ピタゴラスとは何した人?生涯・歴史まとめ【名言や功績、死因も紹介】

ピタゴラスにまつわる逸話

逸話1「宇宙は数学でできていると宣言した?」

宇宙を一枚で表す

ピタゴラスは、宇宙と数学のつながりを信じていました。ピタゴラスは、数学的な理論により宇宙の法則を解き明かそうと考えたのです。

そして、ピタゴラスは研究を進める中で音楽の和音の構成や惑星の軌道は数学で成り立っていることに気が付きます。そしてついには、宇宙の全ては数から成り立つと宣言し、ピタゴラス教団を設立したのでした。

逸話2「無理数を発見した教徒を死刑にした?」

無理数(ルート2)

ピタゴラスは、数の調和を最も大切なものと考えていました。ピタゴラス教団では、10を最も大切な数に位置づけ、10個の三角形をモチーフにした図形を教団の紋章としていました。

そんな中で、弟子の一人が整数でも分数でも書き表すことができない数である「無理数」を発見します。ピタゴラスの過剰な数の調和への愛情は、美しくない数である無理数を否定します。そして、発見した弟子を死刑にしてしまうのです。

逸話3「豆が大嫌いだった?」

豆を嫌うピタゴラス

ピタゴラスはなぜか、豆が大嫌いだったと言われています。そのためピタゴラス教団では、豆を食べない規則が全員に強制されました。

ピタゴラスが豆を嫌っていた理由には諸説あります。「豆が地獄の門に似ているから」や「食べない方が胃によく安眠が出来るから」といった理由や、「選挙のときの籤(くじ)に使われるから」という理由など、後世の人々は、ピタゴラスが豆を嫌っていた理由を様々推測しましたが、本当のところはピタゴラスしかわかりませんね。

ピタゴラスの簡単年表

’紀元前582年
ギリシアのサモス島に生まれる

ピタゴラスは、ギリシアの東部にあるサモス島に生まれました。ピタゴラスの父親は宝石細工師だったと言われています。ピタゴラスは、庶民の家に生まれながらも徐々にその才能を開花させていくのでした。

紀元前550年ごろ – 32歳
真理を求めてオリエント世界を旅する

ピタゴラスは、若くして古代オリエント世界を旅しました。ピタゴラスはエジプトやフェニキア、カルディアやインドなど、多くの国々を訪れます。そして、各国の宗教や数学、科学技術などを学んだのでした。

紀元前530年ごろ – 52歳
イタリア半島に移住しピタゴラス教団を設立する

故郷であるギリシアに帰ってきたピタゴラスでしたが、そこではピタゴラスの才能を受け入れてくれる場所はありませんでした。そこで、ピタゴラスはイタリアへの移住を決意します。

ピタゴラスはイタリアで人々に自分の考えを伝えていきます。そして、ピタゴラスの考えに共鳴した人々と一緒にピタゴラス教団を設立するのです。

紀元前496年 – 86歳
市民の暴動により亡くなる

教団を大きく成長させたピタゴラスでしたが、その結果人々の反感を買うことになってしまいます。ピタゴラスの教団に入るためには、難しい試験を受ける必要がありましたが、この試験に落ちた市民達はピタゴラスのことを逆恨みします。そして、市民は暴動を起こし、ピタゴラスを殺してしまうのでした。

ピタゴラスの生涯年表

紀元前582年 – 0歳「ギリシアにて生を受ける」

ピタゴラスが生まれたサモス島の現在

宝石細工師の息子として生まれる

ピタゴラスは、ギリシアのサモス島に生まれました。父は宝石細工師であったといいます。また、父はギリシア人ではなく隣国のレバノン出身であったと言われています。

ピタゴラスの家の近くには著名な数学者であったタレスが住んでいたことから、ピタゴラスも数学に興味を持ったのではないかと言われています。ピタゴラスは、若い頃からその頭角を表し、やがて世界を旅することになります。

ピタゴラスの伝説

ピタゴラスについては多くの伝記や伝説が残っていますが、実はその多くは後世の伝聞や想像で作られたものだと言われています。というのも、ピタゴラスが作った教団は秘密主義で内部情報を外部に漏らすことを厳しく禁じていたために、情報が残らなかったためです。

ピタゴラス本人は言行録や著作物を残さなかったため、現在に残っているピタゴラスについてのお話の多くは、弟子たちが残したものです。断片的に残っているピタゴラスのお話をもとに、ピタゴラスがどんな人物であったのか想像するのも面白いかもしれませんね。

