隈研吾はどんな人?生涯・年表まとめ【性格や建築作品、功績についても紹介】

隈研吾の年表

1954年 – 0歳「横浜に生まれる」

隈研吾が通った栄光学園(新校舎)
出典:鎌倉市城廻エリアサイト

隈研吾の生い立ち

隈研吾は、神奈川県横浜市の大倉山に生まれました。父は三菱マテリアルのサラリーマンで、母方は医者の家系でした。母方の祖父が建てた大倉山駅近くの古い家で育った隈研吾は、その古い家がコンプレックスである一方で、建築に興味を持つきっかけになったとも語っています。

小さい頃は猫が好きで獣医を志していた隈研吾でしたが、徐々に建築に興味をもつようになり、1964年の開催を控えた東京オリンピックの建築物を目にしたことで、いよいよ本気で建築家を志すことになりました。

中学・高校時代

隈研吾は、神奈川の名門私立学校である栄光学園に中学・高校と通います。身長が189cmと高かったこともあり、高校ではバスケットボール部でセンターをやっていました。

後に建築家として大成した隈研吾は、栄光学園の校舎のデザインを設計し、母校へ恩返しをしました。

1972年 – 18歳「東京大学に入学し、多彩な仲間たちと出会う」

隈研吾が在籍した東京大学の安田講堂

東大へ進学する

隈研吾は、高校を卒業すると東京大学の建築学科へ進学します。同級生には小林克弘や大江匡、村田誉之など、一流の建築家たちが揃っていました。

その後、東大の大学院へ進学した隈研吾は、東大生産技術研究所の原研究室に在籍しました。大学院時代は、原教授と共に「西アフリカ集落調査」に終始しました。そして、サハラ砂漠を北から南に車2台で縦断しながら、合計100カ所ほどの集落を訪れては村の図面を描く旅を行いました。隈研吾は、このときの体験が自分の建築家としての価値観に大きな影響を与えたと語っています。

1978年 – 24歳「社会人となり建築家の道を歩み始める」

隈研吾のファーストキャリアである日本設計

敢えてサラリーマンの道へ

当時、著名な建築家である安藤忠雄が新進気鋭の存在として注目されていました。東大の同級生の多くは、安藤忠雄に憧れて個人設計所やアトリエ系の就職先に進む中、隈研吾は敢えて大企業である日本設計へと就職し、サラリーマンとなります。

隈研吾は、建築家には社会経験が重要であると考え、同級生たちとは違う道を進むことにします。

1990年 – 36歳「独立し設計事務所を設立する」

隈研吾の設計事務所

事務所を立ち上げる

隈研吾は、日本設計を退職したあと、アメリカへの留学を経て個人事務所である隈研吾設計事務所を設立します。そして、いよいよ建築家として活動を開始していきます。

事務所設立当初は、いわゆるポストモダン建築と言われるような機能性だけではない装飾性に溢れた建築物を多く作り上げました。その中でも、商業施設であるM2ビルは隈研吾の代表的な建築作品として知られています。

1991〜2015年 – 37〜61歳「多数の有名建築物を設計する」

隈研吾が設計した高輪駐車場

木材を活用した建築

隈研吾は、自身の設計事務所を設立したあとも、学校や官公庁舎、美術館など多くの作品を作り続けます。1995年に阪神淡路大震災が発生しますが、隈研吾はこのときの経験からコンクリート建築の限界について考えるようになり、木材を活用した建築について追求し始めます。

その傾向は、2011年の東日本大震災でさらに強まり、隈研吾は脱コンクリートを進めていきます。東京の青山にある根津美術館や赤坂にある東急キャピトルタワーなどは、隈研吾が木材にこだわった建築物として有名です。

実績が認められて大規模な建築にも携わるように

隈研吾が作り上げた建築作品は高い評価を受けました。そして、徐々に大規模かつ重要な建築物の受注も増えていきます。例えば、歌舞伎の劇場である銀座の歌舞伎座の再建築を受注し、その革新的なアイディアでプロジェクトを成功に導きます。また、明治神宮の宝物殿の機能を兼ね備えた明治神宮ミュージアムの設計も担当します。

このように、隈研吾は数多くの建築物を世に送り続けて行きました。

2016年 – 62歳「新国立競技場の設計を担当する」

新国立競技場の利用イメージ

オリンピックのメインスタジアムの設計を担当

東京オリンピックのメインスタジアムである新国立競技場の建設は、その費用が高額であるなどの理由で大きな問題となりましたが、その中で改めて実施されたコンペを勝ち抜いたのが隈研吾の設計事務所でした。こうして、隈研吾は新国立競技場の設計を担当することになります。

隈研吾はその一番の個性である木材を活用した設計思想をふんだんに盛り込んだスタジアムを構想します。デザイン面はもとより、座席にも木材をふんだんに活用しぬくもりのあるスタジアムを作り上げました。2019年、隈研吾の設計した新国立競技場は無事に完成を迎え、オリンピックの舞台として活用されることになります。

隈研吾の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

点・線・面

隈研吾が建築について語った、隈研吾自身が筆を執って描き下ろした思いの詰まった本。200点を超える図版と合わせて文章を読むことで、隈研吾イズムを理解することができるはずです。

隈研吾による隈研吾

隈研吾は、なぜコンクリートや鉄に代わる新しい素材を探求し続けるのか。その答えがこの本にはあります。自己主張の強い建築をよしとせず、その土地の環境や文化と調和する建築を行う隈研吾の考えをこの一冊で学ぶことができます。

負ける建築

超高層ビルは、周囲を威圧してそこに鎮座しています。このような20世紀型の「勝つ建築」は、もはや「弱さ」を表しているといいます。 これからの建築はもっと様々な外力を受けいれる「負ける建築」であるべき。隈研吾の考え方を知ることができる一冊です。

おすすめの動画

建築家 隈研吾氏  2016.2.1

オリンピックに向けて計画されたものの、様々なトラブルが発生した新国立競技場の設計。最終的に、隈研吾の設計事務所が設計を担当することになります。そんな中で行われた隈研吾の記者会見の動画がこちらです。記者からの様々な質問に誠実に答える隈研吾をみることができます。

隈研吾さんインタビュー映像

日本郵便の本社として建設された東京駅の近くにあるKITTEビル。KITTEビルの内装は隈研吾が担当しました。その内装に込めた思いを隈研吾が語る動画です。

おすすめの映画

sur / FACE 14人の現代建築家たち

在日オーストリア人ジャーナリストとドイツ生まれの映像作家が撮影した、日本を代表する14人の建築家たちに迫ったドキュメンタリー映画です。隈研吾も馬頭町広重美術館と石の美術館をテーマに、インタビュイーとして登場します。

うみやまあひだ 伊勢神宮の森から響くメッセージ

伊勢神宮の式年遷宮をテーマとして撮影された長編ドキュメンタリー。数々の映画賞を受賞した名作映画です。2012年の式年遷宮を撮影した貴重な映像を、隈研吾ら著名人たちへのインタビューが彩ります。

隈研吾についてのまとめ

この記事では、新国立競技場を設計したことで一躍有名になった隈研吾について、その作品集や性格、年表などを紹介しました。

実は、身近なところにも隈研吾の建築作品があります。街を歩くときに、おしゃれな建物や変わった建物があれば、その建物を設計した建築家を調べたりしてみるのも面白いかもしれませんね。

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