ローマ帝国とは?歴史年表とともに分裂や滅亡について簡単に紹介

西暦395年:帝国の分裂

テオドシウス1世

新しく皇帝となったテオドシウスはカトリック教会を国教と制定し、ゲルマン人と条約を結びました。ゲルマン人はローマに軍事力を、ローマは彼らに食料とローマの一市民としての生活を与えました。

テオドシウスはゲルマン人の軍事力を使って内乱を制しようと考えたのですが、宮廷内の陰謀により処刑されてしまいます。彼は死の間際、2人の息子にローマを東西に分けて統治するようにと遺言を残しました。

ローマの東西分裂

その遺言を聞きいれ、東ローマは18歳のアルカディウスが、西ローマは11歳のホノリウスが帝位に就きました。ただしホノリウスはまだ幼く、実権を握っていたのは軍司令官のスティリコです。

西ローマ帝国

東西で分裂したローマはお互いをライバル意識するようになり、対立が激化します。これに追い討ちをかけるように同盟軍のゲルマン人たちが牙をむきます。トラキア、マケドニア、ギリシアの土地を荒らし回るようになりました。

ゲルマン人

これをスティリコが阻止したのですが、これに異を唱えた東ローマ帝国の文官たちによってスティリコは司令官の地位を剥奪されてしまいました。あろうことかゲルマン人の大将であるアラリックに司令官の地位を与えたのです。

スティリコはその後もアラリック率いるゲルマン軍に対抗しようとしますが、西ローマ帝国内部での反感を買い、暗殺されてしまいます。そしてアラリックはローマ市内に侵攻し、三日三晩略奪を続けました。貴族の多くはローマ市内から散り散りに逃げ、ローマ市内は荒れ果ててしまいました。

ローマに入るアラリック

西暦405年に入ると、ヴァンタル族、スエビ族などがイタリアに侵入し、ヒスパニアや地中海の島国を支配。海上からローマ市内を攻撃し、アラリックよりも恐ろしい略奪を行いました。

その後も多くのゲルマン民族がローマの年に侵攻し、定住するようになっていきます。もはや西ローマ皇帝の支配が届く地域はイタリアとガリアだけになっていました。

東ローマ帝国

対してコンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国は安定した統治を続けました。東ローマ帝国が安定した理由として特定の軍司令官に権力を集中させず、ゲルマン人を要職から外していたためです。また東ローマ帝国の国力拡大および帝国の再統一を願い、大聖堂の建設やローマ法大全という法典を完成させ、キリスト教を広く普及させました。

しかしながら7世紀以降、イスラム教勢力が台頭してきます。イスラム勢力の度重なる侵攻がコンスタンティノポリスを襲いましたが、耐えしのぎ、さらには追い返していました。

東ローマ帝国とは?ビザンツ帝国との違いは?歴史年表まとめ【政治体制から文化、宗教まで紹介】

帝国の滅亡

コロッセオ

西暦486年:西ローマ帝国滅亡

西ローマ帝国は変わらず、軍司令官が実権を握り続けました。さらにはローマ教皇の独断により多くの権力が皇帝から教皇に移っていく中で、軍内部で不満が募っていきます。

そしてゲルマン人傭兵であるオドアケルが主導となってクーデターを起こします。軍司令官だったオレステスを殺害し、皇帝アウグストゥルスを廃位としました。こうして西ローマ帝国は滅亡を迎えたのです。

西暦1475年:東ローマ帝国滅亡

十字軍

東ローマ帝国は実は二度、滅亡しています。一度目は十字軍の侵攻により、コンスタンティノポリスが攻略され滅亡しました。しかしその際は皇帝の血筋を継ぐ人物が地方に逃げていたため、そこを起点に東ローマ帝国を再興します。

名をビザンツ帝国と変え、帝国としての威厳を保っていましたが、その実情は兵士や民衆はすでに過去のローマ帝国とは比にならないほど弱体化していました。最終的にビザンツ帝国は隣国のオスマン帝国によって侵略され、姿を消しました。

