チャールズイームズの簡単年表
アメリカのミズーリ州セントルイスにて、4人の姉に続く初めての男児として誕生します。カメラでの撮影や絵を描くことが好きな、好奇心旺盛な少年でした。
奨学金を受け、地元セントルイスのワシントン大学建築学科に入学します。しかし、大学の教育方針に反発し2年半後に退学となります。
ワシントン大学で出会った最初の妻、キャサリン・ウォーマンと結婚します。2人は娘ルシアを設けます。
友人と建築設計事務所を開設しますが、世界恐慌の影響で事業は失敗に終わります。私生活も上手くいかなくなったイームズは、妻子を置いてメキシコへ放浪の旅に出ます。
メキシコからの帰国後、建築の仕事をしていたイームズの才能に目を付けた学長に招かれ、クランブルック美術アカデミーに特別研究員として入学します。
前妻キャサリンと離婚後、クランブルックで出会ったレイと再婚。ロサンゼルスへと拠点を移します。
自身の展示会で才能を認められ、ハーマンミラー社に専属デザイナーとして採用されます。
繊維強化プラスチック(FRP)を使った画期的な作品シェルチェアを発表します。
シェルチェアに続く代表作ラウンジチェアを発表します。この頃からイームズの仕事は、オフィス用の家具のデザインへとシフトしていきます。
イームズ夫妻は60年代後半から映像制作にも力を注ぎました。1968年には、イームズ夫妻の代表的な映像作品『Power of Ten』を制作します。
セントルイスへの帰省中、心臓発作により71年の生涯に幕を閉じます。
チャールズイームズの年表
1907年 – 0歳「チャールズイームズの誕生」
チャールズイームズの子供時代
探偵機関に勤めていた父は、イームズが12歳の時に他界してしまいます。
子供たちの中でたった一人の男児だったイームズは、製鉄所や製図事務所でアルバイトをして一家の家計を支えました。一方イームズは父の残したカメラで写真を撮るのが趣味でもありました。
1924年 – 18歳「ワシントン大学建築学科に入学」
大学を中退後、最初の妻キャサリンと結婚
イームズは奨学金を得て、地元セントルイスの名門校ワシントン大学の建築学科に入学します。しかし、モダン建築に熱中するあまり教師たちの反感を買い、2年半で退学となってしまいます。
その後、大学在学中に出会ったキャサリン・ウォーマンと結婚。2人で建築について語り合ったり、ヨーロッパへモダン建築を見物に行ったりと、幸せな時間を過ごしました。その後2人は娘ルシアを設けます。
1930年 – 23歳「友人と建築設計事務所を開設するも、経営に失敗」
メキシコでの放浪旅がイームズの感性を磨く
イームズは、友人と共に建築設計事務所を立ち上げます。しかし、世界恐慌による影響で事業に失敗し、イームズは窮地に追い込まれます。自分を見つめ直すため、イームズは数セントのコインをポケットに入れ、妻子を置いてメキシコへ放浪の旅に出かけます。
メキシコでは、ほとんどの時間を絵を描くことに費やしました。スペイン語は話せませんでしたが、絵と食糧を交換したり、人々が大切にしていた彫像の色を塗り直してあげたりと、イームズは現地の人々とも積極的に交流します。
時には食べ物にありつけなかったり、途中で牢獄に入れられるなど過酷な旅でしたが、イームズはメキシコの美しい自然と色彩豊かな街並みに心を癒され、活力を取り戻して帰国します。
1938年 – 31歳「クランブルック美術アカデミーに入学」
名門クランブルック美術アカデミー
メキシコからの帰国後、イームズは再起をかけて新たに設計事務所を設立。そこで担当したある仕事が建築雑誌に取り上げられます。それを見たクランブルック美術アカデミーの校長エリエル・サーネリンは、イームズの才能を確信し彼を自身の学校に特別研究員として招きます。
クランブルックアカデミーはミシガンにある美術系の大学院大学で、デザイナーや美術家志望の若者にとって憧れの名門校でした。
盟友エーロ・サーネリンと共に椅子の新たな概念を生み出す
イームズはクランブルックアカデミーで出会った校長の息子エーロ・サーネリンと意気投合します。2人は家具のデザインコンペに提出するため、家具デザインに没頭します。彼らが打ち出したのは、人の輪郭に合わせ座面と背もたれを一枚の板で立体成型するという、それまでの椅子にはなかった新しい概念でした。
その斬新なアイデアが評価され、2人は見事コンペで優勝します。この時イームズのこの仕事を手伝っていたのが、当時クランブルックの学生で、後の妻となるレイ・カイザーでした。
1941年 – 34歳「レイと結婚、レッグスプリントを開発」
最初の作品レッグスプリントの開発
前妻キャサリンと別れたイームズは、レイと結婚します。イームズとレイはは引き続き研究を進めていた成型合板を使い、骨折足の骨折用の添え木「レッグスプリント」を開発します。
金属に比べて軽量で、最新の成型技術によるなめらかな曲面が脚の形にフィットするレッグスプリントは、戦時中だった当時需要を伸ばし、海軍からの発注は約15万個に及びました。これが、イームズ夫妻が作った初の大量生産品となり、後の作品に大きく影響していきます。
