を残します。

ピタゴラスはあらゆる事象には数が内在しており、宇宙のすべては数の法則に従うという思想を持っていたと言われています。そして、理論により宇宙の法則を解き明かそうとしました。そのような考え方は、後世において数学的証明という考え方として引き継がれています。

ピタゴラスの功績

功績1「ピタゴラスの定理を発見した」

ピタゴラスの定理

ピタゴラスの最も大きな功績として、ピタゴラスの定理を発見したことがあげられます。ピタゴラスの定理は、またの名を三平方の定理ともいい、数学の授業で必ず習うものです。

ピタゴラスは、この定理を発見したときにあまりの美しさに感動し、百頭の牡牛を犠牲に捧げたという伝説が残っています。

功績2「音階が比率で表現できることを発見した」

音階を研究するピタゴラス

ピタゴラスは、音階が数比でできていることを発見しました。ピタゴラスはオクターブを2:1、完全五度を3:2、完全四度を4:3と定義しました。

伝記によれば、ある日鍛冶屋の前を通ったピタゴラスは、作業場の職人が打っているハンマーの音が共鳴して協和音となっていることに気が付きました。調べてみると、ハンマーの音程はハンマーの重さと関係がありました。このことから、音階が比率で構成されていることを発見したと言われています。

功績3「哲学者という言葉を生み出した」

歴代の哲学者が描かれた絵

ピタゴラスは数学者でもあり、宇宙の真理を追求する哲学者でもありました。哲学という語を最初に用い、また自らを「哲学者」と呼んだのはピタゴラスが最初だったそうです。

哲学者とは、「知恵を熱心に追求する人」という意味です。ピタゴラスは神を信じ、神以外に真の知恵を持っている存在はいないと考えていました。神の知恵に近づく努力を続ける人として、ピタゴラスは自分自身を「知恵を熱心に追求する人(=哲学者)」と呼んだと言われています。

ピタゴラスの名言

万物の根源は、数である

この言葉は、ピタゴラスをもっともよく表している言葉といえるでしょう。ピタゴラスの根源には、宇宙はすべて数でできているという考えがありました。そして実際に、音楽は数で表現できることを発見します。

最も古く最も短い言葉である、「はい」と「いいえ」は、最も熟慮を要する言葉である。

「はい」「いいえ」と言葉にすることは簡単です。しかし、その言葉は大きな決断の言葉となります。ピタゴラスは、精密な数学的な理論を積み重ねるなかで、100%の「はい」と0%の「いいえ」ということの難しさを知っていたのかもしれません。

道理は不滅である。他のすべては死をまぬがれない

ピタゴラスは、様々な数学の定理を発見しました。これらの定理は、現代においても利用され続けているものです。ピタゴラスは、その言葉通り永遠に残る道理を作り上げました。

ピタゴラスにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「宇宙は数学でできていると宣言した?」

宇宙を一枚で表す

ピタゴラスは、宇宙と数学のつながりを信じていました。ピタゴラスは、数学的な理論により宇宙の法則を解き明かそうと考えたのです。

そして、ピタゴラスは研究を進める中で音楽の和音の構成や惑星の軌道は数学で成り立っていることに気が付きます。そしてついには、宇宙の全ては数から成り立つと宣言し、ピタゴラス教団を設立したのでした。

都市伝説・武勇伝2「無理数を発見した教徒を死刑にした?」

無理数(ルート2)

ピタゴラスは、数の調和を最も大切なものと考えていました。ピタゴラス教団では、10を最も大切な数に位置づけ、10個の三角形をモチーフにした図形を教団の紋章としていました。

そんな中で、弟子の一人が整数でも分数でも書き表すことができない数である「無理数」を発見します。ピタゴラスの過剰な数の調和への愛情は、美しくない数である無理数を否定します。そして、発見した弟子を死刑にしてしまうのです。

都市伝説・武勇伝3「豆が大嫌いだった?」

豆を嫌うピタゴラス

ピタゴラスはなぜか、豆が大嫌いだったと言われています。そのためピタゴラス教団では、豆を食べない規則が全員に強制されました。

ピタゴラスが豆を嫌っていた理由には諸説あります。「豆が地獄の門に似ているから」や「食べない方が胃によく安眠が出来るから」といった理由や、「選挙のときの籤(くじ)に使われるから」という理由など、後世の人々は、ピタゴラスが豆を嫌っていた理由を様々推測しましたが、本当のところはピタゴラスしかわかりませんね。