ローマ帝国はなぜ滅亡したの?衰退の理由や原因、その後も解説

歴代ローマ皇帝一覧と在位期間

ローマ皇帝

初期ローマの王

1.ロムルス紀元前753〜715年初代王
建国の祖
2.ヌマ・ポンピリウス紀元前715〜673年祭司や葬儀、
暦などを創設
3.トゥルス・ホスティリウス紀元前673〜641年アルバ・ロンガ征服
4.アンクス・マルキウス紀元前641〜616年エトルリアより
祭祀導入
5.タルキニウス・プリスクス紀元前616〜579年競走場、広場、
神殿建造
6.セルウィウス・トゥリウス紀元前579〜534年ディアナ神殿建造
ローマ市の城壁建設
7.タルキニウス・スペルブス紀元前534〜509年追放、
初期ローマ最後の王

帝政ローマの王【ユリウス・クラウディウス朝】

1.アウグストゥス紀元前27〜14年最初のローマ皇帝
多くの称号を与えられる
2.ティベリウス紀元前14〜西暦37年新体制を安定させた
法整備、恐怖政治
3.カリグラ西暦37〜41年奇行により狂気の
皇帝とされる
4.クラウディウス西暦41〜54年公共事業の推進
5.ネロ西暦54〜68年芸術家、競技者
として名をはせる
暴君

帝政ローマの王【四皇帝の年】

1.ガルバ西暦68〜69年元老院の推薦で
皇帝となる
2.オト西暦69年ローマ軍の推薦で
皇帝となる
3.ウィテリウス西暦69年親衛隊の推薦で
皇帝となる
4.ウェスパシアヌス西暦69〜79年内乱の終結
国家財政の建て直し
公共事業の推進

帝政ローマの王【フラウィウス朝】

1.ウェスパシアヌス西暦69〜79年四皇帝より引き続き
フラウィウス朝初代皇帝
2.ティトゥス西暦79〜81年地方の反乱の収束
3.ドミティアヌス西暦81〜96年反乱鎮圧
ダキア人と講和
元老院と対立

帝政ローマの王【五賢帝、ネルウァ=アントニヌス朝】

1.ネルウァ西暦9年〜98年元老院尊重の姿勢
2.トラヤヌス西暦98〜117年元ゲルマニア総督
史上初属州出身の皇帝
3.ハドリアヌス西暦117〜138年行政の合理化
官僚制化、法整備
帝国巡回
4.アントニヌス・ピウス西暦138〜161年「アントニヌスの壁」建造
5.マルクス・アウレリウス西暦161〜180年ストア派の哲学者
「自省録」執筆
6.ルキウス・ウェルス西暦161〜169年パルティア戦争を指揮
7.コンモドゥス西暦180〜192年剣闘士試合に自ら出場
暴君の再来

帝政ローマの王【混乱期】

1.ペルティナクス西暦193年親衛隊の支持で皇帝へ
2.ディディウス・ユリアヌス西暦193年資金力で皇帝の地位へ

帝政ローマの王【セウェルス朝】

1.セプティミウス・セウェルス西暦193〜211年元パンノニア総督
帝権・軍事力の強化
2.カラカラ西暦198〜217年東方遠征実施
3.ゲタ西暦209〜211年
4.マクリヌス西暦217〜218年
5.ヘリオガバルス西暦218〜222年元神官
ローマ市内に大神殿建造
6.アレクサンデル・セウェルス西暦222〜235年14歳で即位
母ママエアが実権

帝政ローマの王【軍人皇帝時代(前期)】

1.マクシミヌス・トラクス西暦235〜238年市民出身
クーデターにより皇帝へ
2.ゴルディアヌス1世西暦238年元老院貴族の反発
により皇帝へ
3.ゴルディアヌス2世西暦238年父の跡を継ぐ
カルタゴの戦いで戦死
4.プピエヌス西暦238年バルビヌスと口論の最中、
暗殺
5.バルビヌス西暦238年プピエヌスと口論の最中、
暗殺
6.ゴルディアヌス3世西暦238〜244年ゴルディアヌス1世の孫
7.ピリップス西暦244〜249年ゴルディアヌス3世の
元近衛隊長
8.デキウス西暦249〜251年アプリットゥスの戦いで
戦死
9.ホスティリアヌス西暦251年疫病で病死
10.トレボニアヌス西暦251〜253年アエミリアヌスの
裏切りにより暗殺
11.アエミリアヌス西暦253年兵士により暗殺
12.ウァレリアヌス西暦253〜260年エデッサの戦いで処刑
13.ガッリエヌス西暦253〜268年ガリア帝国、
パルミラ王国の
分離独立
14.クラウディウス・
ゴティクス
西暦268〜270年ゴート族との
ナイススの戦いに勝利
15.クィンティッルス西暦270年アウレリアヌスに暗殺
16.アウレリアヌス西暦270〜275年蛮族との戦いに勝利
治世を安定
17.タキトゥス西暦275〜276年ペルシア戦争時に病死
18.フロリアヌス西暦276年軍により暗殺
19.プロブス西暦276〜282年カルスの反乱により暗殺
20.カルス西暦282〜283年ペルシャ戦争の指揮
落雷による事故で急死
21.カリヌス西暦283〜285年ディオクレティアヌス
遠征軍により戦死
22.ヌメリアヌス西暦283〜284年配下の裏切りにより死亡

