「アンデス文明ってどんな文明?」
「アンデス文明の特徴って?」
「アンデス文明と他の文明の関係は?」
現在のアンデス中央高地に存在していたアンデス文明。紀元前1000年ごろから、西暦1532年にスペイン人によって征服されるまで、長い歴史を築き上げてきました。
高山にある都市遺跡マチュ・ピチュやナスカの地上絵などはアンデス文明の遺跡群とされ、その多くが世界遺産に認定されています。アンデス文明は世界各地で隆盛した文明とは、明らかに違う点がいくつも見つかっており、これらは遺跡群にも現れていると言えるでしょう。
この記事ではアンデス文明の概要と特徴を解説した後、アンデス文明の遺跡群と他の文明との関係性について触れていきます。ぜひ最後までご一読ください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
アンデス文明とは?簡単に概要を解説
アンデス文明とは、紀元前1000年ごろに南米大陸にあるアンデス高原一帯に生まれた文明です。紀元前1000年ごろから、ペルー北部中心にチャビン文化が広がり、紀元前後からモチカ文化、ナスカ文化、ティアワナコ文化と分化していきました。
11世紀ごろからチムー帝国が成立し、15世紀を境にインカ帝国の出現によりアンデス文明は最盛期を迎えます。しかしインカ帝国は西暦1532年、スペイン人のピサロ率いる征服者によって滅亡の道を辿りました。
アンデス文明ではエジプト文明で見られたようなミイラ作りが行われ、遺跡からは多数のミイラが発見されています。他にも非常に高いレベルの医術が確認されており、高度な文明を築いていたことが判明しています。
アンデス文明の4つの特徴
1.文字を持たない
アンデス文明には文字がありません。そのため文字を記録する紙やペンといった物も作られることはありませんでした。
文字がない代わりに、縄の結び目を使って、情報を記録していました。これを「キープ」と呼んでいます。
王や役人が民衆を収めるために必要な情報をキープとして記録し、このキープの作成および解読にはキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれる専門の役人がいました。キープを教える専門の学校もあり、当時キープを読める人は貴重な存在であったと考えられています。
インカ帝国がスペイン人によって征服された後、スペイン人はキープを読むことができず、非常に苦戦したそうです。現在においてもキープは完全に解読された訳ではありません。
2.金や銀の鋳造(ちゅうぞう)
アンデス文明では鉄を製造することはありませんでした。同様に青銅器の使用もほとんどなかったと言われており、石器を使っていました。
鉄や青銅器方面での発展がなかった代わりに、金や銀の鋳造技術は非常に優れていました。これはアンデス文明の土地柄の影響があると考えられています。
アンデス文明は高山地帯を中心に栄えました。高山地帯というのは得てして、鉄よりも金が豊富に採掘されます。
また鉄というのは高温での製造が基本です。高山地帯にあるアンデス文明では、燃やせる材料や木が少なく、鉄よりも低温で鋳造できる金や銀が主流になったと考えられています。
3.イモ類が主食
アンデス文明では、ジャガイモやキャッサバ、サツマイモといったイモ類を主食にしていました。世界各地にある文明は大河沿いで発展し、米や小麦などの穀物類を育てやすい環境にありました。対してアンデス文明のある高山地帯では川が少なく、穀物類の発育に適していなかったのです。
とはいってもアンデス文明で、全く穀物類が出回らなかった訳ではありません。スペイン人の記録から、トウモロコシが流通していたことがわかっています。
ただトウモロコシは食用としてではなく、チチャと呼ばれる酒の材料として利用されていたようです。チチャは古くから飲まれており、遺跡から発見されたカメやコップからトウモロコシのカスが検出されています。
4.山間部や高原地帯で発展
アンデス文明と他の諸文明の明らかな違いと言えるのではないでしょうか。ほとんどの文明が大河沿いで発展したのに対し、アンデス文明はアンデス高原を中心に発展していきました。
ただし、アンデス文明は山間部の盆地や海岸沿いでも確認されています。これらはアンデス高原の文化と交流しながら、総体的にアンデス文明全体を発展させていきました。
山間部や海岸沿いではアンデス高原とはまた違った環境利用法が確認されています。人々は各地の自然と共生しながら文明を築いていったことがわかりますね。
アンデス文明にまつわる謎
アンデス文明には貨幣がなかった?
アンデス文明では一般的な市場というものがなく、人々は物々交換して手に入れるか、もしくは自給自足の生活を営んでいました。そのため貨幣という概念がなく、他の文明で見られるようなお金の概念もありませんでした。
アンデス文明では大量の金を利用した加工品が作られましたが、これらも経済的な価値を表すものではありませんでした。それらは神々と死者への捧げものだったのです。
スペイン人によって征服されたあと、アンデス文明の大量の黄金たちは、全て略奪されました。素晴らしい芸術品たちは、ほとんどが溶かされ運搬に便利な延べ棒へと姿を変えてしまいました。
そしてスペインだけでなく、ヨーロッパ諸国へもたらされたことで、世界の繁栄を支えていったのです。