ローマ法の基本法律
十二表法
十二表法とは古代ローマにおいて初めて定められた成文法です。12枚の銅板に刻まれたことで、この名前がつけられました。
当時のローマはパトリキと呼ばれる貴族たちが法律の権限を持っており、それに対するプレプス(市民)の不満は相当なものでした。後に身分闘争というプレプスの権利拡大を巡った争いが起きた際に、法律に関しても正当なものをという訴えを受けて作られたのです。
法律を作る上で、参考となるものがなくてはなりません。そこで成文法の作成権限が与えられたアッピウス・クラウディウスをはじめとする10人のメンバーは、ギリシアのアテナイに向かい、ギリシアの法律を参考に作ったのです。
こうして制定された十二表法はローマ人の教養として徹底されました。内容が公布されたことで、それまでにあったパトリキとプレプスの間での法知識は共有されるようになり、パトリキの独断による法律改定は難しくなっていきます。
しかし十二表法は完全なものではありませんでした。その内容として民事訴訟や家族、相続、不動産、結婚、犯罪などの法律が中心となっていたものの、結果的にはパトリキに優位に働くものが多く、法の前の平等というのはあってないようなものでした。
リキニウス・セクスティウス法
紀元前367年、護民官ガイウス・リキニウス・ストロ、ルキウス・セクスティウス、セクスティヌス・ラレラヌスの3人によって提唱され作られた法律です。法律名は2人の提案者の名前に由来しています。
この法律によって債務問題、いわゆる借金からプレプスが救われただけでなく、富裕層による土地所有の独占などが禁止されました。またこの法律の一番のポイントが、これまでコンスルは必ず貴族層から選んでいましたが、法律によって必ず一人はプレプスから選出するように規定されたことでした。
パトリキとプレプスの間にある身分的な違いは依然としてあったものの、この法律によってプレプスも積極的な政治運営に関われるようになっていきました。
ホルテンシウス法
紀元前287年、独裁官クィントゥス・ホルテンシウスによって制定された法律です。この法律によってパトリキとプレプスの法的な平等が実現し、両者の間で起こっていた身分闘争は完全に終結したとされています。
これまで民会と呼ばれるプレプスの集会で決められたことは、必ず元老院に持ち込まれ、そこで承認を得ないといけませんでした。しかしこの法律によって、民会で決まったことは元老院の承認を得なくてもローマの法律となることが明確に制定されたのです。
【厳選】ローマ法大全日本語訳
学説彙纂第1巻第1章
法律学に従事せんと欲する者は先づ法なる名称の由来を知らざるべからず。此の名称は正義より出づ、ケルススが法は正善及び衝平の術なりと定義せるは洵(まこと)に巧妙なりと謂ひつべし。
簡単にまとめると、「法律学や判事などの法律に関係する職種に従事する者は、法律の名前の由来を知るべきだ。法律の名前は正義が根幹にあり、ケルスス(古代ローマの法学者)が法は正善及び衝平の術と定義しているが、まさにその通りだ。」といった内容になっています。
「法は正善及び衝平の術」というのはケルススの格言です。正善とは正しく理にかなっていること、衡平とは釣り合いが取れていることを意味しており、ケルススは法律を「正しく理にかなっており、かつ釣り合いが取れていること」と定義していたのです。
学説彙纂第3巻第1章
法務官は人に就て適当なる区別を設け、且つ自己の威厳を保たんが為め、此の章を設け以て何人たるを問はず区別なく裁判上の申立を為すことを得ざらしめたり。
簡単にまとめると「法務官は人に関して適切な区別を行い、自己の威厳を保つために誰であろうと区別なく裁判の申し立てをすることを認める」といった内容になっています。当時の古代ローマは貴族の方が権力を持っており、市民は表立って反対することができませんでした。
この法律によって例え市民であろうと、自身の尊厳のために裁判を起こすことを法的に認めたのです。法律で規定されたことで、貴族は自分達に優位なように物事を進ませることができなくなり、有権者である市民と対等な立場に近づくこととなりました。
ローマ法大全に関するまとめ
ローマ法大全について解説してきました。いかがでしたでしょうか。
ローマは古くから身分闘争や民会が開かれ、正義と平等を重んじ、法律が作られていました。しかし法律への理解と激動の時代背景が逆に法律が飽和させてしまったのです。
ユスティニアヌス帝の命により飽和していたローマ法が簡潔になりました。わかりやすく明快になったことが他の国々でもお手本として用いられた要因かもしれませんね。
ぜひローマ法大全について興味を持っていただけますと幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。