帝政ローマの王【軍人皇帝時代(後期)】

23.ディオクレティアヌス西暦284〜305年属州出身、内乱を集結
24.マクシミヌス西暦286〜311年ディオクレティアヌスと
ともに退位
25.ガレリウス西暦305〜311年
26.コンスタンティウス・
クロルス
西暦305〜306年
27.フラウィウス・
ウァレリウス・セウェルス
西暦306〜307年マクセンティウスに
反乱を起こされ死亡
28.マクセンティウス西暦306〜312年
29.リキニウス西暦308〜324年コンスタンティウスとの
争いに敗北し帝位を退く
30.マクシミヌス・ダイア西暦311〜313年
31.コンスタンティヌス1世西暦306〜337年コンスタンティヌス朝創始者
「大帝」の称号をもつ
キリスト教を国教として公認
32.コンスタンティヌス2世西暦337〜340年弟コンスタンティウス2世に
殺害される
33.コンスタンティウス2世西暦337〜361年
34.コンスタンス1世西暦337〜350年
35.ウェトラニオ西暦350年
36.ユリアヌス西暦360〜363年
37.ヨウィアヌス西暦363〜364年
38.ウァレンティニアヌス
1世
西暦364〜375年ヨウィアヌスの急死により
皇帝に即位
39.ウァレンス西暦364〜378年ハドリアノポリスの戦いで
戦死
40.グラティアヌス西暦367〜383年マグヌス・マキシムスに
殺害される
41.ウァレンティニアヌス
2世
西暦375〜392年
42.テオドシウス1世西暦379〜395年ローマ帝国単独支配
東西分裂の指示

ローマ帝国に関するおすすめの本・書籍

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)

古代ローマを語る上で絶対に外せない一冊です。著者の塩野七生さんは古代ローマ史を日本に広めた功績を讃えられイタリア政府より表彰されているほどです。

ローマ建国から滅亡に至るまでの建国史をあっけらかんとした口調で説明しており、歴史書でありなfら、すんなり理解することができます。何十巻と続いている作品なので(ローマの歴史を考えれば当たり前ですが)、ローマの全てを知りたいと考えている方にはおすすめです。

絵で旅する ローマ帝国時代のガリア

ユリウス・カエサルが統治したガリア地方を中心にまとめた書籍です。特に住居や水道建設、闘技場などについても図説を多く用いて解説しているため、普段文章をあまり読まないという方にもおすすめの一冊です。

書籍は大型本となっているので、購入するときは大きいカバンを持って行った方がいいかもしれませんね。

アンティークコインマニアックス コインで辿る古代オリエント史

アンティークコインとは主に古代や中世時代に作られたコインをさしています。時のローマ皇帝たちも自身の顔を刻んだコインを作っていました。

本書はそのコインから歴史を紐解いていくという、別視点からの著書になります。またローマ時代に限らずオリエント地方でまとまっているので、ローマと他国の関係性を合わせて知ることができます。

ローマ帝国に関するまとめ

ローマ帝国について解説してきました。いかがでしたでしょうか。

ローマ帝国は長い歴史のなかで、さまざまな文化を築いてきました。しかしこれらの文化の根底には戦争と侵略によって生じた多くの犠牲の元に成り立っています。

筆者もこの記事を書くことで、ローマ帝国の歴史を再認識することができました。皆さんもぜひローマ帝国の歴史や文化に興味を持っていただけますと幸いです。長い記事となりましたが、お読みいただきありがとうございました。

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