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アンデス文明の歴史や特徴を解説!遺跡やミイラ、地上絵の謎も紹介

「アンデス文明ってどんな文明?」
「アンデス文明の特徴って?」
「アンデス文明と他の文明の関係は?」

現在のアンデス中央高地に存在していたアンデス文明。紀元前1000年ごろから、西暦1532年にスペイン人によって征服されるまで、長い歴史を築き上げてきました。

マチュピチュ

高山にある都市遺跡マチュ・ピチュやナスカの地上絵などはアンデス文明の遺跡群とされ、その多くが世界遺産に認定されています。アンデス文明は世界各地で隆盛した文明とは、明らかに違う点がいくつも見つかっており、これらは遺跡群にも現れていると言えるでしょう。

この記事ではアンデス文明の概要と特徴を解説した後、アンデス文明の遺跡群と他の文明との関係性について触れていきます。ぜひ最後までご一読ください。

アンデス文明とは?簡単に概要を解説

インカリ博物館

アンデス文明とは、紀元前1000年ごろに南米大陸にあるアンデス高原一帯に生まれた文明です。紀元前1000年ごろから、ペルー北部中心にチャビン文化が広がり、紀元前後からモチカ文化、ナスカ文化、ティアワナコ文化と分化していきました。

11世紀ごろからチムー帝国が成立し、15世紀を境にインカ帝国の出現によりアンデス文明は最盛期を迎えます。しかしインカ帝国は西暦1532年、スペイン人のピサロ率いる征服者によって滅亡の道を辿りました。

アンデス文明の生贄として捧げられた少女。
氷漬けになっていたことで、保存状態の良いミイラとなった。

アンデス文明ではエジプト文明で見られたようなミイラ作りが行われ、遺跡からは多数のミイラが発見されています。他にも非常に高いレベルの医術が確認されており、高度な文明を築いていたことが判明しています。

アンデス文明の4つの特徴

アンデス文明の特徴は

1.文字を持たない

アンデス文明には文字がありません。そのため文字を記録する紙やペンといった物も作られることはありませんでした。

文字がない代わりに、縄の結び目を使って、情報を記録していました。これを「キープ」と呼んでいます。

キープ

王や役人が民衆を収めるために必要な情報をキープとして記録し、このキープの作成および解読にはキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれる専門の役人がいました。キープを教える専門の学校もあり、当時キープを読める人は貴重な存在であったと考えられています。

インカ帝国がスペイン人によって征服された後、スペイン人はキープを読むことができず、非常に苦戦したそうです。現在においてもキープは完全に解読された訳ではありません。

2.金や銀の鋳造(ちゅうぞう)

アンデス文明の黄金

アンデス文明では鉄を製造することはありませんでした。同様に青銅器の使用もほとんどなかったと言われており、石器を使っていました。

鉄や青銅器方面での発展がなかった代わりに、金や銀の鋳造技術は非常に優れていました。これはアンデス文明の土地柄の影響があると考えられています。

アンデス文明は高山地帯を中心に栄えました。高山地帯というのは得てして、鉄よりも金が豊富に採掘されます。

また鉄というのは高温での製造が基本です。高山地帯にあるアンデス文明では、燃やせる材料や木が少なく、鉄よりも低温で鋳造できる金や銀が主流になったと考えられています。

3.イモ類が主食

イモ類を主食としていた

アンデス文明では、ジャガイモやキャッサバ、サツマイモといったイモ類を主食にしていました。世界各地にある文明は大河沿いで発展し、米や小麦などの穀物類を育てやすい環境にありました。対してアンデス文明のある高山地帯では川が少なく、穀物類の発育に適していなかったのです。

とはいってもアンデス文明で、全く穀物類が出回らなかった訳ではありません。スペイン人の記録から、トウモロコシが流通していたことがわかっています。

ただトウモロコシは食用としてではなく、チチャと呼ばれる酒の材料として利用されていたようです。チチャは古くから飲まれており、遺跡から発見されたカメやコップからトウモロコシのカスが検出されています。