時期不明 「イオニア哲学を学ぶ」

古代にイオニアが存在した地方

親友とともに政治改革に乗り出す

ピタゴラスは、若い頃にサモス島でイオニア哲学を学んだと言われています。イオニア哲学とは、簡単に行ってしまえば宇宙の始まりについて知覚的な情報を基に研究する哲学のことです。

イオニア哲学を学んだピタゴラスは、サモス島で親友であったポリュクラテスと共に政治改革に乗り出しますが、段々と独裁者になっていったポリュクラテスに愛想をつかし、最後には仲違いしました。

紀元前550年ごろ – 32歳「オリエント世界を旅する」

ピタゴラスが旅をしたバビロンの遺跡

若くして真理を求めるたびに出る

ピタゴラスはギリシアの小さな島に生まれましたが、より広大な世界を求めて島の外を旅することにします。ピタゴラスは、知識を求めて古代オリエント世界の各地を旅しました。

彼は、ファラオのおさめるエジプトに向かい、ピラミッドの建設に用いられたことで有名な幾何学を学びました。そして、現在のシリアのあたりに位置するフェニキアでは算術と比率について学びました。さらに、メソポタミアに位置するバビロン王国でカルディア人から天文学を学んだといいます。

世界各国で知識を身に着けたピタゴラスは、その知識を活用する場所を探すことにします。

紀元前535年ごろ – 47歳 「新天地を求めて故郷を離れる」

ピタゴラスが旅をした地中海

研究の場所を求めるピタゴラス

旅を終えて故郷であるサモス島に戻ったピタゴラス。ピタゴラスは、そこで自分の考えを研究し、人々に広めようと考えます。

しかし、その時のサモス島の支配者はピタゴラスの親友であり後に仲違いをしたポリュクラテスでした。ピタゴラスはサモス島で活動することを諦め、新天地を求めて地中海を渡りイタリアへと旅立ちます。

紀元前530年ごろ – 52歳「ピタゴラス教団を設立する」

イタリアでピタゴラス教団を結成

イタリアで設立されたピタゴラス教団

ピタゴラスは、彼の知識を広める場所としてイタリアのクロトンを選びました。ピタゴラスは、クロトンで彼の考えを支持する多くの弟子とともにピタゴラス教団を設立します。

ピタゴラス教団は、単なる宗教団体というよりも学術的な集まりという側面の強いものでした。ピタゴラス教団に入るためには、難しい数学の試験に合格する必要がありました。

地元の有力者の支持もあり、ピタゴラスは数百人の信者を集めます。そして、弟子の一人であるテアノと結婚もします。

紀元前525年ごろ – 57歳 「宇宙の真理を解き明かすために研究を行う」

ピタゴラスが発見した正二十面体

様々な数学的定理を発見する

ピタゴラス教団は、宇宙の真理を解き明かすために数学の研究を行いました。その結果、様々な数学的定理を発見することになります。

最も有名なのは、ピタゴラスの定理、またの名を三平方の定理でしょう。中学校の数学で習うこの定理を発見したことは、ピタゴラスの最も大きな功績と言えます。また、ピタゴラスは地球や月が球体であることを初めて提唱した人物としても知られています。

ピタゴラスはその他にも、多面体として正四面体、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体があることを発見したと言われています。

紀元前496年ごろ – 86歳「ピタゴラスの最後」

民衆の暴動にあって最後を迎える

ピタゴラスが最後を迎えたクロトンの風景

ピタゴラス教団はますます勢力を拡大していきます。しかし、ピタゴラス教団の有力な支持者が政争に巻き込まれてしまい失脚したことをきっかけに、ピタゴラス教団は転機を迎えます。

有力なバックアップを失ったピタゴラス教団は、徐々にその力を失っていきます。さらに、ピタゴラス教団に入団するためには難しい試験に合格する必要がありましたが、これに合格できなかった人々は、ピタゴラスのことを逆恨みしました。そして、ピタゴラス教団に襲いかかり、ピタゴラスを殺してしまうのです。

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ピタゴラスについてのまとめ

今回は、ピタゴラスの生涯について解説しました。ピタゴラスは、今でもピタゴラスの定理としてその名前を残しながらも、どんな人物であったかについてはあまり知られていないのではないでしょうか。

そんなピタゴラスについて、この記事でスポットを当ててピタゴラスの功績や魅力について伝えることができたのであれば、嬉しく思います。

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6 COMMENTS

ピタゴラスについて詳しく知ることができたし、数学者に興味がわきました。ありがとうございました。

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