ピタゴラスの簡単年表

’紀元前582年
ギリシアのサモス島に生まれる

ピタゴラスは、ギリシアの東部にあるサモス島に生まれました。ピタゴラスの父親は宝石細工師だったと言われています。ピタゴラスは、庶民の家に生まれながらも徐々にその才能を開花させていくのでした。

紀元前550年ごろ - 32歳
真理を求めてオリエント世界を旅する

ピタゴラスは、若くして古代オリエント世界を旅しました。ピタゴラスはエジプトやフェニキア、カルディアやインドなど、多くの国々を訪れます。そして、各国の宗教や数学、科学技術などを学んだのでした。

紀元前530年ごろ - 52歳
イタリア半島に移住しピタゴラス教団を設立する

故郷であるギリシアに帰ってきたピタゴラスでしたが、そこではピタゴラスの才能を受け入れてくれる場所はありませんでした。そこで、ピタゴラスはイタリアへの移住を決意します。

ピタゴラスはイタリアで人々に自分の考えを伝えていきます。そして、ピタゴラスの考えに共鳴した人々と一緒にピタゴラス教団を設立するのです。

紀元前496年 - 86歳
市民の暴動により亡くなる

教団を大きく成長させたピタゴラスでしたが、その結果人々の反感を買うことになってしまいます。ピタゴラスの教団に入るためには、難しい試験を受ける必要がありましたが、この試験に落ちた市民達はピタゴラスのことを逆恨みします。そして、市民は暴動を起こし、ピタゴラスを殺してしまうのでした。

ピタゴラスの年表

紀元前582年 – 0歳「ギリシアにて生を受ける」

ピタゴラスが生まれたサモス島の現在

宝石細工師の息子として生まれる

ピタゴラスは、ギリシアのサモス島に生まれました。父は宝石細工師であったといいます。また、父はギリシア人ではなく隣国のレバノン出身であったと言われています。

ピタゴラスの家の近くには著名な数学者であったタレスが住んでいたことから、ピタゴラスも数学に興味を持ったのではないかと言われています。ピタゴラスは、若い頃からその頭角を表し、やがて世界を旅することになります。

ピタゴラスの伝説

ピタゴラスについては多くの伝記や伝説が残っていますが、実はその多くは後世の伝聞や想像で作られたものだと言われています。というのも、ピタゴラスが作った教団は秘密主義で内部情報を外部に漏らすことを厳しく禁じていたために、情報が残らなかったためです。

ピタゴラス本人は言行録や著作物を残さなかったため、現在に残っているピタゴラスについてのお話の多くは、弟子たちが残したものです。断片的に残っているピタゴラスのお話をもとに、ピタゴラスがどんな人物であったのか想像するのも面白いかもしれませんね。

時期不明 「イオニア哲学を学ぶ」

古代にイオニアが存在した地方

親友とともに政治改革に乗り出す

ピタゴラスは、若い頃にサモス島でイオニア哲学を学んだと言われています。イオニア哲学とは、簡単に行ってしまえば宇宙の始まりについて知覚的な情報を基に研究する哲学のことです。

イオニア哲学を学んだピタゴラスは、サモス島で親友であったポリュクラテスと共に政治改革に乗り出しますが、段々と独裁者になっていったポリュクラテスに愛想をつかし、最後には仲違いしました。

紀元前550年ごろ – 32歳「オリエント世界を旅する」

ピタゴラスが旅をしたバビロンの遺跡

若くして真理を求めるたびに出る

ピタゴラスはギリシアの小さな島に生まれましたが、より広大な世界を求めて島の外を旅することにします。ピタゴラスは、知識を求めて古代オリエント世界の各地を旅しました。

彼は、ファラオのおさめるエジプトに向かい、ピラミッドの建設に用いられたことで有名な幾何学を学びました。そして、現在のシリアのあたりに位置するフェニキアでは算術と比率について学びました。さらに、メソポタミアに位置するバビロン王国でカルディア人から天文学を学んだといいます。

世界各国で知識を身に着けたピタゴラスは、その知識を活用する場所を探すことにします。

紀元前535年ごろ – 47歳 「新天地を求めて故郷を離れる」

ピタゴラスが旅をした地中海

研究の場所を求めるピタゴラス

旅を終えて故郷であるサモス島に戻ったピタゴラス。ピタゴラスは、そこで自分の考えを研究し、人々に広めようと考えます。

しかし、その時のサモス島の支配者はピタゴラスの親友であり後に仲違いをしたポリュクラテスでした。ピタゴラスはサモス島で活動することを諦め、新天地を求めて地中海を渡りイタリアへと旅立ちます。