1945年 – 38歳「成型合板を使った家具の開発に成功」
プライウッドチェアの開発
レッドスプリントの大量生産に成功したイームズ夫妻は、その成型技術を家具に応用できないかと考えました。チャールズとレイは、ロサンゼルスのアパートの一室に成型合板の製造機「カザム!マシン」を作り、試行錯誤の末ついに椅子の立体成型に成功します。
こうして、成型合板を使った椅子「プライウッドチェア」が誕生しました。
1950年 – 43歳「代表作シェルチェアを発表」
シェルチェアの誕生の背景とは
シェルチェアが誕生した背景には、当時のアメリカ国民の生活スタイルの変化がありました。
急速に経済が発展した終戦後のアメリカでは、人々が家庭を築きマイホームを持つと同時に、家具の需要も高まりました。そこでイームズ夫妻は、大量生産が可能で、かつ多くの人の手に届く安価な家具が必要だと考えました。
こうして誕生したシェルチェアは、量産が可能であり、素材の性質上軽量かつ丈夫で安価な椅子として人々のニーズを満たし、多くの国民に購入された人気アイテムとなりました。
1956年 – 49歳「ラウンジチェアを発表」
「手が届く家具」から「憧れの家具」へ
1950年代後半ごろから、イームズの家具デザインは大量生産型の家庭向け家具から、オフィス向けの高級家具へとシフトしていきます。
1956年に発表されたラウンジチェアは、そのラグジュアリーなデザインや手作業を含む高コストな製造工程が、従来のイームズ作品とは一線を画していました。座る人を優しく包み込むような極上の座り心地を実現しているラウンジチェアは、誰もが欲しいと憧れる椅子として注目を集め、今でもミッド・センチュリー期の名作家具として人気を誇っています。
1968年 – 61歳「短編映画『Powers of Ten』を制作」
家具づくりにとどまらなかったイームズの才能
1960年代になると、イームズ夫妻の関心は映像制作にも及ぶようになります。
1968年に発表された短編映画『Powers of Ten』では、広大な宇宙から10分の1ずつスケールを変え、ミクロの素粒子へ突入していく旅を描きました。CG技術もまだなかった当時、その実写からアニメーションへの切り替え技術は観る人を驚かせ、ショートフィルムの最高傑作として高く評価されました。
1978年 – 71歳「故郷への帰省中に亡くなる」
夫婦の命日は同じ8月21日だった
チャールズイームズが故郷セントルイスにて亡くなった後、妻レイは仕事を引き継ぎ、未完だったいくつかのプロジェクトに取り組みました。
レイが亡くなったのは、チャールズの命日からちょうど10年後の1988年8月21日でした。現在2人はセントルイスのカルバリー墓地に、並んで埋葬されています。
チャールズイームズの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
イームズ入門―チャールズ&レイ・イームズのデザイン原風景
現イームズ・オフィスの主宰であり、チャールズイームズの孫であるイームズ・デミトリアスによって書かれたイームズ夫妻の伝記です。イームズ夫妻の人生や手がけた仕事、作品への想いなどが書かれており、イームズ夫妻という人物や功績について知るための入門書となっています。
とことんイームズ
チャールズイームズの作品が写真と共に年代順に紹介されており、そのデザインの変異がよく分かる作品集です。イームズの家具製作の歴史がコンパクトにまとまっていて、イームズ作品を知る最初の一冊としておすすめです。
おすすめの動画
Powers of Ten(日本語字幕つき)
イームズ夫妻が手掛けた映像作品の中で、最も有名な映画である『Powers of Ten』。9分間の映像で、自然界を広大な宇宙から微細な素粒子へと10分の1ずつ拡大して見ていくという、シンプルな構想ですが画期的な作品です。
ふたりのイームズ: 建築家チャールズと画家レイ
チャールズ・イームズとレイ・イームズの夫婦の軌跡を追ったドキュメンタリー映画です。あまり知られていなかった2人の馴れ初めや、夫婦としての側面についても描かれています。映像は彼らの作品のように色鮮やかで、視覚的にも楽しめる作品となっています。
関連外部リンク
チャールズイームズについてのまとめ
以上、今回はチャールズイームズがどんな人物なのか、その生涯や功績について解説しました。
イームズは晩年まで好奇心を忘れず、浮かんだアイデアを形にすることに常に意欲的でした。表現することへのその積極的な精神は、カメラに夢中だった少年時代から変わらないものだったのではないしょうか。
忙しい現代社会で私たちが忘れがちな、夢中になれるものの存在。それを自らの天職とし、20世紀をユニークに、エネルギッシュに駆け抜けたイームズの生き様は魅力的であり、羨ましくも思えます。
イームズの家具を手にする機会があったら、ぜひ彼の生き方についても思い出してみてくださいね。