4.山間部や高原地帯で発展

高地に残る遺跡

アンデス文明と他の諸文明の明らかな違いと言えるのではないでしょうか。ほとんどの文明が大河沿いで発展したのに対し、アンデス文明はアンデス高原を中心に発展していきました。

ただし、アンデス文明は山間部の盆地や海岸沿いでも確認されています。これらはアンデス高原の文化と交流しながら、総体的にアンデス文明全体を発展させていきました。

山間部や海岸沿いではアンデス高原とはまた違った環境利用法が確認されています。人々は各地の自然と共生しながら文明を築いていったことがわかりますね。

アンデス文明にまつわる謎

パチャクテク王

アンデス文明には貨幣がなかった?

貨幣という概念はなかった

アンデス文明では一般的な市場というものがなく、人々は物々交換して手に入れるか、もしくは自給自足の生活を営んでいました。そのため貨幣という概念がなく、他の文明で見られるようなお金の概念もありませんでした。

アンデス文明では大量の金を利用した加工品が作られましたが、これらも経済的な価値を表すものではありませんでした。それらは神々と死者への捧げものだったのです。

スペイン人によって征服されたあと、アンデス文明の大量の黄金たちは、全て略奪されました。素晴らしい芸術品たちは、ほとんどが溶かされ運搬に便利な延べ棒へと姿を変えてしまいました。

そしてスペインだけでなく、ヨーロッパ諸国へもたらされたことで、世界の繁栄を支えていったのです。

アンデス文明のミイラとは?

布に包まれたミイラ

ミイラ作りにおいて、古代エジプトと双璧をなすと言われている、アンデス文明のミイラたち。古代エジプトでミイラになるのは、基本的に王族たちでした。

しかし古代アンデス文明においては、王族に限られることなく作られていたようです。さらには作り方も大きく異なっています。

そんな中で、1999年ビッグニュースが世界中を駆け巡りました。アルゼンチンのジュジャイジャコ火山の山頂でインカ帝国時代の子どものミイラが見つかったのです。

ジュジャイジャコ火山

彼らはインカ帝国の生贄の儀式で生き埋めにされたと考えられており、保存状態が極めて良く、安らかな表情を読み取ることもできます。ミイラたちの毛髪からDNA検査を行ったところ、彼らは生贄として捧げられる1年以上前から、向精神作用のある飲食物を摂取していたことがわかっています。

3人の少女たちは意識が朦朧とする中、生贄として生き埋めにされました。しかし皆穴の中で苦しむことなく死へ向かっていったと考えられています。

アンデス文明に神話はあるの?

アンデス文明の神話とは

アンデス文明にも神話はあります。「インカ神話」とも称されることがあり、インカ民族の伝承や神話が入り混じったことで、多くの神々を生み出しました。

インティ(太陽神)やパチャカマック(創造神)、スーパイ(死の神)に代表される神々に加え、穀物の神や家庭の神など多様性に富んでいます。神話は創世神話、太陽神話とありますが、文字を持たなかったアンデス文明では、これらの神話は口づてに伝えられたとされています。

インカ帝国が崩壊した今でも、アンデス各地に根強く残っていた神話は伝わっており、信仰され続けています。

アンデス文明の都市遺跡

マチュピチュ

インカ帝国

インカ帝国はアンデス文明における最後の先住民国家です。南アメリカのペルーから、ボリビア、エクアドルにかけて広範囲に国家が築かれました。

インカ帝国では巨大な石を使った建築物や石の加工技術が非常に優れており、その技術はインカ帝国の都市マチュ・ピチュにも使用されています。他にも土器や織物、インカ道路網などの高度な文明を讃えて「インカ文明」という別名で呼ばれることもあります。

