「ローマ帝国って何?どんな帝国だったの?」
「ローマ帝国の成り立ちや歴史を知りたい!」
「ローマ帝国の皇帝たちはどんな人?」
世界史に興味のある方ならば、一度は「ローマ帝国」という言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
ローマ帝国とは、紀元前8世紀ごろから1000年以上も繁栄した大帝国です。地中海領域のみならず、バルカン半島やエジプト流域、メソポタミア地域までを吸収・統一し、大帝国を築き上げました。
しかし、「ローマは一日にしてならず」ということわざがあるように、ローマ帝国は一夜にしてできたわけではありません。大帝国となるほど繁栄したローマ帝国も、築き上げるまでに約700年もの歳月を費やした長い苦難の歴史がありました。
この記事ではローマ帝国の歴史を一から紐解き、成り立ちから滅亡までを解説していきます。歴代の皇帝たちやローマの宗教・文化についても触れていきますので、長い記事となりますが最後までお付き合いいただけると幸いです。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ローマ帝国とは?簡単に概要を解説
名称 | ローマ帝国 (Imperium Romanum) |
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首都 | ローマ |
面積 | 5,000,000㎢ |
人口 | 56,800,000人 |
公用語 | ラテン語、ギリシャ語 (西暦629年から公用語) |
ローマ帝国とは、紀元前8世紀ごろ誕生し、それから1000年以上も繁栄した大帝国です。イタリア半島に誕生した都市国家から、地中海領域を支配するまでに発展しました。そのためローマ帝国の歴史は古代ローマ時代から続いています。
古代ローマ時代は王を擁立し、王政をとっていましたが、領地や国力が拡大するにつれて貴族の権力が強くなりました。紀元前509年には王を追放し、貴族が中心となって政治を行うようになっていきました。
やがて政務官や財務官などの役職が定められ、公職経験者からなる「元老院」といった政治システムが構築されていきます。時が流れるにつれ市民たちの力が増大したことで、身分闘争といった貴族と市民の戦いが起きましたが、法律の改正により紀元前2世紀ごろには落ち着きました。
同じ2世紀ごろ、ローマ帝国はイタリア半島を統一し、徐々に地中海領域へ進出していきます。地方から兵士を募ったことで、地方の働き手は減少し農村は荒廃します。対して戦果を上げた兵士や貴族たちの収入は増大し、貧富の差が拡大しました。
元老院内部での汚職や不正が相次いだことで、元老院の権力は急速に低下していきます。そして市民たちからの強い支持を得て「執政官」という政治を執り行う役職が生まれ、元老院中心の政治は終わりを告げました。
しかし次第に執政官の権力が強まったことにより独裁政権が生まれてしまいます。紀元前27年に覇権争いに勝利したオクタウィアヌスによって共和制の復活が宣言されました。元老院は彼に「アウグストゥス(尊厳なる者)」という称号を与え、オクタウィアヌスを初代皇帝とした帝政が開始されました。
ローマ帝国の宗教
古代ローマにおいて、祭儀や礼拝をすることで神々が人間に祝福を与えてくれると信じていました。ギリシアの神々と融合し、軍神マルスや美の女神ウェヌスなどを信仰していたと考えられています。
また次第に「勝利」や「平和」といった観念も神格化するようになりました。皇帝が誕生するようになると、皇帝の存在が神格化し、特に属州では女神や皇帝への礼拝・信仰が盛んに行われていたようです。
そんな中、ローマ圏内にもキリスト教が流行し始めます。当初は密教や異教と揶揄され、公然とその名を口に出すことはできませんでしたが、皇帝コンスタンティヌスによりキリスト教が公認され、大聖堂の建造が行われました。これを機にキリスト教へ改宗する者も多くなり、ローマはキリスト教を信仰する国へと一歩踏み出したのです。
ローマ帝国の文化
ローマの建築・土木
ローマの土木建築は非常に優れていました。ローマへ続く道はほとんどが石畳で作られ、軍隊の移動でも使われていました。
特に代表的な道としてローマと南イタリアを結ぶアッピア街道です。この道は紀元前4世紀に作られ、「街道の女王」としての異名を持っています。
他にも水道の建築やコロッセウムに代表される公共建造物まで、多くの建造物がその姿を現代にまで残しています。ローマの繁栄は、この卓越した建築と土木技術があったからこそとも言えるでしょう。
ローマの法律
古くからローマ人の間では法律がありました。元老院時代には民法が作られ、それに準じて民会や執政官などの告示もされています。
これは帝政になってからも続き、帝国内のあらゆる民族でも適用される万民法というものが作られます。歴代の皇帝たちによって多少の法改正や新法が作られましたが、西暦6世紀に入ってからユスティニアヌス1世の命により「ローマ法大全」が編纂されました。
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