紀元前530年ごろ – 52歳「ピタゴラス教団を設立する」

ピタゴラス教団の紋章

イタリアでピタゴラス教団を結成

ピタゴラスは、彼の知識を広める場所としてイタリアのクロトンを選びました。ピタゴラスは、クロトンで彼の考えを支持する多くの弟子とともにピタゴラス教団を設立します。

ピタゴラス教団は、単なる宗教団体というよりも学術的な集まりという側面の強いものでした。ピタゴラス教団に入るためには、難しい数学の試験に合格する必要がありました。

地元の有力者の支持もあり、ピタゴラスは数百人の信者を集めます。そして、弟子の一人であるテアノと結婚もします。

紀元前525年ごろ – 57歳 「宇宙の真理を解き明かすために研究を行う」

ピタゴラスが発見した正二十面体

様々な数学的定理を発見する

ピタゴラス教団は、宇宙の真理を解き明かすために数学の研究を行いました。その結果、様々な数学的定理を発見することになります。

最も有名なのは、ピタゴラスの定理、またの名を三平方の定理でしょう。中学校の数学で習うこの定理を発見したことは、ピタゴラスの最も大きな功績と言えます。また、ピタゴラスは地球や月が球体であることを初めて提唱した人物としても知られています。

ピタゴラスはその他にも、多面体として正四面体、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体があることを発見したと言われています。

紀元前496年ごろ – 86歳「ピタゴラスの最後」

ピタゴラスが最後を迎えたクロトンの風景

民衆の暴動にあって最後を迎える

ピタゴラス教団はますます勢力を拡大していきます。しかし、ピタゴラス教団の有力な支持者が政争に巻き込まれてしまい失脚したことをきっかけに、ピタゴラス教団は転機を迎えます。

有力なバックアップを失ったピタゴラス教団は、徐々にその力を失っていきます。さらに、ピタゴラス教団に入団するためには難しい試験に合格する必要がありましたが、これに合格できなかった人々は、ピタゴラスのことを逆恨みしました。そして、ピタゴラス教団に襲いかかり、ピタゴラスを殺してしまうのです。

ピタゴラスの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

ピタゴラスの定理―4000年の歴史

この本では、ピタゴラスの定理を窓にして、古代バビロニアから今日に至るまでの四千年に及ぶ数学の発展について描いています。数学と数学史に興味のある人には必見の数学歴史物語です。

ピタゴラス的生き方

シリア出身の哲学者イアンブリコスによる、ピタゴラスとその教団に関する史料。現代に伝わるピタゴラス像の多くはこの本が伝えているものです。ピタゴラスを知る上での貴重な情報源として後世に伝わっています。

ピタゴラスの定理をめぐる2つの謎―三平方の定理の謎

ピタゴラスの定理の証明方法について、不思議な粘土板に刻まれた古代文字を読み解きます。ピタゴラスの定理は数多くの証明方法があることで知られていますが、なぜこんなにも多くの証明方法があるのか、謎に迫ります。

おすすめの動画

【巨人の肩】ピタゴラスが残した功績を知る!【新企画】

ピタゴラスが残した功績について、2人のコンビが解説してくれませす。軽妙な語り口で繰り広げられるトークを聞くだけで、ピタゴラスについて詳しくなることができますよ。

3分でわかるピタゴラスの定理(三平方の定理)の証明

多くの方が授業で習ったであろうピタゴラスの定理。授業で証明方法について教わった記憶のある方もいるかも知れませんが、多くの方は忘れてしまっているのではないでしょうか。この動画では、ピタゴラスの定理の証明方法について、わかりやすく教えてくれます。

関連外部リンク

ピタゴラスについてのまとめ

この記事では、ピタゴラスについて、どんな人物であったか、またどんな功績があるのか紹介しました。ピタゴラスは、今でもピタゴラスの定理としてその名前を残しながらも、どんな人物であったかについてはあまり知られていないのではないでしょうか。

そんなピタゴラスについて、この記事でスポットを当ててピタゴラスの功績や魅力について伝えることができたのであれば、嬉しく思います。

コメントを残す