インカ帝国の道路網

インカ文明を築いたのはケチュア族という先住民族です。西暦1200年ごろに、ケチュア族はアンデス高原にあるクスコに小国家を作りました。

初代王であるマンコ=カパックから、200年ほどの歴史の中で初代王を除く、12人の王が即位しインカ帝国を発展させていきました。しかし繁栄とともに、滅亡の影も近づきつつありました。

西暦1532年、スペイン人の征服者フランシスコ=ピサロが南アメリカのエクアドルに上陸します。そこから南下し、インカ帝国領土内に侵入しました。

フランシスコ=ピサロ

インカ帝国の整備された道路網によってピサロ率いるスペイン軍は進軍し、インカ帝国国王の元までたどり着きました。司祭は国王にキリスト教を受け入れるかと問いかけ、聖書を渡しましたが、国王はそれを投げ捨てました。

これを「キリスト教の冒涜」と捉えたスペイン軍は一斉に攻撃し、高度な銃火器の前にインカ帝国は為す術もありませんでした。たった3分ほどで2000人以上もの人たちが殺害され、王は処刑されました。

インカ帝国は滅亡し、あっという間に首都クスコも制圧されてしまいます。ピサロはクスコにある大量の金銀財宝を奪い取るだけでなく、クスコ以外の都市にも進出し略奪を行いました。

ナスカの地上絵

ナスカの地上絵

ナスカの地上絵は紀元前200年ごろから西暦800年ごろにかけて、ペルーのナスカ川からインヘニオ川に囲まれた土地に描かれました。主に動植物の絵が描かれましたが、中には幾何学模様の地上絵もあり、多様性を見せています。

西暦1939年に初めて発見されて以降、今でも新たな地上絵が次々と発見されています。2019年には143点もの地上絵が発見されたとナスカ研究所によって公表されました。

そもそもナスカの地上絵はなんのために描かれたのでしょうか。現時点では理由ははっきりしていません。

社会事業とする説や雨乞いの儀式に使われた説、成人と認められるための試験とする説などが提唱されています。地上絵の研究は続けられていますので、明らかになる日は近いかもしれませんね。

アンデス文明と同じ南アメリカの文明は?

マヤ文明

マヤ文明

いけにえの泉

マヤ文明は中米のメキシコからグアテマラなどを中心に栄えた文明です。4世紀ごろから9世紀にかけて高度な都市文明を築きました。

マヤ文明は神殿やピラミッドなどの建築技術に加え、天体観測や正確な暦法などを行っていました。またマヤ文明の特徴として、生贄の儀式が盛んに行われていたことが挙げられます。

この儀式には干ばつなどが起きると、人身供物として神々に捧げていました。チチェン・イッツァにある「いけにえの泉」に生きたままの人間を投げ入れていました。

10世紀トルテカ文明の台頭によりマヤ文明は廃れ始めます。そして14世紀に入ったころ、チチメカ人の民族移動によって、マヤ文明の独自性は失われました。

アステカ文明

アステカ文明

アステカ文明はメキシコ高原を中心に栄えた文明です。アステカ文明が作られたのは他の文明に比べ、最も遅く15世紀でした。

この文明はピラミッド型の神殿作りや絵文字を特徴とした独自の進化を遂げていました。15世紀中ごろに最盛期を迎えましたが、西暦1521年にスペインの征服者コルテスによって征服、滅亡しました。

同じ中米に栄えたマヤ文明と混同されやすいのですが、マヤ文明は密林の中に多くの都市国家を作っていたのに対し、アステカ文明は平地に一つの国家を作っていました。

アンデス文明に関するまとめ

アンデス文明について解説してきました。いかがでしたでしょうか。

アンデス文明は非常に高度な文明を持ちながらも、旧大陸にある他の文明とは違う発展を遂げた興味深い文明です。空中都市マチュ・ピチュやナスカの地上絵に代表される世界遺産は、現代の人々の多くの感動を与えてくれます。

研究によってアンデス文明に関する新しい情報も明らかになっています。今後も注目度の高い文明の一つと言えるでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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